日本中を熱狂の渦に巻き込んだ2019年。稲垣啓太はその中心にいた。今も桜のジャージーに袖を通し、フランスで開催されるラグビーワールドカップ2023での活躍が期待されている。その豊富な運動量で献身的にチームを支える男は、自らの身体づくりに人並みならぬこだわりを持つ。屈強な肉体と肉体がぶつかり合う最前線で戦い続ける稲垣に、フィジカルの哲学と人生の流儀を明かしてもらった。
(文=向風見也、写真=Getty Images)
日本代表と国内リーグ、二足のわらじを履く“稲垣流”フィジカルの哲学とは?日本ラグビー界有数の知名度を誇る。
「街を歩けば、まぁ、こんな身体ですから、皆、分かるわけです。別にやましいこともないから堂々と歩きます。ただ、周りが『あ、ラグビー選手だ』と認識してくれることはありがたい、うれしいことです。自分のプレーに意見を言ってもらえたり、感動しましたと言ってもらえたりするのも。そう言ってもらえるようにも、結果を出さないといけない。逆に、結果が出なかった時、ファンの人はもっと(自分たちを)ののしってもいいと思うんですよね。ラグビー界も、それくらいのレベルになっていかないといけない」
稲垣啓太。日本代表としてワールドカップに2度出場してきた31歳だ。日本大会で初の8強入りした2019年には、娯楽番組でのニヒルな態度から「笑わない男」として知られた。
時代に請われた本当の訳は、かような「キャラクター」とは別なところにある。
左プロップというスクラム最前列のタフな働き場にあって、稲垣はボールが動き回る際にも突進、タックル、防御ラインの統率とマルチに働く。
日本代表をはじめ多くのラグビーチームが選手に万能性を求めるようになった潮流のもと、自然な流れでキャリアを積み重ねられた。
日本代表でも所属チームでも期待に応える活躍。指揮官の見立て今年1月に発足のジャパンラグビーリーグワンでも、時を重ねるごとに状態を上向きにさせている。
2013年に加入した現・埼玉パナソニックワイルドナイツは、部内でのクラスター発生に伴い開幕から2試合を不戦敗とする。
しかし、活動再開からしばらくすると、「選手はそれぞれ悔しい思いもしたでしょう。ただ、皆、(陽性者に)なりたくてなったわけじゃないです。そこについてはもう、何も思っていないです」と稲垣。潤沢な戦力を誇るクラブで先発の背番号1、リザーブの背番号17のタスクを全うし、第11節までの実戦を全て制している。
「(状態は)少しずつ、よくなっていると思います。セットピース(スクラムなどの攻防の起点)はイメージができている通り、プレッシャーをかけられるところではかけられています。ただ、先日の東芝ブレイブルーパス東京戦(2月19日/第6節/埼玉・熊谷ラグビー場/30-18で勝利)では、1個だけイレギュラーなスクラムを組んでしまった。そこについては反省したいです。(自軍ボールで)前にプレッシャーをかけられるシチュエーションだったのですが、少し方向性がずれてしまったがために、(最後列の)ナンバーエイトがボールのコントロールを失って、われわれのノックオン(前方への落球という軽い反則)になってしまった。不用意に相手にボールを渡す行為は、ペナルティーと一緒です。自分がペナルティーをするなと周りに言っているので、なおさらそういう部分はしっかりしたいですね」
オンライン取材に応じた2月下旬、直近の試合でのパフォーマンスを受けて己に矢印を向ける。片や、2014年からこのチームを率いるロビー・ディーンズ監督は「ガッキーは、ガッキーです。見ての通り」。折からの結婚報道にも触れる形で、見立てを語る。
「コーチ、ファンが期待したものを必ず発揮してくれる選手です。少し疲れていた時期もあるかもしれませんが、今は私たちチームメートとの戦いを楽しめているでしょう。セットピース以外でも大きな貢献を果たしてくれていますし、まだまだ伸びしろがある。オフフィールドでも生活の充実を聞いています。今、ハッピーな選手なのではないかと感じています!」
国際試合と国内リーグで設定体重を変える選手が多い中…パナソニック、さらには日本代表でもボスのリクエストに満額回答を示す稲垣は、自己管理の人としても鳴らす。
オーストラリアのレベルズへ加わる2015年を前後し、自宅で使う食用油にはココナッツオイル、フィッシュオイル、えごま油を使い始めた。当時は、趣味のコーヒーについても「身体に何か作用しないか」と調べ、運動効率を上げるためにトレーニング前に摂取すると話していたものだ。
2019年まで、国際リーグのスーパーラグビー、日本代表として戦うテストマッチ、当時国内にあったトップリーグという3つの舞台を掛け持ち。今も国内のリーグワンがない時期は、日本代表として列強国に挑む。
一般論として、国内リーグはテンポが速く、国際舞台では身体衝突の衝撃が強い。稲垣も認める。
「テストマッチって、ラグビー的な内容はシンプルなんです。アタック面においてはフォワードが真っすぐ(当たりに)来て、ディフェンスを(中央に)寄せて(大外に)展開していく。つまり、コンタクトエリアでステップを切ってくるようなことが少なくなるんです。真っすぐ突っ込まれるのでディフェンスはしやすいようですが、(体重の重い)相手のフィジカルを受け止めてしまい、裏に少しずつゲインを切られ(突破され)、ディフェンスが少しずつ下がってしまっている間にそのラインが整わないうちにボールを出されてしまう。そうして、われわれのスピードのあるディフェンスの上がりができない……。ということが、前の(2021年までの)代表ツアーでよく起きていたことです。フォワード(稲垣らプロップを含むポジション群)の選手は、体重を増やさなきゃいけないと感じたと思います」
そのため日本で生まれ育った代表選手の多くは、国際試合の時期、国内リーグの時期とで設定体重を変える。公式サイズに記さぬ範囲で、日本にいる間はわずかに減量するのだ。稲垣も一時はその例に漏れなかったが、今は、全てのシーズンを同じ設定体重で挑む。
公式で「186cm、116kg」。国際舞台での強度に耐え得るボディーで、ボールよりボールが動き回る日本のステージを駆ける。
「日本のリーグはテンポが速いので、そこでやるには体重を軽くしないといけない。言っていることは分かりますし、僕も、そう思っている時はあったんですよ。でも、そんなに何回も何回も切り替えることはできないので、僕はフィジカルを強めに設定している。テストマッチ用の身体で、リーグワンを戦っていけたらと思っています。人それぞれでしょうが、プロとしてラグビーをする人間としては(現在の方式の方が)楽です」
目指すアスリート像にも、稲垣ならではの流儀を垣間見る期待されるのは、3度目のワールドカップ出場だ。2023年にフランスで開かれるラグビーの祭典では、前日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ率いるイングランド代表などと同組。ホームアドバンテージを失う難所を乗り越えるべく、今度の夏には世界ランク2位のフランス代表との試合を行う。経験値を積む。
本人は何を思うか。
「今はリーグワンでしっかりと結果を残すこと。結果を残すということは、タイトルを取ることになるのだと思いますが、そこも見ないようにしているんですよ。一つ一つの試合の結果。それを積み重ねることで、やっとタイトルという文字が見えてくる。今、自分にできることは何なのか、目の前の一試合に集中することです。そこに対して、準備していく」
安易に先を見据えないのが、この人の流儀か。目指すアスリート像について問われても、落ち着いた言い回しで述べた。
「今現在であれば、(リーグワンの)次節に備えること。備えたものが100パーセント、試合で出せれば、僕の中に結果として返ってくる。それを積み重ねていくことで、その先にタイトルが見えてくる。だから、今どうなりたいとか、こういう人間になりたいとかは、そういうことはあまり考えていないです。自分にできることは何なのかを、常に追い求めているイメージです」
昨季のトップリーグ決勝と同カードとなった東京サントリーサンゴリアス戦(2月26日/第7節)では、40分間、プレー。地元の熊谷で鋭いジャッカルを繰り出し、34-17で勝った。それから約1カ月強がたった今もきっと、タイトルを見据えていないのにタイトルに近づいている。
<了>