開催の1年延期、原則無観客での開催など異例尽くめの大会となった東京オリンピック・パラリンピックが無事閉幕。難しい状況のなかで開催され、多くの感動を生んだ大会を評価しつつ、一方で本大会開催の大きなテーマの一つである「レガシー」について検証する必要はあるだろう。自らもMazda Zoom-Zoomスタジアム広島(マツダスタジアム)など数々のスポーツ施設を手掛けてきた専門家・上林功氏が、スタジアム・アリーナという観点で東京五輪を総括する。
(文=上林功、写真=GettyImages)
ひっくり返った“レガシープラン”東京オリンピック・パラリンピックが閉幕しました。コロナ禍におけるさまざまな課題もありましたが次回2024年のパリ大会に無事バトンを手渡しました。大会組織委員会では大会に先立ち、大会そのものだけでなく、オリンピック開催によって東京や日本全体が得る「レガシー」について議論を深めてきました。本大会が閉幕した今、この異例尽くめの大会で改めてどのようなレガシーを残せたのかが課題として挙げられています。今回は、特にスタジアムやアリーナに絞ってレガシーの視点を掘り下げてみたいと思います。
2014年に発足した東京大会の組織委員会は大会の基本計画のなかで「アクション&レガシー」をテーマとして掲げ、5本の柱を設けています。「スポーツ・健康」、「街づくり・持続可能性」、「文化・教育」、「経済・テクノロジー」、「復興・オールジャパン・世界への発信」とそれぞれのテーマに沿って、政府、東京都、各種スポーツに関わる国内の協会や関連団体、経済界に至るまでステークホルダーごとに整理されたアクションプランが打ち出されました。
かつての1964年の東京大会ではさまざまな最新技術が取り入れられ、衛星放送やピクトグラム、計測装置など具体的にモノとして残る「ハードレガシー」が印象的です。一方、2020大会では1964年以降、国内で広がったスポーツ振興のムーブメントやのちの健康志向にもつながる“人の内面や社会意識”に与える影響、「ソフトレガシー」に注目するとともに5本の柱に沿ってアクションプランを組み立てていました。
リオデジャネイロ五輪のあった2016年から毎年更新されたアクション&レガシープランは2019年段階までが公表されています。その後、多くのイベントや取り組みを通じたアクションプランはコロナ禍において中止や内容の変更を余儀なくされ、事実上、アクションプランそのものがどれくらい実行されたかは今もって全容が明らかになっていないのが実状です。
コロナ禍における大会開催そのものがレガシーとして残る。そうした偶発的レガシーのあいまいさを回避する意味で行われてきたのがアクション&レガシープランであるはずです。大会開催を経て一段落ではなく、計画的に進めてきた内容をひっくり返された今、改めて大会の総括とともに未来へ継承する「レガシー」の議論が重要だと考えます。
東京大会がレガシーとして残したスタジアム・アリーナは?今大会でのスタジアム・アリーナは、スポーツ施設の新設に加えて改修も行われました。あくまで個人的な意見ですが、ソフトレガシーに注目するあまりハードレガシーに対する議論が足りなかったようにも感じています。もちろんカッコいいスタジアムやアリーナができることも注目を浴びるのですが、レガシーの視点でいえばそれ以上に重要なことが見えてきます。改めてレガシーの視点から東京大会の各会場を総括してみたいと思います。
■新国立競技場とスタジアム・アリーナのデータ化
新国立競技場は東京大会のメインスタジアムとして計画されましたが、その誕生は紆余曲折でした。国際デザインコンペから基本設計の白紙撤回、その後の再コンペに至るまで多くのメディアを騒がせネガティブな意見が散見される施設であるのも確かです。
一方で、あまり注目されていない点でいえば、新国立競技場の設計方法は今後のスタジアム・アリーナにおいて大きな影響を残すものといえます。設計・建設に先立ち、国内の公共スポーツ施設、特に大規模スタジアム・アリーナとして初めて3Dモデリングデータによる納品が行われました。スタジアム・アリーナはその大きさと歴史的な経緯のなかで造園や土木の設計のような大ナタを振るう設計がまかり通り、一般的な建築設計と比べて繊細さに大きな課題がありました。設計段階における3DデータによるBIM(Building Information Modeling/建築物のデータベースを3Dの立体モデルとして作成、管理する包括的なプロセス)の導入と活用によって土木・造園的な設計と建築的な設計がうまく融合できる形になりました。
広範・大規模にわたる内容を整理・活用できるのはデータ化のメリットですが、それ以上にスタジアム・アリーナにおいてはその後のスポーツイベントにおける企画や人流シミュレーション、増改築などに活用できる点においても優れています。
大きなポイントは、これらのデータ納品が公共工事において必須とされた点です。おそらく今大会をきっかけに今後大規模スタジアム・アリーナについては3Dデータによる設計と納品が求められるようになるのではと考えています。国土交通省が進める日本全国の3D都市モデルの整備・オープンデータ化プロジェクト「PLATEAU」や、スタジアム・アリーナビジネスにおけるデータ活用など、そのベースが東京大会を経て一気に整い始めたといえます。
江東区の重要な2施設。有明アリーナと有明体操競技場■有明アリーナと新しい官民連携の在り方
有明アリーナはバレーボール会場や車いすバスケットボールなどの会場として使用されましたが、当初から国際大会を含むスポーツ大会や各種イベントに利用できる多機能アリーナとして設計されています。
何よりも注目すべきなのは、この施設がアリーナとしては国内初のコンセッション方式による官民連携事業である点です。従来の施設管理でも民間事業者による運営は行われてきましたが、それらはあくまで行政から受託した業務を行うにとどまっており、積極的な事業提案が行えないという盲点がありました。公共スポーツ施設について行政は大きく分けて施設の所有権と運営権を持っていますが、コンセッション方式では運営権が民間事業者に付与されるようになります。
この運営権、たかが権利とあなどれないものです。これまで受託業務を行う民間事業者は施設を利用した新規事業を行おうとしても、あくまで請け負いの立場であることから事業に対する融資を受けるにも苦労し結局のところ民間のノウハウを生かすことができないケースが多く存在していました。ところが運営権は担保に充てることができる財産として見なせ、責任をもって事業を履行するうえで重要な権利に相当します。すでに有明アリーナを端緒に国内でもコンセッション方式による官民連携事業が誕生しつつあります。スタジアム・アリーナの企画・設計におけるレガシーとしては最も先導している事例かもしれません。
■有明体操競技場と仮設木造の未来
有明体操競技場は体操競技会場として利用され、パラリンピックではボッチャが行われました。東京大会で整備された施設としては最大量となる約2300立方メートルの木材が使用されています。
あまり取り上げられていませんが、有明体操競技場は都が10年程度展示場として運営ののち解体予定となる仮設建設として計画されています。完成時に有明体操競技場の内覧会の報道を通じて、角材をそのまま使ったような観客席ベンチに一部批判が集まっていましたが、これは解体後に他所で転用することを事前に想定した設計となっているためです。
仮設建設とはいえ設計コンペの段階では10年以上の耐用が要求されており、木材と金物を組み合わせた極めて高い技術が投入されています。いわば、本来全国各地で使用される木材が東京大会のために一時的に有明に集められ、10年後には各所に返っていくようなストーリーが背景にあります。
木造施設は古来、さまざまなところで柱や梁(はり)が転用されてきました。そのリユース・リサイクルのしやすさは鉄骨やコンクリートには真似できない特徴です。国内では多くの寺社仏閣で古材の流通が行われてきていますが、現代においても2000年のドイツ・ハノーヴァー万博のスイスパビリオンなど、流通木材を一時的に集め施設を構成し、イベントが終われば施設を解体し木材を転用するなどのサプライチェーン(供給連鎖)と建築を組み合わせたような試みが行われています。
施設のライフサイクルを考えるうえで、建設時や運用時を想定したイニシャル・ランニングコストに注目した計画は数多くありますが、解体まで踏まえて持続可能性を追求した施設は珍しく、有明体操競技場が10年後、どのような施設に生まれ変わるのか今から楽しみでなりません。
人不在の状態での開催。真価を問うのは今後の共創■共創都市の起点となるスタジアム・アリーナ
東京大会がテレビや各種メディアで報じられる中で、マラソンを先導する水素によるエコカーや選手村の自動運転車などモビリティにも注目が集まりました。ここで改めて白紙撤回された新国立競技場ザハ案を見てみると、当初計画で歩道や車道など道路とスタジアムが一部融合した計画が提案されていたことがわかります。
今でも一部のスタジアムでは、車道がそのままスタジアムの足元にまで入り込んで、直接アクセスできるようになっている場合があります。スタジアムは他の建築と比べて単純にその大きさが巨大であり、土木構築物のような側面があるがゆえの特徴です。ただの建物にしては大きすぎるため、駅舎や都市開発のような大きな視点での計画が必須であり、建物だけにとどまらない道路や公園など周辺環境と一体となった計画がスタジアムには必要です。
残念ながら今回の東京大会ではそこまで突っ込んだ施設は登場しませんでした。一方で、紹介したような形としては現れないけれど都市環境の形成や今後の未来都市につながる「ソフトレガシー」が多く残された大会となっているように考えます。
加えて、今回の大会では無観客であったがために人不在の状態で施設の役割が一段落してしまいました。やはり多くの人が参加して、各施設を検証しなければならないように思います。引き続き国民・都民の施設として利用するうえで、アクション&レガシープランを改めて見直す必要も出てくるでしょう。とはいえ然るべき時期を待って、まずはスポーツ環境をみんなで共創する準備から始めてみるべきではないでしょうか。
<了>
PROFILE
上林功(うえばやし・いさお)
1978年11月生まれ、兵庫県神戸市出身。追手門学院大学社会学部スポーツ文化コース 准教授、株式会社スポーツファシリティ研究所 代表。建築家の仙田満に師事し、主にスポーツ施設の設計・監理を担当。主な担当作品として「兵庫県立尼崎スポーツの森水泳場」「広島市民球場(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)」など。2014年に株式会社スポーツファシリティ研究所設立。主な実績として西武プリンスドーム(当時)観客席改修計画基本構想(2016)、横浜DeNAベイスターズファーム施設基本構想(2017)、ZOZOマリンスタジアム観客席改修計画基本設計など。「スポーツ消費者行動とスタジアム観客席の構造」など実践に活用できる研究と建築設計の両輪によるアプローチを行う。早稲田大学スポーツビジネス研究所招聘研究員、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究所リサーチャー、日本政策投資銀行スマートベニュー研究会委員、スポーツ庁 スタジアム・アリーナ改革推進のための施設ガイドライン作成ワーキンググループメンバー、日本アイスホッケー連盟企画委員、一般社団法人超人スポーツ協会事務局次長。一般社団法人運動会協会理事、スポーツテック&ビジネスラボ コミティ委員など。