かつて日本のお家芸といわれた男子スピードスケートが復権を果たすかもしれない。北京五輪500mに出場する3人はいずれもワールドカップ優勝の経歴を持ち、全員にメダルの可能性がある。中でも特に進境著しいのが、新濱立也だ。平昌五輪では女子の活躍をテレビで見ていた。それまでオリンピックはまるで他人事だった。それでもわずか4年で一躍金メダル候補に挙げられるまでに成長できたのは、リスク覚悟で自分を変え続けたからだった――。
(文=折山淑美、写真=Getty Images)
あの時の悔しい思い…わずか4年で一躍メダル候補へ、新濱立也が歩んだ険しき道程今季のワールドカップ500mは8戦2勝で総合3位にとどまっているが、初参戦の2018-19シーズンはワールドカップファイナルの2レースで世界2人目の33秒台を連発して総合2位。翌シーズンは総合優勝し、世界スプリント選手権も制してトップに駆け上がり、北京五輪金メダル候補になっている新濱立也(高崎健康福祉大)。彼がオリンピックを意識したのは、平昌五輪を見てからだった。
2017年12月の五輪代表選考会は4位。「その成績もあったので、女子が活躍する中で男子が活躍できなかったのを悔しく感じて。それまではオリンピックは全然見えていなかったけど、『次のオリンピックは自分が活躍してメダルを取りたい』と思い始めた」と言う。
北海道別海町で3歳からスケートを始めたが、中学2年までは成績も出ず何度かやめようと思った。「中3の全国大会で6位になってからは楽しくなって続けたが、まさかここまで続くとは思っていませんでした」と笑顔を見せる。だが当時スケートは楽しくやりたいだけで、将来は父親の跡を継いで漁師になりたいと思っていただけだった。
ワールドカップで“数分間”の世界記録。衝撃的なデビューシーズン五輪代表選考会の後には2018年3月の世界大学選手権の500mと1000mで優勝した新濱が、一気に変身し始めたのは同年オフにナショナルチーム入りしてからだ。練習に対する意識も変わり、それまではパワースケーターだったが他のトップ選手と一緒に練習することで技術も身に付け、身長183cm・体重89kgの恵まれた体をうまく生かせるようになった。
2018年10月の全日本距離別選手権500mで優勝して出場した11月のワールドカップ帯広大会は、上位選手の出るAディビジョンに日本選手として出場したのは新濱一人だけ。初めての経験で「ここまで緊張と不安に襲われるのか」と思うほどだった。だがそこで3位になると、次の苫小牧大会は得意の屋外リンクだったこともあり、第1レース・第2レースで連勝して自信をつけた。そして2月下旬の世界スプリントでは、2週間前の世界距離別選手権でパワーがあるあまりにブレードを壊し、新しいものに換えたばかりにもかかわらず、最初の500mで1位になって500m2本と1000m2本の総合は2位に。初の高速リンクだったソルトレークシティのワールドカップファイナル初日には33秒83を出し、2組後に滑った前世界記録保持者のパベル・クリズニコフ(ロシア)に33秒61を出されるまで、数分だけだが世界記録保持者になる衝撃的なデビューシーズンだった。
「あの後は『本当に一瞬だけ世界記録保持者になったんだな』と思ったけど、まだ1年目だったし、初めてのシニアの世界でこんなにうまくいくことがあるのかな、漫画の世界なのかなというのが正直ありました。自分では絶対に33秒台は出ると思っていたけど、クリズニコフに抜かれた時は『当たり前だよね』という感覚で。無名のところから這い上がってきたばかりの自分の名前が、世界記録保持者として残るはずはないよな、と納得していました」
とんとん拍子で世界トップに上り詰めるも…さらなる高みを目指してその翌シーズンは世界タイトルも獲得して(世界スプリント総合優勝、ワールドカップ500m総合優勝)、名実ともにトップスプリンターになった新濱だが、国際大会に出場できなかった昨シーズンはスケート靴を試してみるという取り組みをした。
「平昌五輪が終わってから世界に出たが、とんとん拍子で成績が出て世界のトップまで上り詰めるのが本当に一瞬だったというか……。でもその中で満足したレースはそんなになくて、自分の力を100パーセント出せたわけでもないのに優勝したりしたから、不思議な感じもしていました。自分の中には常に、『もっといけるのにな』という思いがずっとあったので、何かを変えてさらに上を目指したいなと思って。技術を向上させていこうというのは頭にあったけど、そのためにも靴をいろいろ試して足元をまず安定させ、その上に技術を構築していく方がベストかなと思いました」
世界に出てさまざまなことを考え始め、技術やメンタルも変わったという新濱は、さらなる高みを目指そうとした。だがシーズン中に道具をいろいろ換えるのは選手としたら異例なことで、リスクも大きい。そのため3足の靴を試した昨シーズンは、スタートからの100mはなかなか納得する滑りができず、ワールドカップでは1勝を含めて10回(当時)表彰台に上がっていたライバルの村上右磨(高堂建設)に1勝4敗と負け越した。
それでも新濱は悲観はしなかった。「100mの差の分、村上選手に負けるというレースが多くて、いいところ取りの靴はなかなか見つからないなと実感しました(笑)。でも自分の求めているコーナーの技術がやりやすくなったというのはあるし、1000mは強くなってきた。それに500mでも後半の400mのラップが速くなったところもある。ただ500mの最初の100mや、1000mの最初の200mが悪くなっているというのが現実かなと思います。もともと道具を換えても支障がないタイプだったけど、やっぱり高みを目指している中では求めるものもすごく高くなっているというか繊細になった分、靴選びが難しくなっているのかなと感じました」と振り返る。
北京五輪の金メダルへ、新濱の底力が頭一つ抜け出している理由その靴の選択も決定して臨んだ今季。ワールドカップのヨーロッパラウンドではポーランド大会とノルウェー大会で2勝とまずまずの滑り出しをしたが、第3戦のソルトレークシティ大会第2レースでは第2カーブで内側を滑っていたビクトル・ムスタコフ(ロシア)が転倒して前をふさがれる不利があり、1人で行った再レースでは第1カーブの入り口で転倒してマットに激突するアクシデントがあった。
その影響も残っていた年末の五輪代表選考会では、最初の100mは9秒50といい通過をしながらも後半伸び切らず、新鋭の森重航(専修大)に0秒02及ばない2位に終わった。だがそんな状況も「最初に世界に行ったころは自分だけが世界のトップと戦い、期待と重圧を受けながら男子の時代をつくりたいと言って引っ張ってきたが、4年たって他の選手たちも世界と戦えるレベルになってきたのがうれしい」と受け入れる。そして「今季は納得できる滑りが一レースもない中で表彰台に上がれて不思議な気持ちになっていたが、自分のやってきたことが間違えていなかったという証明にもなったと思う。あとは納得できるように質を高めていくだけだと思う」と本番に向けて気持ちを引き締めている。
新濱の500mのベストは現在世界歴代3位の33秒79だが、気圧の高い低地リンクベストは2020年3月に標高0mのオランダ・ヘレンベーン大会で出した34秒07。高地記録の中でも世界歴代14位に相当するダントツの低地世界最高記録だ。低地で開催される北京の金メダル争いは34秒2台前半といわれている中で、新濱の底力は頭一つ抜け出している。
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