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“サッカーができないほど貧困”は日本に存在するのか? 「リアル貧乏だった」小林悠が語る実体験

REAL SPORTS 2021年9月7日 11時45分

お金がなくてサッカーができない子どもたちを支援する「子どもサッカー新学期応援事業」という活動に90世帯102人の応募があったという。この数字に対して「多いと思ったのと、『いや、もっといるだろうな』とも」との思いを語る川崎フロンターレの小林悠は、love.fútbol Japanが主催するこの活動に参画する選手の一人だ。自身も「リアル貧乏だった」と話す小林とともに彼自身の幼少期の経験を振り返りながら、“サッカーと貧困とは何か”について考える。

(インタビュー・構成=守本和宏、写真提供=川崎フロンターレ)

サッカーができないほど貧困、は日本に存在するのか

サッカーと貧困。
金銭的に貧しくて、サッカーができない子どもを支援する。

そう聞いて、思うのだ。果たして、この日本でどれほどの人が本当の意味でお金に困っているのか、と。

2007年にコパ・アメリカの取材で訪れたベネズエラでアイスを売りに来たおじさんは、月収300ドル(当時約3万6500円)で重度の貧血を抱える娘さんの治療費を稼いでいた。ペルーの麻薬更生施設の人々は、ボロボロのスパイクで楽しくサッカーをしていた。

それに比べて、現代の日本で、どれほどの人が“サッカーをするお金”に困っているのか。サッカーはお金がなくてもできるスポーツの代表だ。リオネル・メッシは「サッカーで大事なことはストリートで学んだ」と語り、ズラタン・イブラヒモビッチは両親の離婚後に生きるために物を盗んだと自伝『I AM ZLATAN』で明かしている。フィギュアスケートやゴルフはお金がかかるが、身の丈に合わせて強くなれるスポーツ、その代表がサッカーだ。必ずしもうまくなるのに、お金が必要なわけではない。

「お金がなくてサッカーができない人を支援する。その希望者を募集した」。そう聞いて、例えば10人か、多くて20人か。その程度の数だろうと、最初は思った。しかし、1カ月で集まったのは90世帯102人からの声だったのである。「へぇー」と驚くと、その声に加藤遼也代表も反応する。 

「そう、思いますよね。私も30件くらいかなと想定していました」。よく内容を聞くと、確かに。単純な離婚による経済的不安、もうちょっとお金があれば○○できるのに、といった“世界的に見れば裕福だがお金がほしい”との要求とは、少し事情が違うようだった。

サッカーを通して見えてくる日本が抱える社会問題 

love.fútbol Japanが2021年1月25日から1カ月間募集を行った、「子どもサッカー新学期応援事業」。日本全国の経済的・社会的理由でサッカーをしたくても諦めている10~20歳未満の男女を支援する企画だ。これに、27都府県100人以上の希望者が集まった。

志望者の声に耳を傾けると、息苦しい現実が見える。

「息子が5歳の頃父親を癌(がん)で亡くしました。小さな体で悲しみ苦しみつらさを受け止めた息子に、人生は悪いことばかりではないと夢を与えてほしい」

「夫がうつ病を発症し仕事に行けなくなった。日々どうやって過ごすのかに必死で、サッカーは後回しにしていた。コロナ禍で私のパート収入も減り、主人の給料も手当がつかなくなったが、サッカーは続けさせてあげたい」

「1年生の時から、放課後クラブでサッカーをしているが、周りは本格的に習っている子どもが多く、上達しない息子は『邪魔だ!』『いないほうがいい!』など心無い言葉を掛けられ続け、心を痛めています。弟と一緒に、公園でボールを蹴る練習をしている子どもにサッカーボールを使わせてあげたい」

これは、いわゆる子育ての問題。日本が抱える、社会の問題でもあるのだと感じた。

このプロジェクトに賛同し、「企画を聞いてすぐ参加したいと思った」と語る川崎フロンターレの小林悠に、その答えを求めた。自身の過去に照らし合わせて語る真実、彼が見た「サッカーと貧困とは何か」を聞いたのだ。

「僕、実は幼少期リアル貧乏だったんです」

――日本国内で経済的・社会的理由でサッカーをしたくても諦めている子どもたちに支援を送る「子どもサッカー新学期応援事業」に参画されました。その経緯を教えてください。

小林:最初は、元川崎フロンターレで今は愛媛FCに所属する森谷賢太郎からLINEがきたんです。僕、実はリアル貧乏だったんですよね、幼少期ですけど。love.fútbolの話を知った賢太郎から「実際どんな感じだったの?」と聞かれて、子どもの時は生活とか苦しかったと話して、「なんでそんなこと聞くの?」という話から詳細を聞きました。自分と同じような体験をしている子どもたちがいるなら、ぜひ協力したいと思って参画した形です。

――実際に企画の内容を聞かれて、どういう印象を受けられましたか?

小林:まず、すごくいい活動だなと正直に思いました。あとは自分の幼少期もそういう活動があればよかったなとも思いました。夢を諦めてしまう子どももたくさんいたはずなので……。

――参画に際して他の誰かに背中を押されましたか?

小林:僕だけの考えだけじゃなくて、妻にもすぐ話しました。妻は基本的に僕のやることはなんでも応援してくれるので、いい活動だねという感じで背中を押してくれました。

「知らなかった」「どう始めたらいいのかわからない」選手は多い

――社会活動に参画するにあたって、心理的なきっかけはありましたか?

小林:そういった活動が何かできればと、以前からぼんやりと考えていました。でも、実際にそういう話が周りになくて。きっかけさえあれば始めたいと思っていたのですが、誰に聞けばいいかもわからない。そんな中で賢太郎がLINEをくれて、それを聞いた瞬間、すぐ何か僕にやれることはないかなって思いましたね。

――やはり“知らない”ことが活動への一歩を踏み出せない要因として大きいですか?

小林:Jリーガーとか、サッカーだけに限らずそういうことに協力したい選手はたくさんいると思うんです。ただ、僕みたいに「知らなかった」「どう始めたらいいのかわからない」という人が多いのではないかなと思います。

――自身が親である点も、活動を後押しする原動力となりましたか?

小林:そうですね。僕も多分子どもがいなかったら、そこまで真剣に考えられなかったと思うんです。でも、シンプルに子ども好きで、このプロジェクトを通してZoomで子どもたちと対談したり、一緒に面白いことをやったりして、僕は子どもの笑顔を見るのが好きなんだなと実感しました。この輪を広げて、恵まれない子どもたちにも夢を諦めないでほしいと、改めて思いましたね。

――オンライン面談で小林選手は全力の笑顔を見せていらっしゃいました。やはり、子どもは大切な存在ですか?

小林:サッカー選手じゃなかったら保育士になりたいと、以前は夢で書いていたくらい、僕、子どものことが好きなんです。でも、やっぱり自分で子どもを育てると保育士は無理だなと思いますね。実際育てると大変で(笑)。人の子を預かるなんて自分にはできないかなと思ったりしますけど、でもホントに子どもの笑顔を見るのは好きです。

「僕でもサッカー選手になれると証明できた」

――実際にオンライン面談に参加し、子どもたちと話してどう感じましたか?

小林:最初はみんな人見知りや緊張している印象でしたけど、話していくうちに明るくなっていきましたね。こういう子たちが、お金の問題だけでサッカーをやめなければいけないのは、『そうしたくないな』と、すごく感じました。今もそういう子どもがたくさんいると、この活動に参画しなければ知ることができなかった。自分のような思いをしている子どもたちはたくさんいるんだなと思いましたね。

――森谷賢太郎選手と、その後この件について2人でお話されたりしましたか?

小林:love.fútbolの加藤さん含めて選手たち何人かが集まり、もっと協力できないか話し合いました。回数を増やすことや、クリスマス会とかみんなで盛り上がる何かをやろうとか、みんなでもっと協力したいと話しました。Jリーガーは忙しいんじゃないかと心配してくれますけど、全然、夜とか時間つくれますからね、いくらでも(笑)。他の選手もきっと時間はあるので、どんどん活動を増やしてほしいですし、協力できるならなんでもやりたいと思います。

――川崎フロンターレは昔からさまざまな社会貢献活動に取り組まれています。スポーツ選手が活動に参加する意義について、どう思いますか?

小林:自分も小さな頃サッカー選手になりたいと思っていて、好きなチームもありました。そのチームのユニフォームを着て学校に行っていましたし、選手たちが子どもたちと関わりを持って一緒に夢を追いかければ、子どもたちはすごく勇気づけられると思います。

 僕は母子家庭で育って、お金のない中でいろいろ苦労もありました。でも、それを乗り越えて強くなれた。僕でもサッカー選手になれると証明できたのが、子どもたちの力になると思ったので、“絶対負けちゃいけないよ”と伝えたいです。どんなことがあっても、夢を追いかければ絶対かなうと思ってこの企画に参画したので、夢を諦めない子どもが一人でも増えればいいなと思います。

サッカーと貧困。現代社会における豊かさとは

――この機会にサッカーと貧困とは何か考えたいと思います。今回支援を希望する方を募集したところ90世帯102人の方から申請がきました。この数字は多いと思いましたか?

小林:多いと思ったのと、「いや、もっといるだろうな」というのが正直な感想ですね。広く認知されれば、もっと増えると思います。あと、数の多さより内容ですよね。人数よりも深刻さ。スパイクも買えないとか。自分もボロボロのスパイクを履いていたので、気持ちがわかる。各家庭がどれほど厳しいのか、もっと知りたいですし、日本全国調べたらもっといるんだろうなと思います。

――貧困であるために生じる問題点とは何だと思いますか?

小林:チームで遠征に行く際に、費用が払えないとか。僕の家は、お金がないなりにうまくやってくれていたと思うんです。母が子どもに見せないようにやってくれていたんですけど、子どもながらに“うちにはお金がない”と感じる部分もあった。

 だからハングリー精神じゃないですけど、絶対母ちゃんを幸せにしたい、お金を稼いで楽させてあげたいと小学生ながらに思っていました。苦労することもありますけど、負けないでほしいなというのが僕の一番の思いですね。

――支援を申請してきた動機を読むと、病気で父親を亡くした精神的な問題など、お金の問題だけじゃないさまざまな理由がありました。現代社会における豊かさとは何だと思いますか?

小林:自分もお金がない時とか、母の友達の家でご飯を食べさせてもらったり、人と人のつながりで残り物をもらって食べてたり(笑)、けっこうシビアな生活だったんです。でも、今でも笑って話せるくらい、当時から不幸ではなかった。兄貴がいて母ちゃんがいれば、それだけで幸せだった。お金はないけど幸せを感じていました。

 愛というか。簡単にいってしまうと。母から僕たち兄弟に対する愛をすごく感じていたので、お金がなくても幸せだったなと、今思うんです。だから、お金がない家庭の親には、絶対子どもたちの味方であってほしいな、支えであってほしいなと思います。

――親になると、母の偉大さってわかりますよね。

小林:そうですね、うちも、母が一人で男2人育てたのはすごかったなと思いますね。うちは3人子どもがいますけど、これ一人で見るのは無理だなって(笑)。

苦しくつらい思いをしたほうが人間としても成長できる

――今後もこういった活動に参加したいと考えていますか?

小林:いろいろ参画したいですね。自分の子ども時代と照らし合わせた時に、今回のlove.fútbolの企画がすごく重なった。これは自分が協力しなければいけないと思ったから、一人でも多くの人に知ってほしいです。

――今後「子どもと選手の5カ月伴走プログラム」という子どもたちと選手が一緒に成長していく企画にも参画されると聞いています。やはり継続的な支援・協力が重要だと感じますか?

小林:一回きりじゃ絶対ダメだと思いましたし、子どもたちがどう成長していくのか気になっていました。コロナがなければみんなでサッカーやれたら最高ですけど、Zoomならまた会える。この状況下でもみんなと定期的に会って話して、少しでも協力したいので、次の企画も楽しみです。

――子どもたちとの対話や活動が、ご自身のプレーに力を与えることはありますか?

小林:すごくありますね。サッカー選手になって、子どもが産まれてからより一層、「子どもたちに夢を与える選手でありたいな」と思いました。自分も子どもたちから目標にされる選手・人間でいなければならない。そう思ったし、こういう企画でいろいろな年齢・学年の子どもたちと話すことで夢を与えられるんだなと実感しました。

――最後に、ご自身も子どもを持つ父親として、サッカーをしたくても諦めている子どもたち、あるいはその家族に向けてメッセージを送るなら、どんな言葉を送りますか?

小林:自分もそうでしたけど、苦しい思いやつらい思いをしている子どものほうがサッカーだけじゃなくて人間としても成長できると思うし、強い人間になれる。理不尽なことを多く乗り越えてきたほうが、素晴らしい人になれると思うので、子どもたちには絶対諦めないでほしいというのが強い思いです。

想像力の欠如、それこそ一つの貧しさである

結局、受け取り方の問題なのだと思う。
僕たちは、先入観で周りを見ていないだろうか。片親になったのは親の責任だろうとか。お金がないのはあなたの努力が足りないんじゃないかとか。

実は、その発想こそ、貧困なのではないか。無関心・知らないことこそが、貧困といえないか。自分に不自由がないから、周りの生活の苦しさが信じられない。その想像力の欠如も、一つの貧しさなのだ。

貧困は、誰にでもいつでも訪れる可能性がある。急病、失職、介護。責められない貧困は、僕たちのすぐそばに鎮座している。

そんな時、僕たちは周りの人たちと手を取り、助け合い、理解し合う必要がある。いや、むしろ夢見る子どもたちの未来に手を貸すのに、何も理由などいらない。ただ、愛するだけで救える人生は、きっと山ほどあるのだ。

サッカーと貧困は、これからも、日本で、世界でなくならない。それでも、ただ一つの行動が、誰かの心に希望を灯すなら。小林悠の言葉が、誰かの支えになったのなら。そこに真の豊かさがあると、いえるのではないだろうか。

<了>






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