J1歴代最長となる23シーズン、J1歴代4位となる590試合もの出場数を誇り、“伝家の宝刀”フリーキックでは美しい軌道からいくつものゴールを陥れてきた。浦和レッズを2度のアジア王者に導き、天皇杯とリーグカップも手にした。その人を表す形容詞は枚挙にいとまがない。だが多くの人々に愛されてきた理由は、そうした表面的なことではない。なぜ阿部勇樹は、これほどまでに愛されたのか――。愛するクラブに遺したもの、遺そうとしたものを振り返る。
(文=藤江直人、写真=Getty Images)
阿部勇樹はどんな時も、誰よりファン・サポーターと向き合ってきたとびっきりの笑顔と“らしさ”が凝縮されたツイートを残して、歴代最長となる23シーズンにわたってJ1の舞台でプレーしてきた阿部勇樹がスパイクを脱いだ。
19日の天皇杯決勝、今シーズン限りでの退団が決まっているDF槙野智章が後半アディショナルタイムに決めた劇的なゴールで、浦和レッズが頂点に立った。キャプテンとして天皇杯を高々と掲げながら、阿部は満開の笑顔を輝かせた。
歓喜の瞬間から数時間後。更新された阿部のツイッター(@daikichi22abe)には、カップアップする自身の写真とともにこんな言葉がつぶやかれていた。
「たくさんのサポーターが笑顔で帰宅されたはず^_^それを考えると嬉しいな!」(原文ママ)
阿部がつぶやいたのはこれだけではない。タイトルを手にして引退できる幸せな状況への感謝の思いもつづられていた中で、絵文字入りの言葉が特に胸に響いてきた。
トータルで13年半も紡がれてきた浦和との関係を振り返ると、阿部は常にファン・サポーターの存在を意識しながら言葉を発し、時には涙を流してきた。
例えば2012年1月。レスター・シティ(イングランド)と結んでいた3年契約を、阿部の強い希望を受けて1年半で解除。海外挑戦を切り上げて浦和へ復帰した最大の理由を、阿部は「前回在籍していた3年半で、やり残したことがあった」とこう続けている。
「素晴らしいスタジアム、素晴らしいサポーターの中で何かを成し遂げて、一緒に喜ぶということをしていないので、それだけがちょっと引っかかっていました」
前シーズンの浦和がリーグ戦で15位に低迷し、J1残留争いを強いられていた苦境も阿部の背中を強く押した。復帰会見ではこんな言葉も残している。
「向こうに行っても、浦和の状況はずっと気にしていました。何かを成し遂げるためにはいろいろな犠牲が必要になるし、正直、それは一人でも、選手だけでもできない。チームに関わる全ての人間が、同じ方向を向くことが大事だと思っています」
「オレたちやるから! だから一緒に戦ってよ!」。阿部が立てた人さし指の意味2012シーズンから浦和の指揮を執ったミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌監督)に、復帰したばかりの阿部はキャプテンの大役を託された。
「私が選手を評価するとき、まずはその人間性を、次に選手としての資質を見る。阿部のような選手がいることは浦和のサポーターにとって誇りであり、幸せなことだ」
ミシャの愛称で親しまれる浦和の元指揮官が笑顔でこう称賛した阿部の人間性が、悲痛な叫びと大粒の涙を介して伝わってきたのは2015年3月4日の夜だった。
埼玉スタジアム2002にブリスベン・ロアー(オーストラリア)を迎えたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)グループステージ第2戦で苦杯をなめた浦和は、公式戦で3連敗とどん底にあった。
前シーズンを振り返れば、最後の3試合で1分2敗と失速。ガンバ大阪に優勝をさらわれていただけに、ファン・サポーターの怒りや失望感は頂点に達していた。
中継していたテレビ局のインタビューを受けていた関係で、遅れてスタンドへあいさつに向かった阿部は、怒号渦巻くゴール裏にさしかかった時に意を決した。
「まず勝たなきゃダメなんだよ! オレたちやるから! だから一緒に戦ってよ!」
声が届かないと感じたのだろう。スポンサーボードを乗り越え、スタンドの真下まで移動した阿部は両目を涙で潤ませ、拡声器を手にしながらさらに訴えた。
「とにかく1勝しなきゃ始まらないんだよ! 次は絶対に勝つから!」
この時、阿部は右手の人さし指を立てていた。それは「1勝」だけでなく、復帰会見で語った「チームに関わる全ての人間が、同じ方向を向く」も意味していた。
「キャプテンらしくないキャプテン」。槙野が見た阿部の背中果たして、ブリスベン・ロアー戦から3日後に開幕したJ1リーグ 1stステージを、浦和は12勝5分と無敗で制している。ターニングポイントになった魂の訴えを、阿部は後に照れくさそうに振り返っている。
「あそこでバラバラになるのが嫌だった。僕たちはプレーでしっかりと見せる責任があるし、サポーターも一緒に戦っているからブーイングや厳しい言葉が出た。コミュニケーションを取れたという点ではすごくよかったと思う」
異例にも映ったブリスベン・ロアー戦後の阿部の行動を、チームメートたちは深夜のテレビニュースやファン・サポーターのSNSなどを介して初めて知った。
「それだけ阿部さんがこのチームに懸ける、強い愛を感じた。阿部さんは僕たちにはそういう姿を見せないけど、だからこそあの行動を起こさせたことは申し訳なかった」
初めて知った時には心の震えを抑え切れなかったと明かした槙野は、寡黙で超がつくほどシャイで、それでいて泣き虫を自認する阿部のキャプテンシーを「決して悪い意味ではないですよ」と断った上で、独特の表現で説明してくれたことがある。
「キャプテンらしくないキャプテンだと思います。キャプテンは嫌われ者にならないといけないし、先頭に立って言葉を発し、行動することも求められますけど、阿部さんは僕たちの個性を生かすためにまず好きなことをやらせてくれる。それでいて、チームがよくないとき、マイナスのときにこそ先頭に立って、悪い気を吸い取ってくれる。今までいろいろなキャプテンを見てきましたけど、浦和というチームの個性を生かすためには阿部さんがぴったりというか、阿部さんにしかできないと思う」
「真っ赤なサポーターの笑顔を見るのが一番心に響く」。アジア制覇の夜に…アル・ヒラル(サウジアラビア)を撃破し、2度目のアジア制覇を達成した2017年11月25日。埼玉スタジアムのピッチ上に、なぜか阿部の姿が見当たらなかった。
さまざまなところに歓喜の輪が出来上がっていた中で、キャプテンとして6シーズン目を迎えていた阿部はバックスタンド前で、右手を何度も夜空へ突き上げていた。
そこにいたのか、と気が付いたチームメートたちが次々と駆け寄ってきた。抱き合いながら瞳を潤ませた理由を問われた阿部は、こんな言葉を残している。
「スタンドでみんなが喜んでいる顔が見えたから。チームメートたちの笑顔もそうですけど、真っ赤なサポーターの笑顔を見るのがやはり一番心に響くので」
キャプテンが柏木陽介(現FC岐阜)に代わった2018シーズン。12年ぶりの天皇杯制覇を告げるホイッスルが鳴り響いた刹那から、阿部の涙腺は決壊していた。
ベガルタ仙台との決勝戦を翌日に控えた12月8日。雰囲気が一変していた練習拠点の大原サッカー場で、阿部は魂を揺さぶられるほどの感動に震えていた。
午前中の練習に800人ものサポーターが集結。フェンスに無数の横断幕が貼られていた中でエールが送られた光景を、阿部は決勝後にこう振り返っている。
「ここは本当に日本なのか、というくらいの雰囲気を出してくれた。以前から言っていることですけど、サポーターの方々と浦和レッズが一緒になったら、どんどん抑え切れないくらいの大きなチームになる可能性があるとあらためて思いました」
「恥ずかしいから絶対に嫌だ」。自身の記録よりも大事にしてきたのは…歴代4位となる590試合に出場したJ1リーグ戦では、個人的なマイルストーンを何度も経験してきた。しかし、そのたびに阿部は関心がないと強調してきた。
例えば2016年10月1日。G大阪とのJ1リーグ 2ndステージ第14節で、史上6人目、史上最年少での通算500試合を達成した阿部は舞台裏で、クラブ側が用意していた特製メモリアルTシャツをめぐって一悶着を起こしていた。
最後は照れくさそうにユニフォームの上から重ね着した。それまでに何度も拒まれた理由をスタッフに聞くと、いかにも阿部らしい理由を明かしてくれた。
「恥ずかしいから絶対に嫌だ、と言ってね……」
メモリアルな一戦で浦和は大量4ゴールを奪取。公式戦で4連敗を喫していた天敵、G大阪を零封して借りを返した結果に対しては思わず相好を崩している。
「皆さんにおめでとうと言ってもらえるけど、僕の記録はオマケみたいなものだから。やはり勝たないと面白くないし、特に相手が相手だったから。ここ数年、いつもスタジアムで大勢の方が一緒に戦ってくれているのに、喜べなかった試合が多かったので」
2017年6月4日の柏レイソル戦は、サッカー界へ少なからず衝撃を与えた。先発していた阿部が後半24分にベンチへ下がった瞬間、フィールドプレーヤーで歴代最長(当時)となる連続フルタイム出場記録が「139試合」で途切れたからだ。
浦和は4日前の済州ユナイテッドとのACLで、延長戦を含めた120分間を戦っていた。先発フル出場していた阿部は、柏戦での交代を当然だと受け止めている。
「(個人的な)記録は考えたことがないので。交代はノーマルなことだと思うし、気にしてくださるのは(メディアの)皆さんくらいじゃないですか?」
「他の人が蹴ってくれるので」。J1歴代8位の直接FKゴール数も自ら進んで蹴らない理由新任のリカルド・ロドリゲス監督から、4年ぶりにキャプテンを託された今シーズン。ベガルタ仙台を2-0で下した5月9日のJ1リーグ第13節で、阿部は結果的に現役で最後となる通算75ゴール目を直接フリーキックから決めている。
伝家の宝刀を抜いて、ゴールネットを揺らしたのは3年ぶり11度目。J1歴代で8位に浮上したが、この数字はもっと、もっと伸びていた可能性がある。
往年の名手デビッド・ベッカムになぞらえて「アベッカム」と呼ばれたほど、阿部は高精度のキックを右足に宿らせている。それでも進んでキッカーに名乗りを上げない理由を聞くと、返ってきた予想通りの言葉に笑いをこらえたことがある。
「まあ、他の人が蹴ってくれるので」
本当に必要な場面以外では、ジェフユナイテッド千葉時代は水野晃樹、浦和では柏木や槙野にキッカーを託す。かつて槙野が「僕たちの個性を生かすためにまず好きなことをやらせてくれる」と感謝した阿部のポリシーが、直接フリーキックからも伝わってくる。
全ては所属するチームのために。記録を含めた個人的なものは後からついてくると位置づけてきた阿部は、11月14日に表明した現役引退でもイズムを貫いた。
引退を決断してから2カ月後…11月14日まで発表を待った理由浦和側から「クラブからの重要なお知らせ」とだけ題され、公式YouTubeチャンネルで配信された記者会見で、スーツ姿の阿部が胸中に秘めてきた決意を明かした。
この日は「埼玉県民の日」であり、2007シーズンに浦和が初めてACLを制した日でもあった。約5万9000人で埋まった埼玉スタジアムで、セパハン(イラン)に2-0で快勝した決勝第2戦でフル出場した阿部は、70分に2点目を決めている。
40度目の誕生日だった9月6日を前にして引退を決め、クラブへも報告した。しかし、二重の意味でのメモリアルデーまで、発表を待ってもらったと明かしている。
「自分で下した決断を、自分の口で直接お伝えしたい方がたくさんいた。共に戦ってきてくれたファン・サポーターの方々に対しても、感謝の思いを含めて、自分の言葉でお伝えしたかった。そうじゃなければ失礼だと思っていたので」
最後の最後まで貫いた、阿部勇樹の“らしさ”。後輩たちに託した夢…引退発表後の1カ月あまりでピッチに立ったのは、名古屋グランパスとのJ1リーグ最終節の残り10分だけだった。埼玉スタジアムで行われたセレッソ大阪との準決勝、国立競技場での大分トリニータとの決勝と、天皇杯ではともにベンチから外れた。
けがをしていたわけではない。天皇杯を勝ち取るためにリカルド・ロドリゲス監督は非情な采配に徹し、阿部もまた最後までイズムを貫き通した。決勝戦前日にオンライン取材に応じたゲームキャプテンの守護神・西川周作はこんな言葉を残している。
「退団する選手がいる中でも一体となって練習ができているし、逆に退団する選手がより大きな声を出して盛り上げてくれている。本当にありがたいし、だからこそチームが一つになって、阿部選手にカップを掲げさせたい。今の目標はそこにある」
スタッフを含めて、浦和に関わる全員が共有していた光景は、大分撃破を介して具現化できた。万感の思いを込めて天皇杯を掲げながら、優勝とともに手にした来シーズンのACL出場権に阿部は何を思っていたのか。引退会見での言葉が再びよみがえってくる。
「浦和レッズという名前がアジア、世界へとどろいていくことを僕自身は望んでいます。このクラブは十分に大きいと思っていますけど、全てが一つになっているのかといわれたら、もしかするとなりきれていない部分があるかもしれない。浦和レッズの関係者、選手、現場スタッフ、応援してくださるファン・サポーターの方々が本当に一つになったときに、とんでもない力が発揮されるんじゃないかと今も思っています」
浦和が「一つ」になる瞬間を思い描き、目標へ近づくためのベストの手段となる「勝利」をひたすら追い求めてきた。背中を介して後輩たちに語りながら、再びアジアへ挑む来シーズンの戦いが、さらに「一つ」にしてくれるという夢を託す。
恩返しの思いも込めて、セカンドキャリアを指導者として歩みたいと望む。その第一歩となった天皇杯優勝を告げるホイッスルの後に、ちょっぴり微笑ましい光景があった。
表彰式を終えたチームメートたちが、ピッチの中央へ何度も阿部を手招きする。そのたびに首を横に振った阿部が、ようやく最前列の中央に立って天皇杯を掲げた。
脳裏をかすめる恥ずかしさや照れくささを振り払うように、努めて浮かべた会心の笑顔がチームメートたちのガッツポーズとシンクロする。現役選手として臨んだ最後の瞬間でも見せた“らしさ”に、阿部が誰からも愛される理由が凝縮されていた。
<了>