2022年1月1日、正月のスポーツの風物詩・ニューイヤー駅伝が行われる。前回王者の富士通は、東京五輪にも出場した中村匠吾、坂東悠汰、松枝博輝らの実力者を擁して、今年も優勝候補筆頭に挙げられる。2020年大会はチーム創設以来初めての予選落ちの屈辱を経験。そこから1年、12年ぶりの優勝を勝ち取るまでの道のりに一体何があったのか? 松枝ら選手たち自身の言葉で絶対王者の強さの理由をひもとく。
(文=守本和宏)
1年の間に、敗北はチームの何を変えたのか?「負けて良かった。いつか、そう言えるように頑張りたい」陸上・長距離日本代表、松枝博輝は負ける度に、しばしばそう言った。
箱根駅伝で大きな活躍をしたわけでもない。それでも、2016年の大学卒業当時から「今は何者でもないですが、東京五輪に出ます」と言い続けた。そして、本当に今年、東京五輪5000m出場を果たした松枝らしい言葉だ。一方、「負けて得るものなどない」と言う選手もいる。これも、走ることが仕事の陸上選手にとって当然のマインドだろう。要は、その経験をどう生かすかだが、その“負けて良かった”最たる例を私は知っている。予選落ちから1年で、駅伝日本一に輝いた松枝自身も所属する富士通陸上競技部である。
1月1日、元旦に行われる、ニューイヤー駅伝。約1年前の2021年大会で、12年ぶり3回目の日本一に輝いたのが富士通だ。
MGC覇者・東京五輪マラソン代表の中村匠吾を筆頭に、その後マラソン日本記録を更新することになる鈴木健吾。のちに東京五輪、男子5000m日本代表となる坂東悠汰と松枝。リオデジャネイロ五輪3000mSC代表の塩尻和也など、豪華布陣をそろえての優勝だった。しかし、実はその前年、富士通はニューイヤー駅伝出場権を逃している。予選会にあたる東日本実業団駅伝で17位となり、まさかの予選落ち。チーム創設29年にして、初めての屈辱を味わった。
たった1年で予選落ちから、日本一まで上り詰めた富士通。1年の間に、敗北はチームの何を変えたのか。富士通の精神的支柱である松枝は、「今までの集団と違って、一人一人の自覚が変わった」と表現する。
チーム創設以来初の“予選落ち”の屈辱富士通が、本当の強さを発揮し始めたのは、2020年の秋以降。それまではどちらかというと、実力ある選手をそろえながら勝ち切れない、そんな印象のチームだった。勝利へのターニングポイントは、2019年11月3日。東日本実業団駅伝での予選落ちである。
この大会、前年優勝チームとして挑んだ富士通。だが、1区の潰滝大記はラスト2kmで失速し、区間18位と出遅れ。2区ベナード・キメリも、盲腸での入院からコンディションを戻せず。4区坂東の奮闘で12位まで巻き返したが、迎えた第6区。大森澪が前半4 km(全体10.6 km)で足を痛め、走れない状態に。なんとか、次の区間に襷(たすき)を渡したが、大きく後退。最終的に17位でフィニッシュし、12位以内に与えられるニューイヤー駅伝出場権を逃した。これまで有力選手をそろえてきた名門、富士通陸上部としては、1990年のチーム創設以来、初めて味わう惨敗である。
レース後、「富士通の歴史の中で一番悪い順位。応援してくださった方々に大変申し訳ない。駅伝は流れが大事。後手に回ってしまったのが要因」と語った富士通の福嶋正監督。駅伝の場合、誰かがブレーキとなっても、個人責任よりチーム全体の準備の問題と捉えるケースが多い。医務室で呆然とする大森に、福嶋監督が「起きてしまったことは仕方ない」と声をかけたように、スタッフは「選手たちは頑張った。今回の結果は私たち監督・コーチの責任」と選手に話した。
しかし、松枝は違う感覚を持っていた。「僕からしたら、選手のせい。自分たちが弱いと思って、やってなかった。そもそもケガ人も多くて、走るべきメンバーがしっかり準備をして走らなかったからアクシデントになった」と持論を語る。
「不調そのものを責めるより、本来強い選手たちが自覚を持って駅伝に向けて(調子を)そろえられたら、こんなことにはならなかった。それは監督と、みんなで話し合いました。逆に会社の方々がすごく温かくて、『これは翌年勝つしかない』という気持ちになって、取り組みも変わっていきました」と、当時の心情を口にした。
自主性と意識が変わった一年悪夢の予選落ちから1年。優勝に向けた、富士通の変革に向けた取り組みが始まった。ただ、何か特別なことをしたわけではない。変わったのは選手自身の自覚である。「特に今までの練習を増やして強化する、厳しくやっていくぞという感じではなかった。細かい部分では、ケガのリスクを管理するため、月単位で提出していた練習実績を週単位で出すようになりました。あとは、朝練習の集合も柔軟になった。コロナの影響もあり、自分に使える時間が増えた分、結果が出なかったら『何してるの?』みたいな話になる。それぞれが自分の役割にあった取り組みをして、責任を持って走る。チーム全体でそういう流れになっていきました」
結果的に2020年の駅伝シーズン(秋から冬)、富士通は無類の強さを誇った。11月の東日本実業団駅伝では、7区間中で3人が区間1位を取る力強さで優勝。前年予選落ちの雪辱を果たすと、迎えた2021年元旦のニューイヤー駅伝。1区から松枝を置く攻めのオーダーで臨んだ富士通は、2区で少し遅れるが、4区中村が残り4kmで得意のロングスパート。先頭に出るとその後は譲らず、6区鈴木、7区浦野雄平が区間1位で走り抜けてフィニッシュ。4連覇中の旭化成を退け、2位と1分3秒差、4時間48分52秒で12年ぶり3回目の優勝を飾った。
中村が「昨年の悔しい思いを持って、今日のためにやってきた。優勝できて本当にうれしい」と語ったように、予選落ちを経験して初めて引き寄せた、渇望の勝利。松枝は、その勝利に関して「負けたままだと、やっぱカッコつかないですからね」と語る。
「今までだったら駅伝に向けて、良くも悪くも全員が同じようなことをして、同じ流れで、駅伝に臨んでいた。その時は、オリンピックも控えていたから、個々が自分のやるべき課題と強い気持ちで向き合っていたし、それなら駅伝も優勝するぐらいじゃないといけない。取り組みが間違っていたというより、全員がベストな状態でケガなく、やるべきメンバーが走れば絶対勝てる。そう捉えて、誰一人欠けることなく走れたのが、優勝に向けて大きかったと思います」
うまく上れなければやり方を変えて上る。生きるってそういうことだと思う富士通の強さは、今年も継続されている。今年11月3日の東日本駅伝でも優勝。ここ数年、本調子に戻し切れていなかった横手健が、最終7区でホンダを振り切る強さを見せ、2連覇を飾った。元旦のニューイヤー駅伝でも、優勝候補筆頭とされる富士通。さらに今年は、中村・鈴木が結婚と、結婚ブームにも乗る。優勝旗紛失という事態もあったが、それは選手たちの努力とは別で考えるべきだろう。
「前回の優勝は、前年予選落ちという、一つのブーストがあった。だから、『次の大会で勝ってこそ本物』だと全員が意識している。富士通は、去年走ったメンバーだけじゃなく、控えメンバーも強い。彼らには今年、自分たちが走って勝ちたい気持ちもある。そういう本物の強さを持った集団だと、次の勝ちで示せる、富士通の真価を見せられるのが今年だと、個人的には思っています」
最後に改めて、“負けて良かった”は本当なのか。松枝に聞いた。「僕の人生、負けてばかりですからね。でも、負けて次で勝てないのはカッコつかないじゃないですか。やっぱり結果だから、勝たないと“自分がやってきたことって意味ないよね”って思っちゃうタイプなんです。それと同じ感覚で、負けたことを何か意味あるものにするには、勝つしかない。僕は“負けた人”ですけど、長い人生で見たら負けが先にきただけだと思うから。
高校時代から、同年代で実力が上だった同僚の横手や服部勇馬(東京五輪マラソン代表:トヨタ自動車所属)などのスーパースターを見て、当時は全然かなわなかったけど、“自分は彼らを超えるんだ”と思ってやってきた。箱根駅伝でもスターになれなかったけど、彼らを超えないと日本選手権やオリンピックには出られない。そう、考えていました。階段を一段ずつ上って、一段ずつ壁に当たる感覚。一度上がったら下がらないし、うまく上れなければやり方を変えて上るしかない。生きるってそういうことだと、感覚的には思っています」
今年も、箱根駅伝・ニューイヤー駅伝でたくさんの選手が負けるだろう。そんな時には、負け続けて、それでもがむしゃらに勝利を求め、日本代表まで上り詰めた松枝の言葉が一助になれば幸いだ。
「諦める選択はあるけど、何か違う道に進むなら、自分自身がカッコいいと思える、誇れる道を進めばいいと思う。自分が本気でかなえられると思ったらできるだろうし、引退せずやり続ける諦めない姿がカッコいいと思えるなら、続ければいい。だから、別に勝つだけが全てじゃない。無謀な挑戦でも、誰かに何か響けばいいなと思うことだってある。自分にとっての一番が何か理解して、やりたいことを突き詰めていたら、きっと人は見てくれていると思うから」
<了>