障がいは個性である――。
東京パラリンピックの開催が決定した2013年以降、障がい者スポーツ、障がい者を取り巻く環境は変化し、報道量も一気に増えた。そうした中でよく聞かれるようになった、冒頭のフレーズ。だが果たして当事者はどのように感じているのだろうか。
19歳の時に交通事故に遭い、全身の70%以上にやけど、左足を切断、左手にまひを負った池透暢選手は、2年半の入院生活で手術は40回にも及んだ。その後車いすバスケットボールを始め、現在は車いすラグビー日本代表キャプテンを務めている。
聞き手は、その池選手にテレビ番組で取材したことをきっかけにパラスポーツに魅了され、精力的に現場を飛び回っている『日本一パラを語れる女子アナ』久下真以子さん。昨夏に腫瘍が見つかり右卵巣を摘出し、「障がい者への共感が深まった」と語る。
10年来の付き合いのある二人に今あらためて、「障がい」をテーマに対談してもらった。
(構成=久下真以子、池選手写真=浦正弘、久下さん写真=REAL SPORTS編集部)
自分の障がいをジョークのネタにするのは不謹慎?久下:東京パラリンピックの開催が2013年に決定して以降、パラスポーツ、パラアスリートがメディアで紹介される機会がこの数年で本当に増えましたよね。池さん自身は、障がいのある方の報じられ方がここ数年変わっていると感じますか?
池:明らかに変わってはきましたよね。以前は簡単に取材してパッと放送するものが多かったんですけど、選手のことを深掘りして取材することが多くなってきたなとは感じています。障がいがある人の放送だから、といって意識して見ることはないですけど、パッとテレビをつけてその人の魅力に引き込まれる瞬間というのは、僕自身も増えてきていると思いますね。
久下:私自身、10年前に池さんと出会うまでは障がい者の方と接する機会ってまったくなかったんですよ。特に小さい頃は障がい者に対して“見ちゃいけない”“触れちゃいけない”という空気感が周囲にあって、私自身も無意識にそう思っていました。そういう空気感を、池さん自身が感じることはありましたか?
池:ありますね。自分の場合は脚を切断しているので、例えばスーパーなどで子どもたちがジロジロ見てきて、曲がり角を回ってもまたチラチラ見てきて(笑)。顔もやけどしているし、耳も切っているので、そりゃ衝撃ですよね。ただ、こればかりはしょうがないんじゃないかなって思うんですよ。
久下:しょうがないというのは?
池:反応自体は“つくる”ものではないですから、当たり前のことなんじゃないかなって思うんです。僕自身、嫌な気持ちがまったくないわけではないですけど、それを言っていてもしょうがない。だったらこちらから歩み寄って、どう声を掛けてあげることで、相手の衝撃を処理してあげられるかということも必要かなと。障がいを受け入れている自分ができることの一つと捉えていますね。
久下:衝撃を受けること自体は、悪い反応ではないということですよね。
池:例え方が合っているかは分からないですけど、例えば目の前にいる人のカツラがボロンと取れたら、ビックリするはするじゃないですか。でもカツラが取れた人自身が笑い話に変えてくれたりしたら、周囲の受け取り方って変わってきますよね。その一瞬の衝撃をこちら側から変えられるシーンというのはいっぱいあると思います。アスリートとして認知してくれている人もいますし、小学校を訪問したり、大人の方とも接する機会を増やしていったり、相手の衝撃を取っ払っていける社会への関わり方はしたいなって思うんですよね。
久下:乙武洋匡さんがよく発信していることに、自分の障がいをジョークのネタにすると不謹慎と言われる。けど、例えばお笑い芸人のトレンディエンジェルさんが「チェケラッチョ!ハゲラッチョ!」と自身の頭髪の薄さをネタにしていても、みんな不謹慎と言わずに笑っている、とあります。障がい者が自分の障がいを笑いにすることについて、ネット上でも賛否が分かれています。私自身は、本人がネタにしているのであれば全然笑って構わない、自分の特性を生かして笑いを取る、笑える社会こそが「フラット」だと思っています。もちろん、だからといってイジられたくない人はもちろんイジらないし、相手との距離感などによってケースバイケースだと思いますけどね。
池:難しい場合もありますけど、今まさにその価値観が変わってきている時期なんじゃないですかね。障がい者側の発信も、受け取る側も。僕自身はあんまり人を笑わせることは得意じゃないですけど、ネタにはしますよ。肩のやけどの痕が丸い形をしているので、“一口ハンバーグ”って言ってるんですよ。みんなでお弁当を食べていて、ちょっとご飯が多かったりしたら、「これ食べる?」とか言って(笑)。
久下:いや、すごく面白いです。得意じゃないですか(笑)。他にも誰かから聞いたのは、焼き肉に行った時に火を見ながら……。
池:それもありますね。事故で結構やけどをしたので、自分のことを“やけどの神様”と呼んでいます。「神様には勝てないよ」と冗談で言うんですけど(笑)。
久下:でもこれを一般の方が聞くと、“笑っていいのか?”となるんですよね。
池:笑いづらいですよね。
「障がい=個性“とは限らない”」。置かれている状況でベストを生きる
久下:私、去年の夏に卵巣腫瘍が発覚して、右の卵巣を摘出したんですよ。もちろん臓器を1つ取ること自体は初めはショックでしたし、周囲の方々が心配してくださって本当に感謝しています。ただ、退院後はもう自分の気持ちはスッキリしていて元気に過ごしているのに、「無理してるんでしょ?」「痛々しいから強がるのやめなよ」と言われて“あれ?”って思ったことがあるんです。“本当に元気だよ?”って。むしろ、そうやって“かわいそう”って思われたり、腫れ物に触るような扱いを受けることの方がつらいなあと。同じ病気、同じ障がいでも、感じ方は人それぞれで、画一的に“かわいそう”だと外から決めつけるのはちょっと違うかなと。そういう、自分と周囲の乖離(かいり)って、障がい者の皆さんも感じてきたのかなって考えたりしました。
池:まあそりゃ、病気になったんだからみんな心配しますよね。久下さんが初め心を痛めたのを周りが感じ取ったから心配してくれるんだろうし、周りが心配してくれることに対して“大丈夫だよ”っていう久下さんの気遣いもあっただろうし……。でも、周りがまったく心配しなかったら“もうちょっと心配してよ”って思うかもしれないし。
久下:確かに……(苦笑)。まあ一晩は泣きましたよ、やっぱり。ただ、“体の一部を失う”ということについては、すごく障がい者の方とリンクする部分もあるなって考えさせられましたね。“卵巣がなくなってよかった”なんて思わないし、できれば2つ残したかったですよ。でも、病気になった以上、最善の方法は1つ取ることだったんですよね。
池:片方取るのと両方取るのでは状況も変わってくるかもしれないですね。僕自身、“80歳になった時に人生最高だったって思えるような生き方をしたい”って言っていますけど、そこまで生きているとも限らないし、例えば余命を宣告されている病気や障がいだったらまた考え方は違っていたと思います。
久下:何もなく健康であるに越したことはないですよね。でも、病気になってしまったことは仕方ないし、取った卵巣も帰ってこない。今の体でこれから健康に、ベストに生きるしかないんです。そういう意味では、“障がいは個性”というフレーズが近年よく飛び交うようになりましたが、何かそれも違うなって思うようになったんですよ。池さん、どう思います?
池:そう思える方もいらっしゃるのは事実ですが、少ないと思いますね。僕はまったく思っていないです。障がいはつらいことが多いですからね、それなりに。もう慣れましたけど、物理的にできないこと、かなわないこともたくさんあります。例えば知的障がいの方が描く絵って僕すごく好きなんですけど、その絵はその人の生み出した個性なのかもしれない。でも障がい自体を個性って言っていいのかなとは思いますよね。
久下:前に、「障がい=個性“とは限らない”」ってSNSでツイートしたんですよ。そしたらすごく反響があって。画一的にこうだっていうのではなく、考え方や感じ方の多様性を認め合っていくことが大事なんだなと思いましたね。「障がい者はかわいそう」と言うのも、「障がいは個性だ」と言うのも、逆のことを言っているようで、実はどっちも画一的なのではないかと思います。
「共生社会」は自分からは遠い存在に感じる? もっと単純に考えていい
久下:2018年にインドネシアで開かれたアジアパラ競技大会の開会式の取材に行って、私泣いてしまったんですよ。人種や言語に加えて、障がいもさまざまな選手たちが、一つの競技場に集まっている光景が、これってまさに社会の縮図だと感じて素敵だなって。“違いを知る”ことが共生社会への第一歩なんじゃないかなって感じました。
池:“共生社会のあり方”ってよく議論されますけど、僕はもっと単純でいいと思うんですよ。テレビを見て共感したり、試合を応援したりすることもすでに共生社会の姿。今回のインタビューを発信すること自体もそこに含まれていると思うんですよね。
久下:共生社会は、つくるものじゃなくてそこにあるものということですね。
池:まさにそうですよね。僕は普段トレーニングで公園を走っているんですけど、そこで会う人に必ず僕からあいさつしているんですよ。これもきっかけの一つになったらいいなって。次に会った時にまた会話が生まれるし、そこから“車いすラグビー応援するね”が生まれる。日常にきっかけはたくさん転がっているんですよね。
久下:障がいのある方を街で見かけても、知らない人相手に「手伝いましょうか?」って声を掛けるのってすごく勇気が要りますよね。断られたらどうしようとか。でも障がい者の方からすると、誰かに声を掛けられるのは初めてのことじゃないし、ある意味慣れている部分もある。だから実は、健常者の方がコミュニケーションを取るハードルが高いのかなって思ったりもしています。
池:そうですね。“自分でできることは自分でやる”ってよく言われる言葉ですけど、僕は「手伝いましょうか?」と声を掛けられたら、たとえそれが自分でできることだったとしても「お願いします」と言いますね。声を掛けてくれた人の勇気が次の人につながっていくかもしれませんし、そこでの会話が何かのきっかけになるかもしれないなと思っています。
久下:「共生社会」と言うとすごく難しいものに感じて“自分には遠い存在”と考えてしまう人もいるかもしれませんが、シンプルに考えて、自分のやれることを考えることから始めるのでいいのかもしれませんね。
池:身の回りに障がいを負った知り合いがいると、きっといいと思いますよ。人生において、いろんな種類の障がい者と接する機会があるといいし、車いすの友達もいた方がいい。それだけは言えますね。
久下:私もパラスポーツを担当するようになってから障がい者の友達が増えました。日常の時間を共にすることで、いろんな発見がありますね。
池:いろんな人と接することで考え方も豊かになるし、柔軟になりますよね。僕自身、障がい者の知り合いはめちゃくちゃ多いですけど、障がい特性によっても考え方が違ったりすることもあるし、勉強になりますね。
久下:池さんにとっての人々との懸け橋が、パラスポーツになっているんだとあらためて感じました。
池:健常者のことを社会と呼ぶわけではないですが、パラスポーツをすることによって社会とのつながりは生まれていますね。競技だけでなく、学校訪問をすることで子どもたちや先生とのつながりもできますしね。また今、日本代表としてある程度世界で勝負できるレベルになってきて、世間からの目も変わってきていると感じています。もうちょっとキラキラした目で見てもらえるようになったり、同じ言葉を言っても説得力があるように捉えてもらったり。自分が成長するという意味でも、僕自身にとってパラスポーツのもたらすものの大きさをあらためて感じていますね。
<了>
PROFILE
池透暢(いけ・ゆきのぶ)
1980年生まれ、高知県出身。高知Freedom所属。19歳の時、友人と一緒に乗っていた車が交通事故に遭い、全身の70%以上にやけど、左足を切断、左手にまひを負う。2年半の入院生活で手術は40回にも及んだ。その後車いすバスケットボールを始め、2012年に車いすラグビーに転向。2014年より日本代表キャプテンを務める。2016年リオデジャネイロパラリンピックで銅メダル、2018年世界選手権で日本初の金メダルを獲得。東京パラリンピックでの金メダル獲得を目標に掲げる。
PROFILE
久下真以子(くげ・まいこ)
1985年生まれ、大阪府出身。同志社大学在学中にアナウンサーを志し、卒業後、四国放送、NHK高知放送局、NHK札幌放送局で、番組のメインキャスター、スポーツキャスター等を務める。2015年よりセント・フォースに所属。現在は『日本一パラを語れる女子アナ』として主にパラスポーツ番組やイベント出演のほか、取材・執筆活動も精力的に行っている。2020年8月右卵巣摘出。プロ野球やサッカーも担当している。