日本サッカー界は過渡期を迎えている。日本サッカー協会の選手登録者数は2014年をピークに約14%減少し、各調査機関の「好きなスポーツ選手」で日本人サッカー選手がトップ10に一人もランクインしないことも珍しくない。若年層を中心としたサッカーの関心低下は、もはや喫緊の課題となっている。日本サッカー界は今、この問題にどう向き合うべきなのか? 川崎フロンターレのレジェンド・中村憲剛さんは、“日本代表戦は見たことがない”というサッカーに関心の無い大学生が半数を占めるディスカッションから大きな学びを得ていた――。
(取材・文・撮影=藤江直人)
サッカーに興味の無い人たちからサッカーはどう見えているのか。中村憲剛の気付き慣れ親しんだ世界からあえて一歩外へ踏み出してみて、初めて目の当たりにする現実がある。サッカー界でいえば、特に若年層におけるプレゼンスの著しい低下。かつてない衝撃を受けたにもかかわらず、中村憲剛さんはうれしそうに声を弾ませた。
「こんなにも自分の視野が狭いというか、頭の中が凝り固まっているというか。今日は学生の皆さんから、ものすごい刺激を頂きました」
中村さんがこう切り出したのは、東京都八王子市内にある中央大学多摩キャンパス内の一室。日本サッカー協会(JFA)と同大学国際経営学部が連携してサッカー界の課題解決に取り組むワークショップ、その第1回目が行われた4月18日だった。
JFAはSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みや、サッカーを通じた社会貢献活動の総称を「アスパス!」と命名。重点領域として「環境、人権、健康、教育、地域」の5つの分野を定め、戦略的な視点に立ってさまざまな施策を展開している。
そして、重点領域の一つである「教育」の分野で、中央大学文学部文学科英米文学専攻の卒業生でもある中村さんをリーダーに据えたプロジェクトが新たにスタートした。
「日本代表戦は見たことがない」。中村憲剛をワクワクさせたもの国際経営学部の木村剛教授のゼミ生と今年度の同ゼミ入りを希望する学生ら計50人ほどで、約1時間40分にわたって議論を重ねるテーマの一つはこう定められていた。
「新たにサッカーファミリーの仲間になる可能性のある人たちの仮説出し」
日本中を熱狂させたFIFAワールドカップ・日韓共催大会が開催され、中村さんが大学4年生だった2002年前後に生まれた学生たちとのディスカッションに、「最初はちょっと不安だったんですよ」と打ち明けた。
「要は学生の皆さんが、そこまで熱量を持ってやってくれるのかと。プロジェクトそのものはかなりチャレンジングな試みでしたけど、今は実際にやってみて本当によかったと思っています。日本サッカー協会の方とも話をしましたけど、これを待っていたというか、学生たちの声が次のステップへ持っていってくれるんじゃないかと。僕自身も一緒に講義を受けていたようなものですよね。正直、ずっとワクワクしていました」
何が中村さんの胸をときめかせたのか。例えば講義の冒頭で「サッカーの日本代表戦を見たことがある人は?」と問い掛けられると、手を挙げたのは半数ほどにとどまった。目の前にいる学生たちが、掘り起こしを図る対象となるサッカーの「低関心層」だったのだ。
サッカー界の中にいると気付けなかった、日本サッカーが置かれた現実
続いて3人ほどのグループごとにディスカッションに入る。男子学生に交じった中村さんは、ワールドカップをテレビ観戦したきっかけを聞いてみた。返ってきた言葉は「テレビをパッとつけたら、たまたまやっていた」だったと思わず苦笑した。
「ちょっと面白そうだったから、そのままテレビを見たと。全ての国民に届くわけはないんですけど、それでもメディアの皆さんも含めて、告知も宣伝も結構したはずのワールドカップが実はあまり知られていない。僕自身はサッカー界にいた人間だし、今はメディアの側にもいますけど、ここに関わっている人たちはみんなかなり熱量を持っている。ただ、一歩でも外に出ると関心の無い人たちが意外と多いんだなと」
次に中村さんがディスカッションに加わった女子学生たちは、講義後にメディアの取材に応じてくれた。川崎フロンターレについて問われて「名前は聞いたことがあります」と恐縮しながら答え、さらにサッカーに関心が無い理由を3つ挙げている。
「まずは家族にサッカー好きがいなかったのと、次にサッカーの試合を見るにしても素人にはちょっと分からない、というのがありました。最後は野球だと結構有名な選手がいて、チーム数も限られていますけど、サッカーだと地域によっていっぱいあって、どのチームがどういう特徴なのかがちょっと分かりにくい、というのがあります」
同じニュアンスの言葉を、おそらく中村さんにも投げ掛けたはずだ。そして、日本サッカー界の現状が反映された声の数々で、中村さんをして「最も衝撃的でした」と苦笑させたものが、ディスカッション後に学生たちが発言していった中で飛び出した。
「サッカーは他のスポーツと比べて点が決まりづらくて、コスパが悪い」「サッカーに対する価値観を、具体的に考えてみたんですけど……」
こう切り出した男子学生は、サッカーに強い抵抗感を抱く層として「野球一筋で生きてきた人たち」と仮説を立て、さらにこう続けて教室内の笑いやどよめきを誘った。
「サッカーは野球など他のスポーツと比べて点が決まりづらくて、それに対して90分ちょっとと試合時間が長めなので、何だろう……、“見る価値がない”としちゃうと言い過ぎなんですけど、あの、コスパが悪いというか……」
費用対効果を意味するコストパフォーマンスの観点でサッカーを捉える。ピッチ上で費やされる労力(コスト)に対して、得点という結果(パフォーマンス)が不釣り合いだとする斬新な発想に、中村さんのテンションも上がっていった。
「引退してから何となくは感じていましたけど、それがまざまざと、リアルに言語化されましたよね。確かに90分間で2、3点しか入らないし、0対0の試合もあるので言い得て妙というか、そういう人たちからすると(コスパがいいとは)見えないですよね。僕が今まで会ってきた人たちは全員がサッカーに興味がありました。でも、そうではない人たちがこれだけ大勢いるなかに入ったのは初めてだったし、今までに経験したことのない時間でしたけど、これが多分、日本の現実なんですよね」
7年間で14%も減少した競技人口。動き出した抜本的な改革
今回のプロジェクトは、40歳を迎えた2020シーズン限りで現役を退き活動の幅を広げていった中で、翌2021年4月にJFA登録制度改革本部の「JFA Growth Strategist(JFAグロース・ストラテジスト)」に就任していた中村さんへ、JFA側から提案する形でスタートした。
背景には、いやが応でも少子化の影響が押し寄せ、同時に娯楽の多様化がどんどん進んでいる日本社会の現状を前にして、JFAが直面している深刻な問題がある。
社会人・大学生の第1種、高校生の第2種、中学生の第3種、小学生の第4種の男子4部門に女子、シニアを加えたJFAへのサッカー選手登録数は、最新の2021年度の数字で82万6906人。コロナ禍だった2020年度の81万8414人からは増えているものの、ピークだった2014年度の96万4328人と比べて14.3%減と大きく落ち込んでいる。
現在の登録制度は、JFAが主催する全ての競技会に参加する現役選手や指導者、審判、一部運営役員らが年度ごとに登録している。この枠組みを抜本的に改革し、サッカーファンも対象にした新たなメンバーシップ制度の導入が検討されてきた。
その一環として中村さんをリーダーに据えて、サッカー熱を高めるためのアイデアを考案するプロジェクトを発進させた。今後は6月下旬、10月上旬のワークショップを経て、最終回となる12月中旬に学生によるJFA役員へのプレゼンテーションを実施する。
「Jリーグ58クラブを数える利点を生かすとき」。中村憲剛の考える“きっかけ”最も優れているアイデアは、JFAが開発を進めるアプリケーションに採用される。最初のワークショップでアイデアの素案は浮かんだのか、と問われた中村さんは「多分、僕からは生まれないんですよ」と濃密な時間をうれしそうに振り返った。
「自分の中に凝り固まったものがすでにありますからね。それをほぐしたとしても限界がある。だから、みんなの力を借りないといけないし、それに気付けたことが今回の最大の収穫です。サッカー界の中にいる、サッカーに興味がある人たちのベクトルは同じなので、違うベクトルがないと物事は広がっていかない。それを知らないまま進むのと、知った上で『じゃあどうしようか』と進むのは全然違う。日本サッカー協会的にもそうだし、僕を含めたサッカー関係者的にもそうだし、メディアの皆さんもそうですよね。みんな忌憚(きたん)なく、悪気なく本音を言ってくれたじゃないですか。本当に最高でした」
それでも、いわゆる「低関心層」を巻き込み、サッカーの裾野を広げるアイデアを募っていくための施策は、ワークショップを進めながら思い浮かんだ。
「例えば僕は今回、中央大学のOBということで母校の学生たちとディスカッションをしましたけど、Jリーガーや海外へ移籍した選手を含めて、大学だけでなく高校と母校がたくさんあるわけですから、みんなでやればいいんじゃないかと。だって、今日だけでこれだけ膨らんだんですよ。それをみんなでやれば、それぞれの学生たちの学びにもなる。各Jクラブのマーケティングと連動するのもいいと思う。それこそ、今現在で58クラブを数える利点を生かすときなのかな、と。僕自身、グロース・ストラテジストとしてJFAへ持ち帰って、みんなで話し合うきっかけにもなるんじゃないかと」
サッカーに関心が無い人にも届いた、「三笘薫」の名前
現役時代の中村さんからは、幾度となく「ピンチはチャンス」という言葉を聞いた。日本代表がワールドカップに出場するのが当たり前になった現状に反比例するかのように、実は低下しているサッカーのプレゼンスは紛れもない最大のピンチとなる。
ただ、当たり前だと思っていた、もっと踏み込んでいえば居心地のよかった世界の外へ出なければ、ピンチが広がっている状況すら分からなかった。だからこそ、ディスカッションを重ねていく今後の過程そのものが最大のチャンスになると中村さんは言う。
「サッカーに興味がない人たちが学生の半分以上もいたことで、当初抱いていた不安が若干的中しつつも、逆に伸びしろがたくさんある、とも感じられた。サッカー界の中だけで話をしていても、絶対にこうならない。今日の時点であれだけ言われるとは思わなかったし、だからこそ今後どうなっていくのか予想もつかない。バラバラなところを一から集めて話していく中で、新しいものが生まれる。絶対にいいものができると思う」
ディスカッションでは、学生側から「三笘薫」という固有名詞も飛び出したという。森保ジャパンをカタールの地へと導いた痛快無比なヒーローぶりは、サッカーファミリーの外側にいる学生たちにも、たとえ一瞬といえども確実に届いていた。
ここにヒントが詰まっている。三笘という言葉を聞いた瞬間に、中村さんも「グッときた」と打ち明ける。突拍子もない三笘の活躍と奇想天外なアイデアは、周囲を振り向かせるインパクトを残すという点で、中村さんの中で同義語となった。常識の枠にとらわれない学生たちの自由な発想をしっかりと受け止め、サッカー界の明るい未来へと反映させていく行程を、中村さんは今から心待ちにしている。
<了>