サッカー元日本代表・石川直宏さんや、東京ヴェルディの小池純輝選手など、アスリートが農園や農業を生かした活動を展開する「スポーツ×農業」が注目を集めている。なぜ彼らは単なる名前貸しのビジネスなどではなく、本気で農業に向き合うのか。自らも元プロ選手であり、『スポーツ×農業』をコンセプトにした事業を展開する株式会社PLAYMAKER代表の三橋亮太さんに話を聞いた。
(文=木之下潤、写真提供=株式会社PLAYMAKER)
なぜサッカー元日本代表は農園を立ち上げたのか?プロサッカー選手という肩書を背負い、Jリーグのピッチに立つ。
一見、華々しい舞台に思える。しかし、そこで安定したプレータイムを得られるのは15人ほど。それ以外の所属選手がピッチに立つ機会が少なく、それを獲得できない選手もいる。
たとえプロになれたとしても、ピッチで活躍できる選手は限られる。多くの選手が「プロの世界で結果を出した。やり切ったから次のステージに向かおう」と胸を張れるほどのキャリアを歩めない。それが現実ではないだろうか。
「次のステージといっても、サッカー漬けの毎日を送ってきた選手がそう簡単にイメージすることができるはずもない」
そう語ってくれたのは株式会社PLAYMAKER代表取締役社長で、自らもプロとして過去AC長野パルセイロに所属していた三橋亮太さんだ。現在は、サッカー選手とチームとをつなぐ会員制情報ポータルサイト「PLAY MAKER」を運営しながら、地元長野で『スポーツ×農業』をコンセプトに地域と協働して事業を展開している。
その一つが元サッカー日本代表・石川直宏さんと立ち上げた農園「NAO's FARM」だ。
三橋さんらはこの地から一体何を発信していきたいのか。それは「アスリートの可能性」「農業がもたらす魅力」「アスリートと地方にとっての生き甲斐」の3点だという。事業内容を聞くと、単なる一過性のものではなく、地に足をつけた取り組みであることがうかがえた。前述のとおり、プロになった選手でさえ自らの望む活躍ができず、くすぶったアスリート人生を送る。しかも日本には、「競技で勝負したい」と挑戦するプロ予備軍も数多く存在する。
「私たちは競技者としての向上を目指す選手はもちろん、それ以外のフィールドでも輝く可能性を模索している選手たちが自らの可能性を見出すサポートをしたいと考えています。それが『NAO's FARM』を始めた理由です。
『プロだけど、この先どれくらい続けられるかわからない』
『がんばればプロになれそうだけど、先を見つめると不安』
こういう選手たちが『サッカー以外の世界に触れることで得られる価値』と『人生の可能性』を実感することができれば気持ちに余裕が生まれ、今の自分と向き合って思い切りチャレンジできるのではないかと思ったからです」
元プロならではの発想である。ある種、「サッカーしかない」との思い込みが視野を狭くし、 心の余裕をなくした結果、自分の思う実力を発揮できない選手たちは少なからず存在する。もちろん「この競技しかない」との思い込みは覚悟につながるので、それが必要不可欠であることは間違いない。
しかし、この思いは裏表一体であり、不安などのネガティブな側面が大きくなったときは、どんな一流の選手であっても調子を崩すことはよくある。そこで、三橋さんは農業という要素とスポーツを掛け合わせることでスポーツ選手のキャリアデザインをサポートする事業を起こした。
「スポーツ×農業」は地域に相互利益をもたらす「地方にとって、スポーツはエンターテインメントとして大きな存在です。選択肢に溢れる都市圏とは事情がかなり異なります。こちらで生活しているとプロのアスリートに出会うことなんてほとんどありませんし、目の前でプレーを見ることなんて一生に数回あるかないか。
一方、アスリートにとっても、田舎の自然に触れる機会は多くないのではないでしょうか。常に競技漬けの毎日を送り、神経をすり減らしています。そういう選手たちが地方の農業に触れることの意味は大きいと考えています。非日常がアスリートにもたらす効果は想像以上のはずです。
黙々と畑作業に没頭する。
すると、いつの間にか日常の不安や悩みを忘れ、ふと『自分にとって競技とは何なのか』『自分の向き合う世界以外にもこんな世界があるのか』……そんな思いが生まれてきます。地方には、農業には、そういう魅力があります」
コロナ禍になり、社会の分断が起こり始めてからインターネット上では『ウェルビーイング』『メンタルヘルス』など心にまつわる言葉が並ぶようになった。
それはスポーツ界も例外ではない。例えば、テニスの大阪なおみ選手がうつや不安に苦しんでいたことを公表している。それ以前の話題にはなるが、2019 年には、サンフレッチェ広島を引退した森﨑和幸さん・浩司さんが共著『うつ白~そんな自分も好きになる~』(TAC出版)でうつ病と競技との関わりについて告白している。
プロとはいえ、時に競技の呪縛から解き放たれる時間を持たないと正常な心を保つことはできない。過度な緊張があるなら、なおさら緩和される時間をつくらないといいプレーを持続することは難しいだろう。そういうことを含め、三橋さんらはさまざまなことを考えて『スポーツ×農業』というかけ算でアスリートにも、地方にも、相互利益を生み出す事業に着手した。
「地方には、穏やかな日常があります。田舎の人にとっては刺激が少ないですが、プレッシャーの多い毎日を過ごしているプロサッカー選手は穏やかに過ごせます。
私たちは『この場所に交流を生むと価値が提供できるのではないか』と考えました。
例えば、地方の子が田舎にやって来たプロサッカー選手と一緒にボールで遊ぶことができたら将来の夢ができて広がるかもしれません。選手も改めて自分の価値に気づくかもしれません。さらに、地方で農業に触れて『モノづくり』の面白さや価値に触れることができれば、セカンドキャリアのイメージが湧くきっかけになるかもしれません」
サッカー以外で稼ぐことに本気で取り組む三橋さんらと石川直宏さんが設立した農園「NAO's FARM」は単なる農業体験の場所ではない。
生産から販売まで、また農地を契約して利益を得るまでを伴走しながら本気で農業事業を体験できる場として実験農園を立ち上げている。単に元日本代表・石川直宏さんのネームバリューを利用した名前貸しのビジネスではなく、地に足をつけた事業として取り組んでいる。
「私たちは農業体験の場所としてここをつくったわけではありません。ずっと一つの競技に取り組んできたアスリートには可能性があると思っていますし、地域の人から農地を借りている以上、中途半端に農業に向き合うわけにはいきません。そもそも地元の人たちに失礼です。ナオさん(石川直宏)も定期的にここに足を運び、本気で農業に向き合っています」
では、この農園で一体どんなことが体験できるのか。
「地場産業として『モノづくり』を行うので、ここに関わるアスリートにも『農業体験を1回するくらいで終わりと思っているならサポートはできない』とお断りしています。私たちは数年かけて農業を知ってもらい、彼らに寄り添う形でキャリアデザインのサポートをしたいと考えているからです。
1年目/生産~収穫
2年目/生産~販売
3年目/区画の契約からすべてを自力で行う
例えば、これは大まかなプランですが、私たちはこういう事業コンセプトをアスリートに提示し、きちんと内容を説明して双方に合意した上でそれぞれに合った目標を立てて農業体験を進めています」
スポーツ以外の世界をのぞき、本気で農業に取り組むからこそ、先の未来が、そして今の自分を見つめることが可能になる。それはサッカーから離れた自然環境がもたらす、自らの価値やキャリアの見つめ方ともいえる。
受け入れる側の地方からしても、この農地は何も使用目的がなかった、いわゆる遊休農地。三橋さんいわく、「このあたりでは、そういう土地を年間数千円とか数万円とかで貸し出しています」とのこと。この遊休農地を活用した『スポーツ×農業』を掛け合わせた事業は相互メリットをつくることができる。
「遊休農地を保持している地主さんと話すと『農業に向き合ってくれる若者がいるならぜひ使ってほしい』と言われます。高齢者の方も多いです。そして、『聞きたいことがあれば何でも教えるよ』とおっしゃってくださいます。
私たちはこの事業が地元の方にとっても生き甲斐になるのではないかと思っています。自分たちの経験がやる気のある若者の役に立つならこれほどうれしいことはありませんから。アスリートにとっても農業を通して自分の良き理解者、地方にも味方が増えるのですから心の支えになることでしょう」
スポーツとの関わり方に多様性を築いていくためにプロ、そこを目指すアスリートは一つの道を極めることを仕事としている。だから、四六時中、競技のことばかりを考えるだろう。ただ、すべての選手がそういう生き方はできないだろうし、日本のスポーツ界は「個々が競技以外の活動も行う生き方をする」多様性を受け入れる時期に入っている。
特に応援する側が選手を一くくりにする、見るような社会的なあり方はそろそろ変えていかなければならない。アスリートはそれぞれ個性があって当たり前。そもそも論だが、それを武器に勝ち抜いてきたわけだから。
三橋さんらは、アスリートのキャリアデザインの描き方の一つとして『スポーツ×農業』を提案している。
今、東京ヴェルディの小池純輝選手が代表を務める『一般社団法人F-connect』が三橋さんらとともに農業を生かした活動を始めている。アスリート自身がスポーツの可能性や未来を切り開くことは、そのまま自らのキャリアデザインを描くことに直結する。
スポーツとの関わり方に多様性を築いていくことが、今後は社会の課題解決にもつながっていくだろう。応援する側も選手のプレーだけでなく、生き方などの背景に目を向けることで、これまでとは違った楽しみ方が広がるのではないだろうか。
<了>