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なぜサッカー指導者は我が子を「アメリカ留学」させるのか? 元Jリーガー・中村亮が米大学に繋ぐ“夢”

REAL SPORTS 2021年7月9日 10時18分

熱心なFC東京ファン以外で、元プロサッカー選手・中村亮の存在を知る人は多くはないだろう。滝川第二高校、鹿屋体育大学で実績を積み、2004年に鳴り物入りでFC東京に加入。しかし、ケガの影響もあり翌年に現役引退。紆余曲折を経て、現在彼はアメリカへのサッカー留学サポートを行う会社の経営者として第二の人生に情熱を注いでいる。

彼の会社が留学をサポートする選手の中に「指導者のお子さんがすごく多い」という事実が何より物語る、文武両道を両立するアメリカで過ごす特別な4年間とは? またアメリカで成功できる日本人選手の共通点とは?

(インタビュー・構成=中林良輔[REAL SPORTS編集部]、撮影=星川洋嗣[MONSTER SMITH])前編は

英語力が劇的に伸びた“理想的な環境”との出会い

――元Jリーガーである中村亮さんが、アメリカの留学ビジネスと深く結びつくことになる経緯についてお聞かせください。

中村:さかのぼれば、とにかく一生懸命サッカーをやってきて、FC東京に入ることができて、そこまではすごく順調なサッカー人生だったのですが、プロに入って大きなケガもあって挫折を経験しました。最終的にゼロ円提示を受けて、自分の意思ではない形で、突然セカンドキャリアと向き合うことになったんです。

――引退後はどのようなキャリアを歩まれたのですか?

中村:中学校の先生や芸能関係の仕事を経て、28歳でアメリカに渡りました。最初に語学学校を挟んでから、短大に入り直したんですけど、その短大で初めて参加したサッカーの授業で、大きなターニングポイントを迎えました。

 入学してとにかくサッカーのことを忘れて勉強に集中していたんですけど、どうしても英語の習得という面で越えられない壁があったんです。その原因もはっきりしていて、友達づくりがすごく難しかったんです。やっぱりこちらから話しかけても「ああこいつ英語しゃべれないんだ」とわかると素っ気ない対応を受けたりして、英語が完璧に話せるようになるまでは友達ができないのだと思っていたんです。後から考えるとアメリカに行くと誰だって一度は経験するある種の通過点なんですけど。

 そんな中、大学でサッカーの授業があって、大人気なく一番ゴールを決めて、「いい汗かけた。よし帰ろう!」と思っていたら、授業終わりに同じ授業を受けていたサッカー部の連中が集まってきて「なんでそんなにサッカーがうまいの?」「サッカー部入りなよ!」と言ってきてくれたんです。その時の会話がすごく優しかったんですよ。

――元プロ選手だという話もされたのですか?

中村:はい。そのことに対する尊敬も加わって自分に対して「こいつはサッカーができるやつだ」と仲間として受け入れてくれたんです。そこから留学生活がガラッと変わってめちゃくちゃ面白くなって、英語のスピーキングも劇的に伸びていきました。同時に、英語は現地で友達をつくらないとやっぱり上達しないんだなと痛感しましたし、自分の特技、僕でいうところのサッカーを最初からもっと全面に出せばよかったんだと気づきました。

 あと、過去にプロ契約をした人は入れないなどの細かなルールがあるのでサッカー部には入らなかったのですが、仲間と一緒にサッカーをしていると、団体競技の特性上かなりピッチ内外での会話量が増えるんです。そういう環境で英語を学べる状況がすごく理想的だなと考えるようになりました。

サッカーと距離を置くために選んだ、アメリカ行き

――まさに自身の体験が現在のビジネスのベースになっているわけですね。当時アメリカのサッカーに対してはどのような印象を持っていましたか?

中村:留学中にトップレベルの大学の試合を何度か見に行ったのですが、それほど驚きを感じない自分がいました。ダイナミックさやフィジカルの強さはすごく感じるのですが、全体的に荒さも目につきました。同時に「ここに日本人選手が入ったら特長を生かして違いをつくれるんじゃないか」「そこに需要があるんじゃないか」と考えるようになりました。

――そもそもなぜアメリカに行こうと考えたのですか?

中村:人生に行き詰まっていて、環境を変えたいと考えたのが正直なところです。引退後いろいろな仕事にチャレンジしたのですが、やっぱりそれまで人生の全てを懸けてきたサッカーを超えるものにはなかなか出会えない。何か熱くなれるものがないかと模索していた中で、中学時代にブラジルに短期留学した経験が「面白かったな」と浮かんできて。英語の勉強もしてみたいし、海外へ行ってみようと思い立ちました。

――アメリカそのものにこだわりがあったわけではなく、とにかく一度環境を変えて日本を出てみようと。

中村:そういう感じです。さらにアメリカに決めた理由は一番サッカーと遠い国だったからなんです(笑)。それまでサッカーの遠征や対外試合で、英語圏のイギリスやオーストラリアには行ったことがあったので。せっかくなら今までに行ったことがない、さらにサッカーのイメージの強くない国に行きたいと思ってアメリカを選びました。

元プロサッカー選手の「見極め」が生かされるビジネス

――2015年にまずお一人の留学をサポートされたのがスポーツ留学サポートのビジネスの始まりということですが、それはどのようなきっかけなのですか?

中村:2013年に「WithYou」という会社を立ち上げて、まずはマーケットの大きい一般留学のサポートを始めました。先ほどお話ししたような自身の経験を踏まえて「スポーツ留学をビジネスにしたい」という思いは最初に会社を立ち上げた時から持っていたのですが、まずはそのコネクションづくりやノウハウを学ぶ意味と、さらに生活するための糧として。そんな中でたまたま知り合いからアメリカでプロを目指したいという女の子を紹介いただいて、アメリカ行きをお手伝いしたのが最初です。

――その経験が最初の実例になったわけですね。

中村:そうですね。初めて自分が頭の中で描いていたビジネスが現実になり、チャレンジした女の子も、受け入れた大学側もすごく喜んでくれて。本格的にアメリカの大学へのスポーツ留学を日本の子どもたちに選択肢として提供したいと思い至りました。

――そこから2021年には一学年89人のサポートをされるまでにビジネスが成長されます。

中村:2015年の1人からスタートしたビジネスですが、最初から一つの文化にしたいとの目標があったので。どれだけ希望者が増えても僕らのサポートが手薄にならないような準備と受け皿は常に整えてきました。

――素晴らしいですね。元プロサッカー選手という経験は現在のビジネスに生きていますか?

中村:もちろん生きています。一番大きいのは「見極め」の部分だと思います。この選手はこの大学に合うのではないか、という目利きは、適材適所や戦術面を含めて元プロとしてレベルの高い選手を見てきた経験が大いに生きています。


日本人選手が有利なポジションと不利なポジション

――中村さんから見てアメリカで成功する日本人選手の共通点はありますか?

中村:適応力だと思います。メンタルはすごく大事ですよね。どうしても日本にいると与えられた環境が当然素晴らしいというか、全部お膳立てされてプレーができます。アメリカでは言語も文化も違う中で、サッカー面でもこれまでの自分のサッカーを押し通すだけでは絶対に通用しないわけです。そういった変化を求められる場面で、自分が勇気を持って変えられるか。その部分の適応能力はかなり求められると思います。

――ポジションやプレースタイル的な面で需要の違いや成否の傾向はありますか?

中村:若干はあると思います。例えばセンターフォワード、センターバック、ゴールキーパーなど、体格が第一に求められるポジションは日本人にとって不利ですよね。サイドバック、サイドハーフ、ウィンガー、あとは真ん中の中盤、その辺はテクニックや俊敏性が求められるので、日本のサッカーがそのまま生きるポジションです。そういった接触を避けられるポジションはアメリカでも通用しやすい傾向はあります。

 ただし、例えばキーパーであれば、身長ではなかなか勝てないけれど、日本のキーパーは足元が器用だったりします。そうするとビルドアップでチームに貢献できる選手を探している監督にその点をアピールすることができます。センターフォワードにしても同様です。仮に体格が優れていなくても、シュート技術や、スピード、足元にボールがしっかりと収まる選手を求めているチームは絶対にあるので。

――選手の武器を生かしながら適材適所にということですね。

中村:そうですね。あと面白いのは、日本ではスピードスターとして活躍してきた選手が、アメリカで世界レベルのスピードを持つ選手と対峙して、ぶっちぎられたりするわけです。その時に選手自身がどう感じるか。そこで「やべえ、ぶっちぎられた。楽しい!」と、初めて味わう感覚を楽しめる選手も多いです。そういった日本で味わえない感覚を向こうでは味わえる。

――そういった壁を打開していく日々が成長にもつながるはずです。

中村:そうですね。結局それを自分の糧にできるかどうか。成長するための必要なステップとして楽しめるかどうかが選手として上に行けるかどうかの境目なのかなという気はします。

日本の育成年代に「早熟」を感じる2つの理由

――日本の育成年代に感じる課題はありますか?

中村:日本人選手は総じて早熟だと感じます。早熟の意味は2つあって、1つは育成年代からトレーニングをしすぎる環境。欧米はオフシーズンが必ず年に1カ月はあって、その間は体を休める。いわゆる慢性的な疲労が大きなケガにつながるのを予防したり、しっかり体を成長させるだけの休養を取る期間を確保します。日本でも今まさに議論されていることですけど、オーバートレーニングになっている傾向はあると思います。

 もう1つは、育成年代の選手に対して「こういう時はこうするんだ」と指導者が正解を与えすぎているように感じます。そのためゲームの中で同じような選択をする選手が多いという印象です。コロナ禍前にはアメリカの現役監督を招待してトライアウトを行っていたのですが、「みんなうまいんだけど、プレースタイルが一緒だね」という意見が多かったですね。

――個性の部分で足りないものがあると。

中村:総じて基礎となる部分ができているということなので、良い悪いは判断が難しいですが、ベーシックな部分は持ち合わせつつ、そこに選手それぞれの個性をいかに上乗せできるかが今後の課題なのかなという気はします。

 あとは語学ですよね。当然向こうの監督としては同じくらいの能力の選手であればコミュニケーションが円滑にいくほうを選びます。もともと島国である日本には文化として海外の言語が入ってきていないので、これを抜本的に教育なりで変えていくことができれば、サッカーの海外進出にも直接的な好影響を及ぼすことは間違いないと思います。

人生における特別な4年間を生み出す「夢の力」

――中村さん自身、日本の大学サッカーを経験されています。日本の大学は日本の大学でサッカーの環境やレベルが年々上がっているなと感じますが、あえてアメリカに行くという選択肢に可能性を感じている理由は?

中村:まず海外でプロ選手になることを目指す上でのステップの位置づけです。当然、高卒で直接ヨーロッパの主要リーグでプロになれるような、トップの選手たちはヨーロッパという選択肢を優先すればいいと思います。それ以外の選手たちの最初の準備期間として英語をマスターできて、海外のサッカーに慣れるという2つ要素が経験できる点にメリットがあると思います。そして仮にプロ契約がかなわなかった場合でも、きちんとやり抜けば大学卒業の学位も取得できる点も大きなメリットです。

 あとはチャレンジしたいことが日本の大学では収まらない、学びたいことがサッカー以外にも無限にあるタイプの選手。そういう選手たちは早めに海外に出て、世界にはこういう選択肢がある、こういう人たちがいる、ということを目の当たりにすべきではないかと考えています。アメリカの大学、特に一流大学に行くと当然周りにいる生徒たちもスペシャルなので。サッカーでも勉強でも、規格外の新しい仲間に出会うことができます。

――とても刺激にあふれていますね。

中村:人生の中における4年間ってすごく限定的です。それでも、この年代で海外の大学を選択することは、以後の人生に対して与える影響がすごく大きいと思うんです。一方で、アメリカの大学に行くから一生アメリカに住むわけでもないですし、ほとんどの人は小中高と十分に日本での教育は受けてきているわけです。アメリカで過ごす4年間は、視野を広げるという意味では意義深い4年間になるはずだと思います。

――一般の留学生よりもサッカーという目的や環境がはっきりしている点も魅力的です。

中村:コロナ禍を受けて、一般留学は大きな影響を受けている状況ですが、その中でスポーツ留学は右肩上がりなんです。これってやっぱり「夢の力」だなと思っています。また来年行けばいいかではなく、今じゃないと実現できない夢。そこがスポーツの魅力であり、厳しさでもありますが。

指導者がわが子をアメリカに送り出す「両立」の時代

――サポートされている選手たちに指導者の方のお子さんが多いとお聞きしました。

中村:そうですね。留学をサポートしている子どもたちの中には、現場の指導者の方や元選手などサッカー関係者のお子さんがすごく多いんです。実際にサッカー界のど真ん中にいる方々が、自分の最愛の子どもにベストな環境を提供したいと考えた上で、アメリカ留学をお子さんに勧めているということは、僕らにとっても光栄なことですし、やりがいにつながっています。

――何よりの評価ですね。

中村:僕らの時代は、何か一つを手にするためには他を捨てなければならなかった。学位取得のための留学なんてするんだったら、サッカーでプロを目指すなんて無理だよといわれる時代でした。それが今は大学というカテゴリーで世界中から選手が集まるレベルの高いサッカーができる環境が生まれて、サッカーと学業を両立できるわけです。

――サッカーをやる環境としても、人生勉強の意味でも面白い選択肢になり得るわけですね。

中村:嫌いなことをやれと強要しても子どもはやらない。そもそも存在を知らない選択肢を選ぶこともできない。じゃあいかに楽しいものに出会わせられるかなんですけど、いろいろなものを味見させてあげないと好きなものも出てこない。子どもにとって強制されている感覚がなく、純粋に楽しそうだと思えるきっかけづくりがすごく大事だと思います。

――最後に、日本の育成年代の選手たちやその親御さんに何か伝えたいメッセージはありますか?

中村:まずは、すべてをサッカーに懸けられる日々は有限だということです。自分がサッカー選手だった時は、言葉では引退があることを知ってはいたものの、本当の意味では理解しておらず、漠然と一生サッカーができるという感覚で日々を過ごしていたように思います。時に練習がだるいとか、休みになったらラッキーなどと思うこともありました。それが引退して初めて、日々終わりに近づいていたんだと痛感しました。その苦い思いを、毎日サッカーに取り組んでいる高校生や大学生には伝えたいです。仮にプロ契約しなかったら、実はすべてをサッカーに懸ける日々は現時点でキャリアの終盤であることを理解し、後悔のないように毎日のサッカーと向き合ってほしいです。

 そしてもう一つは、人生はサッカーだけでは完結しないということです。例えば小学1年生(6歳)から大学卒業(22歳)までサッカーに打ち込んでも16年。それでも、その後の社会人としての約45年間に比べれば約3分の1です。現役時代を振り返って多くの人がとても長かったと感じるサッカー人生よりも、約3倍もの期間を、サッカー以外の何かと向き合って人生を生きていくわけです。僕自身、引退直後に反省したのが、現役時代にサッカー以外のことにもっと興味を持つべきだったなということです。24時間トレーニングをしているわけではないので。

 そういう意味ではアメリカの大学に行くという選択肢は、サッカーに真剣に向き合いながらも、サッカーだけに留まることのない広い視野を得られる経験ができます。そのことをもっと世の中に知ってもらい、お手伝いすることが、今の僕の使命なのかなと考えています。

<了>






PROFILE
中村亮(なかむら・りょう)
1981年8月13日生まれ、兵庫県出身。株式会社WithYou代表。中学時代にブラジルサッカー留学を経験し、滝川第二高校では選手権ベスト4に進出。鹿屋体育大学時代は大学選抜としてユニバーシアード優勝も経験。大学卒業後、2004年にFC東京に加入。プロサッカー選手になる夢をかなえる。ケガの影響もあり2005年限りで現役を引退。引退後は中学校教諭、芸能活動などを経て、英語力をつけるためにアメリカへ留学。自分と同じように夢を追いかける人の手助けになればとの強い思いで起業を決意。現在はWithYou代表として、精力的にサッカーを中心としたアメリカへの留学サポートを行う。

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