2日夜、東京五輪・アーティスティックスイミングが行われる。かつてオリンピック6大会連続で全種目のメダルを勝ち取った“シンクロ”は、日本のお家芸と呼ばれた。時はたち、ロンドンではメダルゼロの屈辱を味わい、リオで再び表彰台に上った。苦難の時代と復活の喜び、その両方を知る日本のエース、乾友紀子の挑戦が始まる――。
(文=沢田聡子)
オリンピック3度目の挑戦。乾友紀子の紆余曲折を経た半生日本人離れした美しい足を持つ乾友紀子は、誰もが認める日本のエースだ。2008年北京五輪後に日本代表入りした乾は、2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪、2020(+1)年東京五輪と3大会連続でオリンピックに出場することになる。押しも押されもせぬ存在感を発揮する乾だが、その競技人生は紆余(うよ)曲折に満ちている。
乾は1990年12月4日、滋賀県近江八幡市に生まれた。まだ幼稚園児だったころにシンクロナイズドスイミング(※)日本選手権のテレビ放送を観て興味を持ったという乾は、小学校入学後、地元の滋賀シンクロクラブで競技を始める。素質を開花させた乾は、小学6年生の時に大阪の井村シンクロクラブ(現・井村アーティスティックスイミングクラブ)に入り、名伯楽・井村雅代コーチの指導を受けることになる。
(※2018年4月に競技名をアーティスティックスイミングに改称)
1978年に日本代表コーチになった井村氏は、シンクロが正式種目となった1984年ロサンゼルス五輪から2004年アテネ五輪まで6大会連続、全種目で日本を表彰台に導いてきた。アテネ五輪後に日本代表コーチを退任、2006年12月に中国代表のヘッドコーチに就任し、2008年北京五輪で中国に五輪初のメダルをもたらす(チーム種目で銅)。2012年ロンドン五輪でも中国を率い、今度はデュエット・チームの両種目で表彰台に立たせ(チームで銀、デュエットで銅)、2014年に日本代表コーチに復帰した。
初めての五輪は失意の両種目5位。恩師と共につかんだリオの銅早くから井村コーチの秘蔵っ子として知られていた乾は、2006年世界ジュニア選手権ではソロを含めた3種目で銅メダリストになっている。しかし乾が代表入りした時の日本は、それまで全大会・全種目で取り続けていたメダルをチーム種目で初めて逃した北京五輪の後で、苦難の時期の入り口にいた。そして恩師である井村コーチは、当時は日本代表で教えることがかなわない状況にあった。
日本代表でも頭角を現した乾は、ロンドン五輪でチーム種目だけでなく、井村シンクロクラブの先輩・小林千紗と組んでデュエットにも出場している。しかし、北京五輪後に陥った低迷から抜け出せずにいた日本は、両種目で5位に終わり、初めてメダルを一つも獲得できなかった。
ロンドン五輪のデュエット予選が行われた日、会場から選手村に向かうシャトルバスで、乾・小林と中国のヘッドコーチとして大会に参加していた井村氏が、3人だけで話すことができた場面があったという。もっとエネルギーを出して泳ぐように、という井村コーチのアドバイスが効いたのか、決勝での乾・小林組の泳ぎは予選よりも勢いが増していた。
2016年リオ五輪、さらには2020年東京五輪を見据え、日本の現状に危機感を抱いた金子正子元日本水泳連盟シンクロ委員長の働きかけもあり、井村氏は2014年から日本代表にコーチとして戻ってきた。乾は、ようやく恩師のもとで日本代表としての練習が積めるようになったのだ。三井梨紗子と組んだデュエットで、2015年世界選手権(ロシア・カザン)ではテクニカルルーティン<以下TR>で銅メダルを獲得(※TR・フリールーティン<以下FR>の合計点で競うオリンピックと違い、世界選手権ではTR・FRでそれぞれ別の順位がつく)。そして2016年リオ五輪のデュエット種目でも三井とのペアで3位となり、悲願であったオリンピックの表彰台に立つ。リオ五輪まで井村コーチの厳しい指導に耐え抜いた日本はチームでも銅メダルを獲得、ようやく五輪の表彰台に戻ってきた。
東京五輪のペア・吉田萌と歩んできた3年間の絆多くのパートナーと組み、長く日本代表デュエットとして活躍してきた乾は、今夏の東京五輪には吉田萌とのデュエットで出場する。吉田は乾にとり、日本代表デュエットでは7人目のパートナーとなる。身長170cmの乾と169cmの吉田はよく似た美しく長い足を持ち、見栄えのする大型デュエットだ。井村コーチも認める音感の良さも、2人の武器となる。
しかしデュエットを組んだ当初は、圧倒的な実績にもかかわらず控えめな性格の乾と、大先輩の相方に抜てきされた吉田はお互いに遠慮し、本音を言い合うことができなかったという。2018年6月の試合に初めて吉田とデュエットを組んで出場した乾は、その約1年後の2019年4月に行われた日本選手権で「デュエットを組み始めて、最近やっと本音で話し合ったりできるようになってきたので、そこを超えて成長につながったのではないかと思います」と話している。
「(デュエットを組んだ当初は)技術的な演技の内容については話し合っていたのですが、精神的なモチベーションや目指していくものについては、あまり深くしゃべっていなかった。今どう思っているかは察して過ごしてきたところもあったので、ちゃんと『自分はこう思っている』と言うことによって『あ、今はこうなんだな』と分かるように(なった)」
「私自身もペアが変わることが多かったので、そこに対する自信がなかったというのが(本音で話し合えなかった)理由なのですが、『それを言っていたらいいデュエットはできない』と思って、『しっかり自分が引っ張っていかないといけないな』と反省しました」
井村コーチは「何回吉田が失敗しても、乾に『あなた怒りなさいよ』って言うんですけど、何にも言わない」と吉田と組んだ当初の乾を振り返っている。「あなたも勝ちたかったら『私はこんな気持ちでデュエットに取り組んでいるんだ』という思いを言いなさい」と言う井村コーチに、乾はこう答えたという。
「私の押し付けになるから、言えない」
井村コーチはそんな乾に「違う、言ってごらん」とさらに諭し、ようやく2人はお互いに本心で話し合うことができた。度重なるペア解消の経験による恐れを乗り越えようという乾の努力が、吉田との意思疎通につながったのだ。
乾が演じた「女の情念」。その表現は東京五輪・デュエットでも生きるまた、乾は2019年世界選手権(韓国・光州)のソロ種目でメダル(TR・FR銅)を獲得している。穏やかな性格ゆえか、ソリストに必要なアクの強さに欠けるきらいがあった乾だが、この世界選手権で泳いだFR「オンディーヌ」で変貌を遂げた。
この世界選手権のFRを作るにあたり、どんな作品を泳ぎたいか井村コーチに問われた乾が迷わず目標として挙げたのが、奥野史子の「夜叉の舞」だったという。井村の教え子で高い技術を持っていた奥野が、表現面での進化を目指して挑んだ「夜叉の舞」は、1994年世界選手権(イタリア・ローマ)・ソロ種目で芸術点オール満点を得た伝説のルーティンだ。笑顔で泳ぐという不文律を破った、女の情念を表現する“笑わない”シンクロ「夜叉の舞」に憧れる乾が選んだテーマは、人間の男性に恋し、裏切られる水の精の物語だった。大舞台で乾は、エンターテインメント集団『THE CONVOY』のメンバーである舘形比呂一氏に依頼した振り付けを泳ぎ切り、オンディーヌの激しい怒りをすさまじい表情で演じてみせた。銅メダルを獲得した乾は、血を吐きそうなほどつらいというこのFRに懸けた思いを、テレビのインタビューで語っている。
「このFRは、井村先生、振り付けの舘形さんと時間をかけて、自分のやりたかった変化(へんげ)を入れて練習してきた。自分もすごく今までと変わったところを見せられると思ったので、『あとはやってきたことを伸び伸びと出そう』と思って泳ぎました」
ソロ種目はオリンピックにはないが、乾のソリストとしての実績は、東京五輪のデュエットでもプラスに働くはずだ。乾は昨年11月の日本選手権でソロ種目(TR)にも出場しており、2022年に福岡で開かれる世界選手権にソリストとして臨むことも考えているのだろう。
予想されるウクライナとのメダル争い。代表で唯一五輪経験者にかかる期待突出した強さを見せるロシアを中国が追う世界の現状で、東京五輪で日本がメダルをめぐって競う相手はウクライナになる可能性が高い。五輪種目(チーム・デュエット)に限れば、日本がウクライナをしのいで獲得したメダルは、2017年世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)ではチームTR(銅)のみ(デュエットTR・FR4位、チームFR4位)で、2019年世界選手権では一つもない(デュエットTR・FR4位、チームTR・FR4位)。厳しい状況で迎える東京五輪で、代表の中で唯一オリンピック出場を経験している乾は、間違いなく日本を引っ張る存在になる。
1984年ロサンゼルス五輪から2004年アテネ五輪まで6大会にわたり、井村コーチと共に日本代表を支え続けた金子元日本水泳連盟シンクロ委員長は、今回の東京五輪に向かうにあたっても井村コーチの良き相談相手となっている。金子氏の、乾に寄せる期待は大きい。
「今回は大きな海外試合には出たことのない選手も多い中で、乾選手のリーダーとしての役割は大変なものです。『彼女のひたすらやり続けられる真摯(しんし)さは、“選手としてこうあるべき”という心構えを気付かせるいい手本になっている』と井村コーチも話していました」
日本が苦しい時期を迎えた時に代表入りし、勝てない苦しさと復活の喜びを知る乾は、恩師と共に日本代表を東京五輪の表彰台に導こうとしている。
<了>