政府主導の「働き方改革」推奨を受け、副業、パラレルワーク、パラレルキャリアを一つの解とする企業が増え始めている昨今。働きながら、スポーツ活動を行う。そのスタイルも徐々に多様化してきている。そんな中、アイスホッケー界において“デュアルキャリア”を前面に押し出すチームがある。「競技活動と仕事の両立」を実現し、スポーツ選手を夢見る子どもたちのロールモデルになることを目指す横浜GRITSだ。今回はチーム、選手、そして選手が働く企業の3者からじっくり話を伺い、デュアルキャリアアスリートを取り巻く関係者の本音に迫った。そこから見えてきたのは「1つの組織に頼り過ぎない」新しい生き方の提案だった。
(文=平野貴也、写真提供=横浜GRITS)
スポーツ界にも訪れた「働き方改革」の新しい時代スポーツ界も働き方改革の時代だ。厚生労働省が2019年に打ち出した「働き方改革」は、少子高齢化による生産力の減少や、労働者の生活環境の変化によるニーズの多様化に対応し、個々の事情に応じた働き方を選択できる社会の実現を意味するものだ。チームやアスリートの環境も、時代の流れによって変わってきている。トッププロなど知名度の高い選手を中心にYouTubeチャンネル運営のような個人事業を行う例が増えている。一方、近年の不況により、多くのトップアマチュア選手の活動環境となっている実業団は、減少している。また、現役のうちはサポートを受けられるが、引退後は不安という状況も多い。一般社会でも終身雇用の時代が終わり、副業や兼業など、一つの組織に頼り切りにならない時代になっている。
実業団が次々とクラブ化しているアイスホッケー界では、2019年に発足した横浜GRITSが、競技活動と仕事の両立を意味する「デュアルキャリア」を前面に押し出している。選手だけでなく、フロントスタッフも個別の仕事と両立している。
もともと、公務員が平日の仕事後や土・日でスポーツに関わるというような両立スタイルは多く見られてきた。ただ、完全にビジネス活動に軸を置くとなれば、競技活動の時間は少なくなり、逆にスポーツ活動に軸を置けば、できる仕事の範囲は狭くなる。バランスが重要だ。プロのアジアリーグに参加する規模のチームでも、両立を維持しながら強化できるかどうかが注目されている。特に団体競技の場合は、チーム側が、個別に働く選手たちをまとめていかなければならない。カギとなるのは、選手、チーム、選手の雇用先という3者の関係だ。
チームが存続可能で、選手が現役生活を全うすることができ、雇用企業のビジネス活動に支障をきたさない。現状では、この3つの条件さえ満たせれば、デュアルキャリアによる運営が成立しているといえる。しかし、プロあるいはトップアマチュアレベルで、デュアルキャリアを採用した上で強化を目指すとなると、選手、チーム、企業の3者の関係性を理解し、その上でより良い関係を構築しなければならない。近未来のアスリートのデュアルキャリア環境をより良いものにするためには、何が必要だろうか。今回は、横浜GRITSの協力の下、選手、チーム、企業の3者の視点からプロチームのデュアルキャリアの現状を見つめ、新時代のアスリートの働き方改革、デュアルキャリアアスリート像を探る。
ツムラ社で働くアイスホッケー選手の取り組みまず、最初の登場人物は、横浜GRITSのフォワード松渕雄太(24歳)だ。埼玉栄高、大東文化大でプレー。就職活動を行っていたが、内定を得て大学卒業を間近に控えた2019年2月の冬季国体で、チームメートから横浜GRITSの立ち上げに加わらないかと声をかけられ、両立の道を探ることになった。松渕の就職先は、漢方薬の製造販売で知られる株式会社ツムラ(以下、ツムラ社)。基本的には副業を認めておらず、純粋に社員としての仕事を全うする前提で、就業時間外の活動として理解するというスタンスを取っている。
当初は、好きなホッケーでプロになれた喜びが、周囲の誤解を生むことがあった。社業より競技を優先する姿勢に見られたのだ。会社から、まず社業を大事にするようにと釘を刺され、松渕は見返すために社業で成果を出すことを考えて奮闘。営業先では、アイスホッケー選手であるということを話のネタにして、得意先や同業他社の営業マンと積極的にコミュニケーションを取り、営業目標100%達成を続けている。
松渕は「入社1年目で、ほかの人がやっていないようなことをやるということで、どこかコソコソと隠れるようにしている部分がありましたが、それでは良くない。会社として(雇う)メリットのある人になりつつ、周囲を巻き込める人でないとダメ。(両立を)オープンにすることで、応援してくれる人は増えましたし、だから両方を頑張れる。今は、会社の中でも、ホッケーは趣味ではなく、プロでやっているということを知ってもらえるようになったと思います」と話した。
両立は大変だが、双方に理解を得ることで、モチベーションを高く保てているという。ただ、両立は、時間の工面や精神面だけではなく、会社の人材育成・起用方針にマッチできるかどうかなど、両立を可能にするためにクリアしなければならないポイントが多い。
勤め先が危惧する3つの懸念点次に、第2の登場人物となるのが、松渕の勤め先である株式会社ツムラ横浜支店横浜第三営業所の佐々木伸幸営業所長だ。松渕からプロアスリートとの両立を目指すと聞かされて頭に浮かんだのは、3つの懸念点だった。①就業時間の確保、②仕事のモチベーション維持、③営業職としてのキャリアアップに必要な異動への対応だ。このうち①は2020年度から同社が営業職にフレックスタイム制度(始業、終業時刻を調整できる制度)を導入したことでうまく調整ができている。②は、3者の話し合いが解決のカギを握り、③は将来に残された課題となっている。佐々木営業所長は「新卒1、2年目は、与えられた仕事で成果を出せば良い立場。今後、セミナー開催の主幹を務めたり、新プロジェクトのメンバーになってもらったりと仕事の幅が増えたときに『競技があるので、できない』とならないようにしてもらいたい」と今後の両立に関しては不安も示した。
ここで重要になってくるのが、3者の話し合いや共通理解だ。
最後の登場人物は、伊藤忠商事やグリーなどでビジネスキャリアを歩んできた横浜GRITSの臼井亮人代表。ツムラ社に申し出て説明の機会をもらい、選手、雇用先関係者の前で、競技のための腰掛けではなく、本気で両立に取り組むことをチーム全体で理解し、推奨していることなどを説明したという。松渕は「自分の心の中では、不安がなくなりました。臼井さんから説明してもらったことで、会社の中でも引け目を感じず、堂々とできるようになりました」と振り返る。また、佐々木営業所長も「仕事があっても競技活動ができる状況だということや、チームのデュアルキャリアの捉え方などを説明いただいて、本人、会社の考え方を確認することができましたし、本人も仕事に本気で向き合って活動するように変わってくれたかなと感じています」と話し、関係性の向上につながったとの見解を示した。選手活動を雇用先に理解してもらうためには、チームの関わりも重要だ。
「スポーツで頑張っている仲間がいること」のメリット横浜GRITSでは、選手の雇用先への説明のほかにも、デュアルキャリア支援を行っている。選手に対しては、メンタルトレーナーによる講習を設けて時間的な両立による負担をケア。また、社会人経験の浅い選手たちには、競技とは関係なく、社会人研修や教育プログラムをチームで行っている。選手が会社で評価を得やすいように、チームが協力する形だ。
ところで、臼井代表は、デュアルキャリア採用の目的の一つに、選手のセカンドキャリアの不安解消を挙げている。社会人になっても将来に不安を覚えることなく、好きな競技を第一線で続けられることは、選手にとってメリットとなる。そして、チームとしては、選手が個別の仕事でも収入を得るため、無理に選手報酬を上げずにサラリーをある程度抑えながらでも運営が可能になる。両立が大変というデメリットを抱える中でも、選手、チームにはメリットがある。ただ、気になるのは、選手の雇用先のメリットだ。
佐々木営業所長は「同じ部署にスポーツの第一線で頑張っている仲間がいることは、周囲を勇気づけ、エンゲージメント(社内の愛着の高揚)を高めることに役立つ部分はあると思います。また、地元ではチームのことを知っている方もいて、彼自身は得意先の先生(医者)に自身がアイスホッケー選手であることを明かしているようです。人間関係を大事にする営業の仕事においては、コミュニケーションに役立っている印象ですし、応援してくださる先生や仲間の存在が、仕事のモチベーションにもなっているようです」と話した。会社の仲間や仕事先の刺激や楽しみになることができれば、メリットといえるかもしれない。
取材に同席いただいたツムラ社の小川賢二横浜支店長が「コロナ禍で実現しませんでしたが、われわれも試合を観に行く予定でした。今度、支店全体のオンライン会議を行った後に、オンライン懇親会を予定しているのですが、そこで松渕くんにGRITSについて話してもらう機会を設けようと考えています。私からすれば、地元横浜のアイスホッケーチームのことや、まだ珍しいデュアルキャリアの話で盛り上がればいいなというところですが、彼にしてみれば、両立の理解や、チーム活動を知ってもらえる良い機会にもなると思います」と話したことも、周囲が松渕という仲間、社員の個人的な活動を応援するという動きが出てきていることの証しといえる。
ただし、前述のとおり、異動などに支障をきたす可能性は否めず、両立によるデメリットは無視できない。一方、選手であることが仕事先で有意義に働くようなら、雇用企業側にメリットを提供できる可能性はある。今回の取材でいえば、佐々木営業所長の言葉から「チームの地元における営業職」では、選手の利点を生かしやすいかもしれない。若い労働力の確保につながるという点を過疎化が進む地方都市で生かして、競技と仕事の両立を推し進めているスポーツチームも存在する。スポーツに理解があり、他競技のスポンサーを務めている企業で選手を雇用してもらい、練習時間の確保に理解を得る一方で、会社のエンゲージメントを高めるためにチームが積極的に働きかけるという例も出てきている。チームは積極的にスポーツやアスリートが持つ魅力を理解し、アピールし、具体的な生かし方を提示できるようになる必要がある。
横浜GRITSが目指すデュアルスタイルの発展横浜GRITSの臼井代表は、今後のデュアルスタイルの発展について、こう話す。
「両立は、選手が仕事場で結果を出すということが、非常に重要です。松渕もそうですが、仕事で結果を見せていくことが、競技生活の理解や雇用ルールの変更につながると感じています。選手もホッケーをやりたいので、結果を出そうと頑張ります。その上で、クラブとしては、大会で活躍したり、社会的に脚光を浴びたりすれば、選手が所属している企業のクローズアップにもつながる可能性があります。そういう部分では、宣伝価値を持つようにクラブが努力することも必要だと思っています」。
デュアルキャリアのスタイルでチームを立ち上げて1年半。現在は、コロナ禍により日本の5チームによるジャパンカップという形に変更されているが、本来であれば、横浜GRITSが参加するアジアリーグは、定常的に海外遠征も行うスケジュールとなる。選手が有給休暇の取得などで対応するにしても、戦力を整えるのは簡単ではない。仕事に支障を出してはいけないというものの、チームとして理想を目指すなら、ある程度は融通が利く状況にしていくべきであり、そのためには、メリットを提供できるようにしなければならない。
松渕は、自身の経験からデュアルキャリアの理想形について「選手が仕事に支障を出さないことは大前提。でも、理想は、練習を休むことなく競技活動ができて、仕事自体もしっかりとできる環境。今の僕の状況だと、どうしても会議などは時間をずらすことができず、練習を休まないといけない日もあるのが実情。チームが理解してくれるとはいえ、申し訳ない気持ちはあります。練習時間をしっかりと確保できれば罪悪感はなくなるし、それが会社の理解によって成り立っているとなれば、会社にも100%貢献したいという気持ちにもなる。そういう関係が増えるといいなとは思います」と語った。
競技と仕事の両立、あるいは複数の仕事の兼業といった形が多様になっていく時代において、スポーツの価値を生かした新しい競技活動のスタイルが求められている。
<了>