1月9日、国立競技場で開催された全国大学ラグビー選手権決勝は、帝京大の優勝で幕を閉じた。9連覇の偉業から4大会ぶりの覇権奪還は、公式戦無敗で成し遂げられた。深紅のジャージーはなぜこれほどの強さを身に付け、復活することができたのだろうか? 26年間、監督を務めた岩出雅之氏の「最高傑作」の理由をひも解く。
(文=向風見也、写真=KyodoNews)
1年間公式戦無敗のまま成し遂げられた大学日本一。帝京大の強さの秘訣本人は「冗談」のつもりで言ったという。
帝京大ラグビー部の岩出雅之監督は、今度の大学選手権で決勝進出を決めると公式会見で述べた。
「3年間、決勝戦に出られなかった。そのうち2回はベスト4なのですが、低迷とかいわれるので……。やはり(9)連覇というのは、自分たちで(ハードルを)上げるところまで上げてしまった。光栄なことなのですが」
それから7日後、東京は国立競技場のファイナルで明治大を27―14で破る。大学日本一になった。9連覇を果たした2017年度以来、4季ぶりの快挙だ。
第三者はやはり、「復活」「復権」とうたう。
歴代の優勝回数は伝統校と呼ばれる早稲田大、明治大という歴史の長い強豪に次ぐ3位。優勝から遠ざかるだけで「低迷」と叫ばれるのは、必然とも取れた。
群雄割拠にあった近年の大学ラグビー界。明大、早大、天理大の歩み帝京大が王座から遠ざかっていた間、大学ラグビーシーンでは毎年、日本一になるチームが入れ替わっていた。
かねて打倒トップリーグ(現リーグワン)勢を目指していた帝京大は、2017年から日本選手権の学生参加枠がなくなったのを機に目標を下方修正。折しも、帝京大がリードしてきた領域において、他校が独自の路線で追い上げてきた。
2018年度王者の明大では、その前年よりヘッドコーチとなったOBの田中澄憲前監督がグラウンド内外での緊張感と勤勉さを涵養(かんよう)していた。
田中は出向元の現東京サントリーサンゴリアスで選手の採用を担当。当時から帝京大の強さの秘密を看破した上で、母校の指導にあたる際はそれをコピー&ペーストと異なる観点で還元した。
例えば帝京大には、清掃をはじめとした雑務を上級生が行う風習がある。新たな環境に身を置いた1年生にゆとりを持たせるための措置だが、明大はあえてそれをまねなかった。
前任者の丹羽政彦監督時代から旧来的な上下関係を撤廃していたのを前提に、1年生の仕事を残した。丹羽元監督は、「社会に出たら後輩が雑用をすることになる」と説明していた。
優勝主将となった福田健太によると、「ゴミは収集日に1年生がビニール手袋をつけて5種類に分別していたのを、あらかじめ5つのゴミ箱を用意して1年生は当日に袋を結べばいいだけにした」。要は、自分たちらしさを残したまま必要な改革を断行したのだ。
果たして就任1年目で頂点に立った田中前監督は、このように意気込んでいた。
「チームの築き上げた文化は帝京大の方がある。将来を考えたらそこ(文化)でも勝たなくてはいけませんが、僕がいる(在任する)間にはそこで帝京大を越えられるかは分からない。ただ一つ言えるのは、まずはグラウンドの部分(競技力)で越えていかないと」
続く2019年度に頂点に立った早大は、当時の4年生が高校3年生のころからリクルート部門を強化。スポンサーフィーの獲得で、1、2軍選手の食事の質が「ホテル並み」(当時の主力の証言)となった。
関西では、天理大が地力をつけていた。小兵が勤勉に鍛える文化、下級生時からのレギュラーの充実ぶりが目立った。
さらに昨季は、クラスター発生に伴い夏合宿を中止させ、5連覇を果たした秋の関西大学Aリーグ期間中は状態が上向く前だった。最高潮の状態で大学選手権に臨んだあの時のフィフティーンは、関東勢にとって「初見の強豪」に近かった。かくしてビッグゲームを大差で制し、初の日本一に喜んだ。
今季のオン・ザ・ピッチで見られた“2つの改善”群雄割拠の時代にあって、帝京大は試行錯誤を重ねる。そのさなかにうたったのは「健全」との標語だ。
世界が「コロナ禍」というフレーズに包まれた2020年度。マスクの着用、試合会場におけるフィジカルディスタンスの確保に、生来の強みだった折り目の正しさが発揮されたようにみえた。
その年こそ全国4強にとどまった。岩出監督いわく、「われわれも努力をしましたが、他大学の努力もよかった」。しかし秋口には、指揮官はこう述べていた。
「マスクを一つとってもそうじゃないですか。その価値が分かってくると、行動がスムーズになる」
「健全をどう、油断なくつくっていけるか……。災い転じて、ではないですが、学ぶことは多かった。成長する厳しい機会を与えられた」
「コロナ対策をしっかりしたことで、ある程度、順調になってきたのは事実。その中で油断せずにやっていきたいと思います」
オン・ザ・ピッチでは、順法精神とスクラムに改善が見られた。
昨季の指揮官は、ある試合で反則がかさんだことへ「繊細な集中力(の必要性)を学ばせてもらった。(当日の笛に)対応できなかったと終わらず、次に生かしていける」と唇をかむこともあった。
しかし今季は、反則数で相手を下回ることが増えた。すなわち、相手にチャンスを与えづらくなった。
さらに攻防の起点となるスクラムでは、重量感を生かす組み方が機能した。先頭で組んだ細木康太郎主将は、屈指の強さを誇った。
「勝利への意欲」を示した細木主将。日本一へ決めていた覚悟ちなみに帝京大では、その時々の主将を最上級生同士の話し合いで決める。ただし古今東西、試合のメンバー選考は指揮官の専権事項だ。近年の帝京大では、主将がレギュラー定着に苦しむ例もあった。今季、主将の先発落ちは本人が故障した場合のみに限られた。
岩出監督から「正しい方向に行けよ」と訓示を受けた細木主将は、「勝利への意欲」を示さんと意識した。
今季は試合や練習の振り返りが活性化。司令塔の高本幹也は、その背景をこう語る。
「細木(康太郎)主将が勝ちたいという意識が強いので、それに最初は引っ張られていたんですけど、今は勝ちたいという気持ちが出てきている。それがコミュニケーション、練習量につながると思っています」
チームが注力してきた感染症対策へも、今季に至っては細木の意欲がにじむ。船頭は言った。
「今年は、(外出制限を)去年より厳しくしていて。(夏の)合宿ではコンビニとかも行かないように。正直、ストレスがたまる生活を送っていると思うんですけど、日本一になるには誰一人コロナになってはいけない。感染対策をおろそかにすることと日本一を狙うことをてんびんにかけて、日本一になりたいから感染対策をするというふうに捉えてもらっています。僕自身、ストレスは感じていないです。主将をやる時にその覚悟をしていたので」
退任の岩出監督が26年間で築き上げた帝京大風土優勝会見の最後に、岩出監督は司会者へ「少し、私に時間をいただけますか」と断りを入れる。今季限りでの退任を発表したのだ。
後任の名前は挙げなかったものの、決まっているという。昨秋、卒業生で元日本代表の相馬朋和氏が元所属先を辞めてチーム入りしている。
振り返れば、岩出監督が就任したのは1996年。以後に練られた帝京大風土は、大学ラグビー界の風土そのものにも一石を投じた。
前出した清掃の習慣は、ワールドカップ戦士の堀江翔太が主将だった2007年度あたりから採用されている。余談だが、大学卒業後にニュージーランドへ渡ったころの堀江が自室を汚しがちだと笑ったのには、聞き手も笑わされた。「大学の時は、掃除、頑張ってしていたので」。
2013年度に5連覇を達成した中村亮土主将は、結果が出るほど称賛されたこの風土をさらに豊穣にする。
「自分の成長のために必要がない」と思ったルールを見直そうと、それまで下級生に頼んでいた「食事係(配膳や食堂の片付けに従事)」を4年生だけでするようにしたのだ。
現日本代表副将の中村が4年生のころに入ったのが、やはり現代表の軸たる姫野和樹だ。姫野は学生時代、グラウンド脇のトイレを掃除するところにカメラを向けられ「監督に言われてやっていると思うより、自分の成長のためにしていると捉えた方が得」といった旨で話したことがあった。
このころクラブハウスへ訪れた来客は、目が合った全ての学生に「こんにちは」と頭を下げられただろう。岩出監督は「あいさつしろなんて、言ったことないよ」と笑う。
現代の若者にとって心地のよいこれらの制度は、各地の高校、大学で共有された。
ただし、あのころの帝京大と同じ成果を得たチームはない。というのも帝京大は、この他にも上級生が指導陣に加わる学生コーチ制度、部員のメンタルケアに関する仕組みとあらゆる策を他校に先んじて導入。もはや、模倣の対象からは逸脱していた。
2022年1月9日の80分は、就任26年目の岩出監督にとっての集大成でもあった。黄金期を築いた仕掛け、その後の軌道修正、細木という希代の個性派との出会い。これら全てがシンクロしたことで生まれた、クラブの最高傑作だった。
<了>