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「今を逃したら、もうBMXに未来は無い」。手作りでBMX専用施設をオープン、レジェンドと大家さんの絆

REAL SPORTS 2022年6月17日 16時53分

東京五輪で一躍注目を集めたスケートボード、BMXフリースタイルに代表されるアーバンスポーツ。ストリートカルチャーから発生したこれらの競技は、行き過ぎた勝利至上主義が問題視されるスポーツ界に新風を吹き込んだ。オリンピックの“レガシー”ともいえるアーバンスポーツだが、急激な普及でプレーする“場所”の問題が持ち上がっている。ルールやマナー、時には法律に反するケースも出ている点は論外だが、せっかく芽吹いたアーバンスポーツを成長させていくためにはどうしたらいいのか。BMXのトップライダーとしてシーンをけん引し、オリンピックでは大会の運営にも携わったレジェンド・田中光太郎が出した答えとは?

(文=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、写真=Getty Images)

ストリート生まれゆえ“邪魔者扱い”されてきたアーバンスポーツ

「自分たちの“カッコいい”を世の中の“カッコいい”にしたほうがいい。それが本当のカッコよさだと思うんですよね」

2000年代初頭からBMXフラットランドの第一人者として国際大会でも結果を出してきた田中光太郎は、BMXやスケートボード、ダンスやDJ、HIPHOP文化が日本で一つのムーブメントをつくった90年代に青春時代を過ごした。

当時は当然BMX自体の認知度も低く、専用パークは皆無だった。

「練習するために場所を探さなければいけない。当時は、パークがないのはもちろん、『BMX禁止』といわれるほど認知されているわけでもなかったので、乗りやすい公園を見つけて、管理人さんと仲良くなったりしてなんとか乗っていたという状況でした」

BMXもスケートボードも今よりももっとアンダーグラウンドなイメージだった時代。田中は、“不良のたまり場”的なイメージで見られることはマイナスだと思い、“共存”を成立させるべく、仲間たちと公園でゴミ拾いをしたり、元気よくあいさつをしたりする「キャンペーン」を張った。

「僕たちがいることで、治安が悪くなった汚くなったと思われたらマイナスじゃないですか。自分たちの出したゴミじゃなくても拾う、ちゃんとあいさつする。当たり前のことかもしれないけど、自分たちがいることで公園がきれいになったり明るくなったりすれば、管理する人たちも安心して使わせてくれるんじゃないかと思ったんです」

田中が没頭したBMXフラットランドは、タイムを競うレーシングとはまったく違う競技だ。同じフリースタイルに属し、今回のオリンピックで初採用されたフリースタイルパークとも少し違う。フラットランドには、パークのようなジャンプ台、セクションは存在せず、文字通り「フラットな」フィールドでトリックを披露する採点競技。2028年、BMXを生んだアメリカで開催されるロサンゼルス五輪で正式種目採用の可能性もある人気種目だ。BMX用の自転車さえあればどこでもできるが、最低でも約5m四方のスペースが必要で、広ければ広いほどダイナミックなトリックが可能になる。ストリートから生まれたアーバンスポーツの“場所問題”は当時から懸案事項だった。

自分たちが安心して乗れるパークをつくりたい

2021年夏を経て、BMXフリーススタイルの認知度はこれまでにないほど急上昇した。パーク種目のエース、中村輪夢はテレビCMにも登場し、多くの人にとって未知だった「BMXフリースタイル」が、お茶の間で話題に上った。

「今を逃したら、もうBMXに先はないなと思ったんですよね」

オリンピック、パラリンピックのエクイップメントスーパーバイザーとして運営に携わっていた田中は、かねて夢見ていた自分のホームパークづくりに乗り出すことを決断した。

「オリンピックが終わって、ちょっと時間が空いて、世間の盛り上がりも感じて、パラリンピックの運営に関わっているときに『この時間を運営に充てればできるんじゃないか。今なんじゃないか』と思ったんです」

パラリンピック期間中の9月から場所探しに動き出し、11月には埼玉県新座市の使われていない倉庫の鍵を手にしていた。

「11月8日に鍵をもらって、手つかずの倉庫のドアを開けたときはしびれましたね。夢の第一歩の感慨もあったんですが、ここから毎月家賃も払っていかなきゃいけないし、『後に引けないぞ』と。そっちの方でしびれたのが大きいかもしれません(笑)」

以前は看板を制作する会社が使っていたという倉庫は、何件かの競合があったが、最終的には大家さんの鶴の一声で選んでもらえた。

「大家さんにはよくしてもらっているんですよ」

取材当日は、田中がオープンさせたBMXパーク『TYLER』でダンスやけん玉などとコラボしたイベントが開催されていたが、「この人がさっき話していた大家さんです」と紹介された人は、一眼カメラを首に提げ、目を細めてイベントを見守っていた、会場の年齢層からすれば場違いにも見える男性だった。

「地域に受け入れられる」ということはどういうことか?

「熱意ですよね。結局は人柄。今日の様子を見ていると、決断に間違いがなかったと言い切れます」

大家さんに田中に倉庫を貸す決断をした理由を聞くと、にぎやかな会場に目をやりながらこう答えてくれた。

「ここら辺はね。お祭りもなくなっちゃったんだよ。子どもたちもおみこしとか担がなくなっちゃったし。ここは倉庫だったんだけど、荷物を置くならただの荷物。でも田中さんがやろうとしていることは『3年後を見てろ』ですよ(笑)。だから貸したし、これからもできることはしていきたい、応援したいと思ってるんです」

『TYLER』がオープンしたのは、2021年12月4日。倉庫の基本整備は大家さんの手も借りつつ、内装は仲間たちと手作りで行った。準備期間に田中が注力したのは、大家さんを含めた地域の人たちとのコミュニケーションだった。

「こういうのができますって説明して回って、もちろんオリンピックもあったのでわかってくれる人もいましたが、悪いイメージを持っている人がいればそこは説明しないとと思って」

「ウソでしょ?」ノンアルコールのオープンパーティー

TYLERオープン日には当然、仲間たちが押しかけた。

「おめでとうって、ビールのケース持ってお祝いに来てくれる。僕たちのノリからしたら当たり前ですよね。お酒だけで60ケースくらい並んだ(笑)。でも、時期的なこともあったし、オープンイングイベントの2日間はノンアルコールでってお願いしたんです。『ウソでしょ?』ってみんなに言われましたけど、全員をコントロールできるわけじゃない。駅までの道中で何か起きるかもしれない。『どう見られるか』がとても大切だと思ったんです」

田中の“フィールド・オブ・ドリーム”を祝うパーティーは本当にノンアルコールで行われた。インタビュー中も、車の出入りに合わせて「車通りまーす、道空けてー」と参加者に呼びかける姿が頻繁に見られた。

「これから始める子たち、今一生懸命がんばっている子たちには、怒られずにBMXに乗れる環境を提供したいなというのはあるんですよね。そのためには場所をつくるだけじゃなくて、BMXの乗り方、ルールやマナーも一緒に教えなければいけないと思っているんです」

BMXフリースタイル用の自転車は、競技や好みによってノーブレーキ仕様のものを使用する場合がある。当然、公道は走れない。

「行き帰りはもちろん、ちょっとそこのコンビニに行くのでもちゃんとブレーキもライトもついたママチャリがあるのでそれで行ってもらっていますね。他人に迷惑かけるのはカッコ悪い。ちゃんとルールを守りながら、迷惑にならないように乗るのがBMX乗りのプライドだっていつも話しています」

“平らな倉庫”から始まる新しいスポーツの可能性

TYLERには、田中が主催した体験会をきっかけに世界レベルに成長した若い選手たちを始め、地元の子どもたち、BMXに初めて乗る大人たち、かつての仲間たちなどさまざまな人たちが集まる。

「オリンピックで注目されたのは競技としてのBMX。そこにも素晴らしい世界がありますが、誰かと競うわけじゃない、引退のないBMXフリースタイルの世界もある。昔一緒に乗っていた仲間が、就職、結婚、子どもができた、いろんな節目でやめていったんですけど、今みんなを呼び戻す活動をしているんです。さび付いた自転車を磨きに来るだけでもいい。

 何十年もかけてやってきたものを今また楽しんでやる。BMXに触れている時間があるだけで幸せじゃんって」

こうした「カッコいい大人たち」の存在は、BMXフリースタイルを競技として捉えて入ってくる子どもたちにカルチャーを伝える役割も担う。90年代、クラブに集まったダンサーやスケーター、DJ、ラッパーたちと「何か面白いことやろうぜ」と語り合っていた夢がここにはある。こうした歴史やマインド、カルチャーがつながっていくことで、BMXをはじめとするアーバンスポーツは、これまでのスポーツとは一線を画す独自の魅力を発信し続ける。

「フラットランドを始めて30年以上たちますが、今も現役で乗っていますし、フラットランドが大好き。だからもっと広がってほしいし、仲間を増やしたい」

田中の念願だったパーク『TYLER』は「フラット=平ら」に由来する。誰にでも開かれ、さまざまな競技、カルチャーをフラットに受け入れる。

「フラットランドってトリックは複雑ですけど、実はシンプルな競技で、地面に足を着きさえしなければどんな方法でトリックをメイクしてもいいんです」

“平らな倉庫”から始まった世界の地平は、どこまでいってもフラット。すべてを受け入れる代わりに、自分たちも受け入れてもらえる存在でありたい。田中の思いは、知名度の上昇とともに名指しで非難されるようにもなったアーバンスポーツの目指すべき姿、一つの方向性を示している。

<了>






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