北京五輪での復権が期待される男子スピードスケート。今シーズンが始まるまでその期待を一身に背負っていたのは、新濱立也と村上右磨の2人だった。そこに彗星(すいせい)のごとく現れたのが、21歳の森重航だ。初挑戦のワールドカップで総合2位につけるなど、誰も想像できなかった大躍進を遂げている。大舞台での金メダルも射程に捉えた森重航とは一体何者なのか。北京五輪までの道程を振り返る。
(文=折山淑美、写真=Getty Images)
日本スピードスケート界に突如現れた新星、森重航の強さの土台ここ数年は世界のトップで競り合う新濱立也(高崎健康福祉大職)と、それに迫る力を持つ村上右磨(高堂建設)がトップ2として引っ張ってきたスピードスケート男子短距離。北京五輪へ向けたシーズンは、地殻変動が起きるようなシーズンインになった。ワールドカップ代表選考会を兼ねた開幕戦の全日本距離別選手権の500mと1000mでは、昨季までワールドカップに出場していなかった学生勢が上位に食い込み、北京五輪代表争いに割り込む勢いを見せたからだ。
その番狂わせの筆頭が、初日の500mで優勝した森重航(専修大)だった。シーズン初戦でまだ調子を上げていないだろうとはいえ、新濱と村上の強さは抜け出ていると予想されていたからだ。
優勝記録は村上が2021年3月に八戸で出した国内最高の34秒44には及ばなかったが、2012年に加藤条治が出していた大会記録に並ぶ34秒64。本人は「優勝できると思っていなかった。新濱さんと村上さんには勝ちたいという気持ちより、近づきたいという気持ちの方が強かったのでビックリしている」と言いながらも、「1週間前のタイムトライアルで34秒5台を出していたが、今回はそれを超えられなかったのでまだまだ伸ばしていけると思う」と記録に対しては冷静だった。
そんな森重を、新濱はこう評価した。
「同じチームで練習しているので、先週から調子がいいのはすごく感じていたし、正直、村上選手より森重の方が来るんじゃないかと感じでいたのでそれが的中した。若いのですごく勢いはあるが彼にとっては簡単なレースではなかったと思うし、それをものにして優勝したのはこれから期待できる選手だなと思った。最初の100mはそんなに速くないが、そこからの400mは自分や村上選手と比べて速いのが強み。ミスなく400mを滑れば、自分たちと対等に戦えるという感じです」
「まだ爆発力は物足りない。でも…」 誰にも負けない武器は出身は北海道別海町で新濱と同じ。家に届いた案内を見て小学2年からスケートを始め、4歳上の新濱とは同じ少年団で練習をしていたが、資質の高さは早いうちから発揮され、中学3年の全国中学で500mと1000mの2冠を獲得。高校は山形中央高に進んでインターハイは高校2年時、2018年の500m2位が最高だが、同年の高校選抜では500mと1000mの2冠を獲得している。
山形中央高は、コーナーの滑りに優れ、2005年には世界記録(当時)も出した加藤条治の出身校。「条治さんのコーナーの滑りを参考にはしていないが、高校時代は最初のコーナーの加速の動画を見て、いろいろ学んだりしていた」と言うように、彼自身も「自分が得意なのはコーナー。その部分の加速が武器になっている」と自認している。
2019年に専修大に進んだ1年目は、ジュニアワールドカップ・エンスヘーデ大会の500mで優勝。さらに世界ジュニア選手権500m3位、1000m4位と結果を残し、世界大学選手権でも500mで3位になった。2年になり、2019年の世界距離別選手権1000m、世界スプリント選手権に出場した藤野裕人(ジョイフィット)などが一緒にやっているチームに合流して練習すると、2021年2月の全日本選抜長野大会では34秒82の自己ベストでワールドカップ組の新濱や村上、松井大和(シリウス)に次ぐ4位に。その成長が評価されて今季からは、ナショナルチーム入りしたのだ。
「コーチからは、『ナショナルチーム1年目は伸びるから』と言われてプレッシャーもあった」と苦笑する森重だが、夏場の練習ではウエイトトレーニングの数値やバイクトレーニングのマックスパワーも大きくレベルアップするなど成長を感じた。
「自分はもともと最初の100mは遅かったが、ナショナルチームは100mが速い選手ばかりなので自分はまだ爆発力は物足りないと思う。でも後半の400mの滑りは得意なので、最初の100mを伸ばしながらそこをさらに生かすことを目標にしている」
そう話す森重は全日本距離別選手権では、34秒82を出した全日本選抜長野大会を0秒03上回る9秒67で100mを通過すると、そこからの400mのラップタイムも目標通りに25秒を切って全選手最速の24秒97で滑り、新濱を0秒03、村上を0秒06抑えて初優勝を果たした。
世界で5人目の34秒台突破も達成! 驚きの成長曲線さらに初挑戦のシニアのワールドカップでも、初戦ポーランド大会の第1レースは11位だったが第2レースは最初の100mを9秒60で通過して、優勝した新濱に0秒04遅れるだけの3位で初表彰台に上がった。その翌週のノルウェー大会は6位、4位と表彰台を逃したが、高速リンク初挑戦のソルトレークシティ大会は、新濱と同走だった1レース目は100mを0秒13先行する9秒60で通過すると、初優勝した松井に0秒04差の34秒09で2位に。そして2日後の第2レースでは100mを9秒57で通過し、同走のアルテム・アリフィエフ(ロシア)とゴールまで競り合って0秒01先着。世界で5人目となる34秒台突破となる33秒99で優勝して世界に追いついた。
「1本目が34秒0だったので、33秒台は狙える範囲かと思っていたが、実際に出せてびっくりしている。最初の100mは国内では9秒6台後半だったが、ワールドカップでは9秒6台前半で今回は9秒5台とドンドン伸びて安定感が出ている。国内でも低く滑ることを徹底してやってきたが、その成果が出たのだと思う。今のワールドカップ500mは日本選手の誰が優勝するか分からないような状況だが、自分も負けていられないという気持ちはおとといのレースで2位になってから強くなった」
北京五輪500m・1000mでさらに世界を驚かせるか。進化し続ける新星の行方そう話す森重は、12月末の北京五輪代表選考会にはワールドカップの成績で新濱と共に代表内定がほぼ確実になっているプレッシャーのかからない状態で臨んだ。だが不安もあった。100mを9秒57で通過した時に感じた最初の30mまでのハマり感がなく、スタートがうまくいっていないと感じる中でのレースだったからだ。
その不安の通りに100m通過は9秒66と遅く、同走の村上に0秒09遅れる展開になった。
「自己ベストは目指していたが、感覚的にはそうでもなく、34秒5が出るとは思っていなかった」と言う。だがそこからの400mの滑りの精度は上がっていた。距離別より0秒13速い24秒84でカバーして、リンクレコードの34秒50でゴールし、新濱を0秒02差で抑えて優勝した。得意にする後半の滑りも、ワールドカップを戦う中で進化させていたのだ。
さらに翌日の1000mでも小島良太(株式会社エムウェーブ)と新濱に次いで3位になり、2種目での五輪代表を決めた。
初代表がオリンピックという大舞台になった森重だが、大事なところで見せた勝負強さは心強い。さらに同郷の先輩であり、すでに世界で実績を積んでいる新濱や村上と一緒に臨めるという安心感もある。それだけにオリンピックという舞台に臆することなく、今季の勢いそのままに駆け抜ける可能性も大きい。
<了>