2020年5月に立ち上がったオンラインサロン『蹴球ゴールデン街』では、「日本のサッカーやスポーツビジネスを盛り上げる」という目的のもと、その活動の一環として雑誌作成プロジェクトがスタートした。雑誌のコンセプトは「サッカー界で働く人たち」。サロンメンバーの多くはライター未経験者だが、自らがインタビュアーとなって、サッカー界、スポーツ界を裏側で支える人々のストーリーを発信している。
今回、多様な側面からスポーツの魅力や価値を発信するメディア『REAL SPORTS』とのコラボレーション企画として、雑誌化に先駆けてインタビュー記事を公開する。
第6弾は、Jリ―グ通算300試合以上に出場し、現在は『キャプテン翼』の原作者、高橋陽一先生が代表取締役を務める関東リーグ2部・南葛SCで奮闘する石井謙伍に、選手として、そしてクラブの社員として過ごす“新しい夢”について話を聞いた。
(インタビュー・構成=黒川広人、写真提供=石井謙伍)
札幌を退団後、タイリーグ挑戦を決めた驚きの理由――2017シーズンに北海道コンサドーレ札幌を退団後、タイリーグへの移籍を決めた経緯を教えてください。
石井:札幌を契約満了になって、次のチームをどうしようかと考えた時に前シーズンのオフにプライベートで奥さんとタイに旅行に行った記憶が真っ先に浮かんだんですよ。タイの気候も料理も気に入って、本当に楽しかったという思い出があったので、タイでプレーしてみたいなという気持ちが芽生えました。タイで現役を終えるくらいの気持ちで、札幌の三上(大勝)GMなど多くの知り合いに相談をして紹介してもらい、複数のタイのチームに練習参加させていただきました。でも、タイのレギュラーシーズンは10月に終わるので、札幌を契約満了になった12月にはすでに外国籍枠がほとんど埋まってしまっていて。「J1からタイへの移籍ならすぐに決まる」と周りも言ってくれていたし、正直自分も甘い考えを持っていましたが、現実にはなかなか決まりませんでしたね。
――タイの外国籍選手枠は何人登録できるのですか?
石井:基本枠3人+アジア枠1人ですね。枠のほとんどがブラジル人やアフリカ人選手に使われるので、実質チャンスがあったのはアジア枠の1枠でしたが、移籍に向けた始動が遅かったのでなかなか決まりませんでした。日本でも並行してチームを探してはいたんですけど、自分の中ではタイが第一優先でしたね。結局約1カ月、タイに奥さんと行って、いろいろなチームの練習参加をして、やっとサムットサーコーンFCに移籍が決まりました。
――タイリーグで1年間戦ってみた、率直な印象は?
石井:初めての海外でしたし、言葉や文化の違いはすごく感じましたね。あと、タイでは外国籍枠選手に対する期待値がすごいんです。例えば僕が2点入れて引き分けになったとしても、勝てなかったのは僕のせいみたいな感覚。それくらいのプレッシャーはありました。その中で1年やれたのは、大変だったけどすごくいい経験になったと思います。それとハプニングが日常茶飯事でしたね(笑)。練習開始時間に行っても誰もいなかったり、試合中にブラジル人と口論になり、思いきりなぐられて鼓膜が破れ、試合後その治療のために行った病院ではゾンビ映画の撮影真っ只中で、大勢のゾンビたちの中で治療をしたり……(笑)。
――2019シーズンもタイでプレーすることは考えなかったんですか?
石井:もちろん考えました。ただ、実は所属していたサムットサーコーンFCは3カ月の給料未払いなどもあって。結局最後には支払ってはくれましたし、契約延長のオファーをもらったんですが、サッカー以外の面で不安なことが多すぎて、ここで続けるのは難しいなと。なので、タイでやるなら他のクラブと考えていて、実際に何チームかオファーもいただいたんですけど、納得できるオファーがなかなかありませんでした。
――札幌で共に過ごしたタイ出身のチャナティップ選手に相談したりしましたか?
石井:もちろんしました。最初にタイへ行く時にもチャナにはいろいろ相談しましたし、チャナも尽力してくれて彼が在籍していたクラブにも練習参加させてもらいました。でも、残念ながら契約には至らず、帰国も視野に入れ始めた頃、以前から気になっていた南葛SCの存在が浮かんだんです。あそこでプレーできたら面白そうだなと思って。
南葛SC入団を電話で即決「本当に上を目指しているという情熱を感じた」――南葛SCのどんなところにひかれたのですか?
石井:やっぱり『キャプテン翼』の原作者である高橋陽一先生が代表取締役を務めるクラブということで、すごく夢があるなと思って。何人かJリーグ経験のある選手も在籍していますし、当時から所属している(安田)晃大にも話を聞いて、今後サッカー選手を引退してセカンドキャリアを考える時にも生かせるような経験ができるチームだと感じました。
――引退後のことも見据えていたのですね。
石井:年齢も年齢でしたし、引退後のことはずっと不安に感じていました。南葛SCはセカンドキャリアについてもアドバイスをすると聞いたのも決め手の一つでした。それと、GMの岩本(義弘)さんの存在も大きかったですね。岩本さんはビジネスでもすごく顔が広く、信頼の厚い人だという話を聞いていたので、いろいろなことを学べるのではという考えもあって。やっぱり南葛に行きたいなと。
当初はつながりがなかったので、共通の知人を介して岩本さんを紹介してもらいました。それで直接電話をして「南葛SCでプレーしたいんです」と伝えたら、「一緒に闘おう」と言ってくださって、その電話で入団が決まりました。
――当時は東京都リーグ1部だったので、J1から数えると、実質7部リーグに相当するチームに移籍することになりましたが、ご家族から反対はなかったんですか?
石井:奥さんはいつも僕の意志を尊重してくれているので、もちろん相談はしましたけど、「とても面白そうなチャレンジだね」と言ってくれました。
――岩本GMの言葉で特に心を動かされたことは?
石井:やっぱり、本気で葛飾区からJリーグ入りを目指しているのを感じたことに、一番ひかれました。本当に上を目指しているんだという情熱を感じたので、自分も少しでもそこに貢献したい、一緒に夢を追いかけたいなと強く思いましたね。
岩本さんが「札幌の試合見てたよ」って言ってくれて、僕も小さい頃からセリエAの試合で岩本さんが解説をしていたのを見ていたのでうれしかったですね。また、僕が加入した時はまだJリーグ出身の選手が多くなかったので、 Jリーグでの経験をチームに伝えてほしいと言われました。僕もそういう気持ちだったので、期待に応えたいと強く思いましたね。
――南葛SCに入団し、プロ1年目と同じ背番号25を背負うことになったのは、何か意味があるんですか?
石井:おっしゃるとおり、札幌時代に最初に付けていた番号だったので、自分の中でも初心に戻ってこの番号を付けたいと思いました。
“リアル『キャプテン翼』”南葛SCの魅力とは
――最近では「南葛SCに行きたい」といったJリーガーからの相談も増えているのでは?
石井:「練習に参加したい」という相談はかなり来ます。Jリーガーから見ても魅力的なチームになってきたと実感しますね。
――とはいえ、Jリーグからカテゴリーを下げることに大きな抵抗もあると思いますが、「南葛SCなら行きたい!」と思われる理由は何だと思いますか?
石井:やっぱり、『キャプテン翼』の存在が大きいと思います。すごくロマンを感じますよね。高橋先生がクラブオーナーで、漫画でも出てくる、あの「南葛SC」ですから。みんなキャプテン翼を見て育ってきてますし、このクラブがJリーグに昇格したらすごく面白い!と誰もが思っているんだと思います。
――ちなみに、漫画で一番好きなキャラクターは?
石井:僕はやっぱり、札幌でチームメート(※トップチームにMFとして選手登録されている)だった松山光くんですね。
昼はベビーシッター、夜はサッカー。初めてのかけ持ち生活――実際に南葛SCに加入してギャップを感じたことはありましたか?
石井:加入した2019年は、まだ南葛SCの社員選手ではなかったので、サッカーをプレーする傍ら日中は自分で探した仕事をしながら、夜は練習という生活をしていました。今まで、働きながら練習するという経験がなかったので大変でしたね。
――練習は週にどれくらい行うんですか?
石井:加入した当初は週4~5で活動していましたが、今は基本的に月曜のみオフで、週に6回、チームのトレーニングや試合があります。
――加入当初は、どんな仕事をしていたんですか?
石井:ベビーシッターだったり、JFA(日本サッカー協会)が実施している夢先生の講師としての活動をかけ持ちしていました。
――それらは登録制でお仕事をするかたちですか?
石井:そうです。夢先生はJFAに登録していましたし、ベビーシッターもキッズラインというマッチングサービスに登録していました。キッズラインは最初、子どもたちにサッカーを教えるつもりで登録したんですが、通常のベビーシッターのご依頼もたくさんいただきました。小学校に子どもを迎えにいって、家まで送り届けて親御さんが返ってくるまで一緒に遊んだりするという内容です。サッカーの個人レッスンも含めて、平日の日中に毎日やっていましたね。
――ベビーシッターの仕事をしようと思った理由は?
石井:まず、南葛SCに入る前にはクラブが決まっていなかったので、万が一所属クラブが見つからずに引退となった場合、仕事を見つけないといけないと思って。それで今後、何をしようか考えた時に、僕は子どもと関わるのが好きだったので、子どもにサッカーを教えるようなことがいいかなと思ったんですよね。 それで、たまたま知り合いからキッズラインのことを教えてもらって、すぐ登録しました。まずは1回やってみようと思い、実際にやってみたら思いのほか楽しくて。自分のことを気に入ってくださり、1年通してお子さんを任せてくれたご家族もいて、そのご家族とは今でも交流があり仲良くさせてもらっています。そういう出会いもあり、1年間の経験でしたけど、本当にやってよかったと思っています。
30近くの個人スポンサーを獲得。社員選手として育み始めた営業力――昨年からは南葛SCの社員選手になりましたが、その経緯は?
石井:2019シーズンを戦い終えた後に、岩本さんから電話が来て「ぜひ社員になってくれないか?」というオファーをいただいたんです。ベビーシッターもすごくやりがいを感じていたので、正直、少し悩んだんですけど。30人近くのメンバーから、僕と(佐々木)竜太の2人を選んで話をしてくれたので、すごく光栄だと思ったのと、こちらはこちらでものすごくやりがいのある仕事だなと。あとは岩本さんの下で仕事ができるのは絶対自分にとっても勉強になると思って、「ぜひお願いします」と返事をしました。
――社員として、具体的にどんな業務をしているんですか?
石井:最初はパソコンも触れないし、電話の対応も何もやったことがなかったので何もできませんでした。幸運なことに、一緒に社員選手になった佐々木竜太が社会人経験もあったので、一から教えてもらいました。最初はパソコンを見るのも嫌だったんですけど、今ではパソコンを触るのも楽しいなという感覚になってきました。あとは『キャプテン翼』を見たり(笑)。でも基本は営業がメインなので、地域の飲食店や企業へあいさつ回りをしたりして、地域のパートナー企業を増やす役割が主な仕事ですね。
――実際に石井さんが声をかけたことからパートナーになってくれた企業もあるんですか?
石井:ありがたいことに何社か決まっています。僕は北海道出身なので、例えばすでに支援してくださっているLinkさんのように、北海道の企業に応援してもらいたいなという気持ちは強いです。なので僕が中心となって、今後もっと北海道のパートナー企業を見つけていきたいと思っています。それから、僕はやっぱり子どもと関わるのが好きなので、夢先生みたいなことを南葛SCの拠点である葛飾区の学校を回って実施し、キャプテン翼を交えて夢を持つことの素晴らしさなどを伝えています。
――葛飾区には「おらが街」といった風土も感じますよね。
石井:そうですね。葛飾区は人口も多いし、サポーターを増やすポテンシャルも大いにあると思います。スタジアム構想も進んでいるし、ますます面白くなると思うんですよね。
――昨年、南葛SCでは選手個人のスポンサーも募っていましたね。
石井:そうですね。公募してみたらいろいろな方から「ぜひやりたい!」といった話をいただいて、練習着も全部スポンサー枠が埋まって、ありがたい限りです。札幌時代から応援してくれていた小さい子どもまで「自分のお小遣いでやりたい」と言ってくれたりして、本当にうれしかったですね。
――個人スポンサーはどれくらい集まりましたか?
石井:約30くらいの企業、個人の方々から応募がありました。周りの人に声をかけてくれる方もいたりして。本当に驚きましたし、感謝しかありません。
前十字靭帯断裂。それでも現役続行を決めたクラブからの言葉
――昨年8月に左膝の前十字靭帯断裂の負傷をしてしまいましたが、当時の状況は?
石井:実はおととしの夏にも前十字靭帯をケガして、部分断裂だったので手術せずに保存療法で復帰しました。いつか完全に切れてしまうのかなと不安な気持ちはずっと持ちながらプレーを続けていましたが、案の定、昨年同じ所を完全に切ってしまって。正直なところ、もし切れたら引退だなと4年ほど前からずっと思っていたんです。実際に負傷した人のリハビリの様子なんかも見ても本当に大変そうでしたし、年齢も年齢だったので。
でも実際にケガしてみたら、辞めようとは思わなくて。「復帰に向けて、リハビリ頑張るか」って感じになりましたね。札幌時代のチームメートだった稲さん(稲本潤一)やトク(都倉賢)など前十字靭帯の負傷経験がある選手がすぐに連絡してくれて、リハビリの仕方や心持ちなんかも教えてくれましたね。
年齢のこともありますし、もしクラブから必要とされなくなったら引退するしかないので不安でしたが、クラブからも「復帰して、まだまだピッチで頑張ってもらうからね」という言葉をかけてもらえて、現役続行を決める大きな後押しになりました。やるしかないなと決意が固まりましたね。
「Jリーグに戻る」という夢を胸に…――ケガをした時、個人パートナーの皆さんからはどんな声が届きましたか?
石井:皆さんに負傷を報告したら、「みんな応援しているし、納得いく決断をしてほしい」という温かい言葉をかけてくれて。この人たちの分まで頑張りたいなと思ったし、個人パートナーを募ったばかりだったのでこのまま辞められないなと思いました。
――いろいろな人たちの思いを背負って、今は復活に向けて動いてるわけですね。
石井:そうですね、もはや自分のためというよりは、みんなのために頑張りたいという思いが強くて、今はその思いだけかもしれないです。そして南葛SCにもまだ何も貢献できていないので、クラブのために頑張らないといけないと思いますし、個人スポンサーの方たちにも喜んでもらいたい。みんなのためにピッチに復帰して活躍したい。今はその一心です。
――昨年は石井選手が負傷で欠場する中、チームは見事に目標としていた関東リーグ昇格を果たしました。当時の想いは?
石井:昇格がかかった試合を見るのは、自分がプレーするより緊張がすごかったです。それこそ自分も南葛SCの社員にもなって、より思い入れも強くなりましたし、勝たないと会社も大きくならないですし、本当にドキドキでした。終わった時は本当にホッとしましたね。絶対に昇格しないといけないというプレッシャーがチームにはありましたし、危機感がすごかったですから。
――今年、実際に関東リーグ2部でチームが戦う姿を見て、どのように感じますか?
石井:他のクラブよりも圧倒的に経験値があるので、安心して見られます。これからもっとよくなると思いますし、僕が入団した時と比べてもかなりレベルが上がっているので。練習を見ていても相当レベルが高いので、今後が本当に楽しみです。選手たちにとってはプレッシャーも大きいですが、それを乗り越えるだけの選手もいるし、経験値もあるし、あまり心配していないですね。自分も早く復帰して少しずつ試合感覚を取り戻していきたいです。チームのレベルがかなり上がったので、頑張らないと。
――復帰したら、どんなプレーを見せていきたいですか?
石井:復帰を楽しみにしてくれている人がたくさんいるので、まずは元気な姿を見せたいです。ケガでピッチからは離れてしまっていますが、いつもファンやパートナーの方々に温かい言葉をかけていただいているので。そして、やっぱりゴールをみんなに見せたいですね。ピッチに立てば、やれるという自信はあるので、勝負どころで試合を決めるような働きをしたいと思います。
――オフ・ザ・ピッチでの目標は?
石井:新加入選手もたくさん入ってチームがガラリと変わったので、どんどんコミュニケーションを取っていきたいです。僕は昔からイジられ役なので、若い選手、ベテラン選手問わずイジってもらい、チームが明るくなればいいなと考えています。あとは先日息子が産まれたので、良いパパになれるように頑張りたいです(笑)。
――石井選手の今後の夢は?
石井:南葛SCと一緒にJリーグに行くことです。またJリーグの舞台でプレーをしたいですし、クラブとしてもそこに大きな夢があるので。選手だけでなく今は社員でもあるので、選手としての働き以外のところでも、その夢に向けて貢献できたらいいなと思います。
<了>
PROFILE
石井謙伍(いしい・けんご)
1986年4月2日生まれ、北海道石狩市出身。幼少期からサッカーを始め、2005年にコンサドーレ札幌ユースU-18からコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)にトップ昇格。5シーズンプレーした後、2010年に愛媛FCへ移籍。2014年に札幌へ復帰し、2016年にチームのJ1昇格に貢献。2018年にはタイ2部・サムットサーコーンFCでプレーし、2019年より南葛SCに所属。