ジャンプ、スピン、ステップ……フィギュアスケートにはさまざまな技があり、それらを組み合わせて技術の正確さや演技の美しさを競い合う。氷上で生まれたドラマに、私たちは時に涙し、心を震わせる。その中でも特別な感情で見入ってしまうのが、アクセルジャンプではないだろうか。なぜアクセルは愛されるのか? その裏には、華やかな舞台にたどり着くまでに積み重ねてきた物語がある――。
(文=沢田聡子)
「アクセルは王様のジャンプ」。幼い羽生結弦に刻まれた教え「アクセルは王様のジャンプ」
小学2年生から羽生結弦を指導した都築章一郎コーチは、幼い羽生にそう教えたという。
6種類のジャンプの中で、アクセルは唯一前向きに踏み切るジャンプだ。そのため、選手によっては恐怖心も伴うという。スケーターにとって一番初めにハードルとなるのは、ダブルアクセルだとも聞く。4回転ジャンプの名手とされるトップスケーターでも、トリプルアクセルの習得にはてこずる場合もある。
昨年末の全日本選手権、初めて試合本番で4回転アクセルを跳んだ羽生の言葉からうかがえるのは、「軸づくり」と「回転」がポイントだということだ。全日本の公式練習で4回転アクセルに挑んだ際、過去2回(2019年グランプリファイナル、2021年世界国別対抗戦)の公式練習よりもジャンプに入る時のスピードを落としているのではないかと問われた羽生は、次のように答えている。
「意図としては、まずちゃんと軸をつくる。軸がちゃんと早くつくれれば回転も速く回れるというような意味で、(スピードを)前よりは落としています」
羽生は「ただがむしゃらにぶん回して跳べるのであれば、もう多分去年のうちに降りている」とも口にしており、何度も挑むうちに「結局軸をとれないと回転も速くならない」という気付きを得たようだ。
高難度にもかかわらず基礎点は決して高くない。それでも4回転アクセルに挑む前向きに踏み切るアクセルには、後ろ向きで跳ぶため回転をつけやすい他5種類のジャンプと違う難しさがある。「何回も何回も体を打ちつけて、本当に死ににいくようなジャンプをずっとしていた」と振り返る羽生は、誰よりもその難しさを感じている。
「誰も跳んだことないんですよ。誰もできる気がしないって言ってるんですよ。できるようにするまでの過程って、本当にひたすら暗闇を歩いているだけなんですよね。だから毎回『頭打って、脳震とうで倒れて死んじゃうんじゃないか』って思いながら、練習していました」
「自分の中で『こんなにやっていてもできないのに、やる必要あるのかな』みたいな、諦めみたいなものがだいぶ出た」と言う羽生だが、それでも挑み続けるのは「僕だけのジャンプじゃない」という思いがあるからだ。
「ここまできたんだったら、みんなの夢だから、皆さんが僕に懸けてくれている夢だから、皆さんのために。自分のためっていうのはもちろんあるんですけど、皆さんのためにかなえてあげたいなって思いました」
公式練習で羽生の4回転アクセルを見た報道陣からは、どよめきが起こっている。少々のことでは感情を表に出さないよう心掛ける記者たちも、誰も成功したことのない大技を目の当たりにして冷静ではいられなかった。他種類の4回転とは違う難しさがある4回転アクセルは、だからこそ人の心を動かすのだろう。
浅田真央のキャリアから決して切り離すことのできないトリプルアクセルまたトリプルアクセルは、伝統的に日本女子にとって武器であり続けてきた。世界で最初にトリプルアクセルを成功させた女子スケーターは、伊藤みどりだ。伊藤のトリプルアクセルへの強い思いが表われたのが、1992年アルベールビル五輪だった。フリーで跳んだ1本目のトリプルアクセルでは転倒するも、後半に入ってから再び挑み、鮮やかに着氷して笑顔を見せている。ダイナミックな大技で世界の度肝を抜いた伊藤は、銀メダルを獲得した。
約30年を経た今見ても、伊藤のトリプルアクセルの高さと勢いには圧倒される。まだ欧米の選手が主流だった時代、世界で戦う伊藤の切り札だったトリプルアクセルは、日本女子の道を切り開いてくれたジャンプだといえる。
そして、伊藤と同じく山田満知子コーチに師事していた浅田真央が、トリプルアクセルの系譜を受け継ぐ。当時、女子ではほぼ浅田のみが跳んでいたといっていいトリプルアクセルは、常に浅田にとってテーマであり続けた。
銀メダルを獲得した2010年バンクーバー五輪で、ジャンプのフォームが乱れてきていることを感じていた浅田は、唯一無二の武器であるトリプルアクセルを研ぎ澄ませて戦っている。ショートで1本、フリーで2本のトリプルアクセルを決めた浅田は、初めて1つの試合で3本のトリプルアクセルを成功させた女子スケーターとなった。ショート『仮面舞踏会』では華やかに、フリー『鐘』では荘厳な旋律の中で決めたトリプルアクセルは、今も私たちの記憶の中で輝き続けている。
4年後のソチ五輪では、浅田はショートでトリプルアクセルの転倒を含むミスを重ね、16位と出遅れる。しかし、失意を越えて迎えたフリー『ピアノ協奏曲第2番』は伝説の演技となった。バンクーバー五輪後、浅田はジャンプの矯正という苦しい道程を経てソチ五輪に至っている。全種類の3回転ジャンプを組み込んだフリーは、その努力の結晶だ。そして奇跡のフリーの幕開けは、やはり美しいトリプルアクセルだった。
浅田のトリプルアクセルは、ふわりと舞い上がって軽やかに着氷する。軽々と跳んでいるように見えるが、その裏には積み重ねてきた努力が隠れている。
最後の最後まで挑み続けたトリプルアクセルは、次の世代に受け継がれた…引退試合となった2016年全日本選手権でも、浅田はトリプルアクセルに挑んだ。浅田は引退会見で「最後、トリプルアクセルに挑戦して終えられたことは、自分らしかったかな」と振り返っている。
「私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルを跳びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきたので、本当に跳べた時はすごくうれしかったです。(トリプルアクセルは)自分の強さでもあったとは思うんですけど、その反面やっぱり悩まされることも多かった」
また「トリプルアクセルに声を掛けるとしたら、どんな言葉を掛けたいですか」と聞かれ、浅田は少し悩んだ後に、次のように答えている。
「『なんでもっと簡単に跳ばせてくれないの?』って感じです」
その難しさに苦しめられながらも諦めることなく挑み続けたトリプルアクセルは、浅田の競技人生の象徴だった。
そして、伊藤、浅田と日本女子のエースが跳び続けてきたトリプルアクセルは、紀平梨花に受け継がれる。シニアデビューシーズンの2018年NHK杯・フリーで、紀平はトリプルアクセル―3回転トウループ、続けて単発のトリプルアクセルを決めて優勝した。このシーズンのグランプリファイナルも制し、その後も安定感を増すトリプルアクセルを武器に、世界のトップで戦ってきた。今は残念ながらけがのため休養中の紀平だが、復帰を果たした時にはまた鋭い回転のトリプルアクセルを見せてくれるだろう。
混戦模様だった北京五輪代表争い、樋口新葉と河辺愛菜がつかみ取れたのも…また北京五輪シーズンの今季、代表枠を巡って混戦模様を呈していた日本女子の中で、樋口新葉と河辺愛菜はトリプルアクセルを武器に北京への切符をつかんでいる。
4年前、平昌五輪代表から惜しくも漏れた樋口は、悔しさを抱えながらトリプルアクセルを磨き続けてきた。昨季のNHK杯では4分の1の回転不足ながら着氷、今季のジャパンオープンでは初めて加点がつく出来栄えで成功させている。そして北京五輪代表最終選考会である全日本ではフリーの冒頭で挑み、ステップアウトしたものの降りて悲願のオリンピック出場につなげた。北京五輪に向かう樋口は、4年間の研鑽(けんさん)の証しであるトリプルアクセルを、ショートでも跳ぶ意向を示している。
また、今季急成長してオリンピック代表まで駆け上がった河辺にとり、トリプルアクセルが最大の武器であったことは明らかだ。河辺は継続的にショートからトリプルアクセルを跳んでおり、恐れることなく挑戦し続ける姿勢が大舞台へとつながった。北京五輪でも、持ち前の思い切りのいい踏み切りから跳ぶトリプルアクセルを見せてほしい。
恐れを振り切り、自分の努力を信じ、前を向いて跳び上がる。アクセルに挑むスケーターの姿は、見る者にも勇気を与えてくれる。
<了>