30日、東京五輪のトランポリン女子予選・決勝が行われる。金メダルの大本命として期待されるのが、森ひかるだ。2019年の世界選手権で日本人初の優勝を果たした天真爛漫(らんまん)な22歳の少女には、彼女だけの武器がある。中学生で日本一となり、青春の全てをささげてきた。無邪気な笑顔の裏で、心の片隅に巣食う恐怖心。“200円”から始まった珠玉の物語の結末は――。
(文=藤江直人)
金メダル大本命にまで成長した森ひかるがトランポリンと出会った場所空中遊泳に魅せられたのは4歳の時。天真爛漫な少女は日本トランポリン界のエースになり、22歳で迎える今夏にはオリンピアンとして自国開催の夢舞台に立つ。
有明体操競技場で30日に予選および決勝が行われる東京五輪の女子トランポリン。2019年に日本で開催された世界選手権で男女を通じて日本人初の金メダルを獲得、さらには今年6月にはイタリアで開催されたワールドカップ第6戦で日本人女子初優勝を果たし、金メダルの大本命として臨む森ひかるは意外な場所でトランポリンと出会った。
生まれ育った東京・足立区の自宅近くにあるスーパーマーケットの屋上。200円で7分間跳べるアトラクションを見たときに、子ども心に抱いた好奇心がきっかけだった。
「自分でもよく覚えていないんですけど、買い物でスーパーマーケットへついていって、終わった後に屋上にあったトランポリンで跳んだのが初めてだったと母親からは聞かされています。跳びはねることがすごく楽しかったみたいで、制限時間が終わってもすぐにまた跳びたいと、母親に何度もねだっていたみたいですね」
4歳年上の双子の兄と共にすぐに地元のスポーツクラブに入り、トランポリンを始めた森は、程なくして別のスポーツクラブへと移っている。理由を聞けば跳ぶことよりも空中で宙返りをすることに、いかに大いなる興味を抱いていたかが伝わってくる。
「最初に入ったクラブの先生が、空中宙返りを教えない方針だったんですね。でも、いざ試合会場へ行って空中宙返りをしている子どもたちを見ると、自分もやってみたいと思ったんでしょうね。ただ、最初のクラブの先生はものすごく厳しくて、トランポリンの基本をしっかりと教えてもらったことが、後になって生きていると思っています」
森ひかるの代名詞「トリフィス」。小6から挑み続けた高難度技高いレベルのクラスへ進んでいった兄たちが最初のライバルになった。年齢も性別も、ましてや体格の差も関係ない。今現在にも通じる思いが常に森を突き動かした。
「私、ものすごく負けず嫌いなんです。小さな頃は兄たちと同じ技で跳んでいましたし、兄たちよりもうまくなりたい、兄たちよりも先に技を覚えたいといつも考えていたので」
好奇心と負けず嫌いとが相まって、世界の一流選手が跳ぶ大技に挑んでみたいと思い立った。宙を舞う間に前方へ3回転して、なおかつ最後の回転時に体を半分ひねる、トリフィスという高難度の技があると聞きつけたのは小学校6年生の時だった。
「当時はトリフィスを跳べる日本の女子選手が少なかったという事情もあって、じゃあ私がやってみようと。バンジージャンプのように体をつる補助器具がたまたまクラブにあったので、できそうかなと思ったんですよね。それを着けて挑戦してみたら、これが成功したんですよ」
競技トランポリンは100本を超えるスプリングで周囲と結びつけられた、縦4.28m、横2.14mのベッドと呼ばれる長方形のシートの上で跳んで演技を競い合う。ベッドの中心に近ければ近いほど着地時に深く沈み、反発力を利用して宙高く舞える。
ただ単に跳ぶだけではない。10本のジャンプを続けて、全て異なる技で跳んだ上で、技の難しさとなる難度点(Dスコア)、技の美しさとなる演技点(Eスコア)、ベッドの真ん中に着地できるかどうかが問われる移動点(Hスコア)、滞空時間の長さとなる跳躍時間点(Tスコア)の合計で順位を競い合う。
女子のトップ選手で最高到達点が約7m、一度のジャンプの滞空時間が2秒弱となる。難度点の高いトリフィスはわずかな間に縦への3回転と横への半回転を組み合わせ、さらに足からしっかりと着地する。説明を聞くだけで難しさが伝わってくる。
トリフィスはさらに、前方回転する際の姿勢で3つに分けられる。両膝を曲げて胸の前で抱え込む抱え型(タック)、両膝を曲げずに両手で抱える屈伸型(パイク)、そして体を真っ直ぐに伸ばした伸身型(ストレート)となる。
14歳で全日本優勝も挫折を味わい……、高1で下した人生を変える決断「トリフィスの中で最初にタックが、次にパイクができるようになりました。残る伸身型姿勢でのトリフィスとなると、女子ではまず回れないんですね。男子の選手は跳んでいますけど、高さも必要になってきますし、女子は筋力も全然違ってくるのでかなり難しい。伸身の前方2回転宙返りができる女子選手もそれほど多くないので」
こう語る森は2013年12月に全日本選手権を史上最年少で優勝する快挙を達成。14歳の超新星として脚光を浴びたが、当時は演技の中にトリフィスをまだ入れていなかった。
ただ、同年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で招致が決まっていた、生まれ育った町で開催される東京五輪の存在はこの時点で強く意識していた。
「年齢制限があって2016年のリオデジャネイロ五輪に出られない私にとって、東京五輪が初めて迎えるオリンピックのチャンスになるので。自分が生まれ育った国で開催されるオリンピックに絶対に出る、と思うようになりました」
リオデジャネイロ五輪の男女トランポリンの出場資格は、1998年12月31日以前に生まれた選手と定められていた。1999年の七夕に生まれた森は、連覇を目指した2014年の全日本選手権で初めてトリフィスを披露した。
結果はタック、パイクともにトリフィスを成功させたものの、最後のジャンプの着地時に転倒。練習を含めて記憶にない大失敗による減点が響いて7位に終わった。
ほろ苦い経験は練習環境だけでなく、生活環境をも一変させる決断へとつながる。都立高校の1年生だった2015年の秋に、森はトランポリンの盛んな石川県の中でも強豪校に位置づけられる、金沢学院東高(現・金沢学院高)へと転校した。
父親や兄たちと離れ離れになり、母親の美香さん、よく跳びはねることで“ジャンプ”と命名された愛犬トイプードルと共に見知らぬ土地へ移り、金沢学院大学クラブの監督で、日本体操協会トランポリン女子強化本部長を務める丸山章子氏に師事した。
トリフィスを封印。恩師の戦略を信じ、結実した地道な鍛錬しかし、新天地で待っていたのはトリフィスの封印だった。東京五輪を見据え、トータルで高得点をたたき出すための丸山監督の戦略に、森も納得できるものがあった。
「実は初めてトリフィスをプログラムの中に取り入れたときも、演技点と跳躍時間点がかなり下がっちゃったんですね。なので、難度点を上げるだけじゃダメなんだ、と」
満を持す形でトリフィスが解禁されたのは、金沢学院大学スポーツ健康学科の2年生に進級していた2019年の夏。地道なトレーニングで筋力や心肺機能を鍛え続けた成果は、同年12月に日本で開催された世界選手権制覇、東京五輪代表内定となって結実する。
世界の頂点に立った女子個人決勝の演技で、森は1本目にパイクの、3本目にタックのトリフィスを成功させている。しかも、世界でも稀有(けう)な付加価値をも伴わせていた。
ほとんどの女子選手が最高到達点後に3回転目に入る中で、森のトリフィスは最高到達点前か、あるいは最も高い位置で3回転目に入る。難しさに高さ、美しさが完璧に融合された、東京五輪の金メダルをターゲットに据えた森だけのトリフィスだった。
「できる、できる、できる」。小4で骨が粉々になる経験、今も怖いと感じる瞬間も…10本を続けて跳べば、陸上競技で300mを全力疾走するのと同じくらいのエネルギーを消耗する。最高到達点がビルの3階分の高さに当たるだけに、着地時には体重の10倍以上もの負荷がかかる。当然ながら心の片隅には恐怖心も巣食う。
「やっぱり怖いと思う瞬間はあります。少しでも自分の感覚と異なったりすると、演技中でも次のジャンプが怖くなるときもあります。でも、最後は自分がやるしかないので。跳び始める前に『できる、できる、できる』と自己暗示をかけたりしていますね」
演技中の胸中をこう明かしてくれたことがある森自身、小学校4年生の時に一度だけ心が折れかけた。着地の際にバランスを崩し、左手を突いたときにポキッという音が体内から響いてきた。肘から先を見ると、ありえない方向に曲がっていた。
「骨が粉々になって、さらに神経を挟んでいたんですね。神経が切れなかったのが不幸中の幸いでしたけど、その時はトランポリンをやめるつもりでした。それほど怖くなってしまったんですけど、入院先で同室になった方に『やめたい』と漏らしたら、逆に『そんなことでやめたらダメ』と励ましてくださったんですね。退院してからは、兄たちを迎えにいこうとクラブに顔を出すと、みんなが楽しそうに跳んでいる。私もトランポリンの上を歩いたりして、その時の感覚がやっぱりうれしくて」
子ども心に抱いた恐怖心を、トランポリンに魅せられた思いが上回ったと表現すればいいだろうか。宙を舞う瞬間にしか感じられない醍醐味(だいごみ)があると森は屈託なく笑う。
「空中ではビューン、ビューンと空気を切るような音が聞こえるんです。普段は味わえないような、高く跳び上がらないと聞こえない音なのかな、とは思っています。目が回ったりしないのとよく聞かれるんですけど、実際にはそういうことはないんですよ。演技に全ての神経を集中させているので」
わずか20秒の演技に、青春時代にささげた全てを懸ける。日本人初のメダリストへ集中させているのは神経だけではない。中学生時代にまばゆいスポットライトを浴びた天才少女は覚悟を決めて、多感な青春時代を「努力」の二文字で埋め尽くしてきた。
1回の演技に要する時間は20秒ほど。予選と決勝を合わせても1分に満たない時間の中で繰り出す一世一代の演技に、積み重ねてきた喜怒哀楽の全てを凝縮させる。
2000年のシドニー五輪から正式種目に採用されたトランポリンで、日本はまだメダルを獲得していない。男子は前回リオデジャネイロ五輪まで3大会連続で4位とあと一歩及ばず、女子の最高位はシドニー五輪で6位に入賞した丸山監督だ。
恩師を超えるだけでなくメダルを、それも金色に輝くそれを手にするために。周囲を笑顔にさせる無邪気な一挙手一投足の内面に、勝負師の一面を脈打たせるキュートなシンデレラは「できる、できる、できる」と心の中でつぶやきながら決戦の舞台に立つ。
<了>