新しいことを始めるとき、「事前の準備が大事」といわれることがある。だが同時に、「とりあえずやってみることが大事」ともいわれる。この2つの考え方は、果たしてどちらが正しいのだろうか――?
女子アイスホッケーの世界最高峰リーグを目指してトライアウトに挑み続ける、佐藤つば冴と、世界中から一流選手が集う米大学バスケットボールの世界で奮闘し続けた、田渡凌。テレビ番組『テラスハウス』に出演したことでも知られる二人に、新たな世界へ飛び出す上で大切にしている価値観を明かしてもらった。
(インタビュー・構成=沢田聡子、写真提供=日本財団 HEROs)
田渡凌が夢見たアメリカ留学は、いきなり奨学金付きの入学が白紙に……――田渡選手は高校卒業後、大学バスケットボール最高峰の米NCAAを目指しました。最終的にはNCAAディビジョン2のドミニカン大学カリフォルニア校で主将を務めるに至りましたが、その過程は紆余(うよ)曲折ありました。奨学金付きでプレップスクール(大学進学の準備をする高校)に入学することが決まって渡米する予定だったにもかかわらず、校長先生が替わっていたことで話が白紙に戻り、所属先がなくなるというトラブルに見舞われてしまいました。結局、元アシスタントコーチの家にホームステイして、自力で勉強とトレーニングをしながら大学進学を目指す“浪人時代”を経験することになりました。思い描いていたアメリカ留学とはまったく異なる生活となり、人生で一番苦しい時期を過ごしたそうですね。
田渡:ちょうど10年前なんですけど、今思い返すと「あの時よく頑張ったな」って自分でも思います。今の“田渡凌”という人間になれたきっかけの一つでもある。自分で考えて行動しなかったら、何も対応できなくなると学びました。当時はストレスでしかなかったですけど、今となっては成長するきっかけだったと思います。
――その後オーロン・カレッジ(短大)に奨学金付きでの入学が決まるわけですが、それまでの1年ほどは勉強やトレーニングをしながらも行き先が決まらない状況でした。どういう心境でしたか?
田渡:英語って勉強していても、「これ、いつしゃべれるようになるんだろう?」って思うじゃないですか。上達しているのかも分からないし、ストレスだったんですけど、最終的に行き着いた境地は、“自分ができる最大の努力をしなかったら、この先何も生まれない”でした。今もそうですが、そういうマインドになるきっかけとなった留学だったと思います。
――「とにかく目の前の一日を精いっぱい生きよう」ということですね。
田渡:はい、今もそうです。
――オーロン・カレッジ、その後のドミニカン大学でもキャプテンを務めました。
田渡:自分が一番練習していたし、一番コーチの話を聞いていたし、学業も真面目にやっていたからだと思います。人と話すのが好きなので、選手間の和を結ぶことも、英語が話せないなりにうまくやっていたんじゃないかなと思います。コミュニケーションを取る力は、自分でもあると思っています。どのカテゴリーでもキャプテンをやってきましたし、“自分がキャプテンだろうな”と思ってやっていました。
――語学は「コミュニケーションを取ろう」という気持ちが上達のカギですか?
田渡:そうですね。僕は“とりあえずやってみよう”精神が強いので。日本語をまったく使わないことに挑戦しました。“日本人の人と絡んでいたら多分上達しないな”と思いましたし、外国人とシェアハウスで暮らしていたので、“できるだけこの人たちと話してこの文化に溶け込めば、早く上達するんじゃないか”と考えて、毎日続けていました。
佐藤つば冴と田渡凌が共感「あのドキドキの感覚がめっちゃ楽しい!」
――佐藤選手も、昨年10月に参加したNWHL(現PHF/女子アイスホッケー世界最高峰の北米プロリーグ)のチーム、コネチカット・ホエールの入団トライアウトの時に感じていると思いますが、そのチャレンジはなかなか難しいですよね。
佐藤:難しいですね。「コミュニケーションを取りたいな」と思っていても、私の場合は、言葉の壁が結構分厚くて。知っている単語を並べても、“ちゃんと伝わっているのかな”と。
田渡:佐藤さんは28歳でトライアウトを受けられたんですよね? 学生の時って、いろいろな大会や代表の合宿に行って、見たことのない選手に出会って、「こいつどれぐらいやるの?」みたいなドキドキがあるじゃないですか。それがプロになって何年もやっていると、どの選手もだいたい対戦したことがある。28歳になってから感覚を得られるの、めっちゃ楽しくないですか?
佐藤:すごく楽しかったです。「日本で出会えない人たちとホッケーできるって、こんなに刺激的なんだ」と感じました。
田渡:かっこいいなあ。僕もアメリカでプレーしていた当時は、「こいつ見たことないけど、うまいじゃん」「めっちゃ跳ぶし、足も速い」といった選手と毎日やれて、やっぱり楽しいんですよ。
佐藤:楽しいですよね。
田渡:頭の中で「俺より速いし、絶対追いつけない。どうやったら勝てるんだ?」って繰り返すの、一番成長につながりますよね。
佐藤:本当に。もっと早く体験したかったな。28歳になってから経験をするのは遅いな、って感じて。
田渡:これからは、そういう人の手助けもやりたいんです。「海外に行きたいけど、行き方が分からない」人たちはいっぱいいるから。
佐藤:いっぱいいますよね。私も分からなかったです。ツテがないと、実際に行けなかったりするので。今回、本当にたまたまそういう話をいただけたので(※)、“自分から行動するって大事なんだな”って痛感しました。
(※編集注:佐藤選手は昨年、NWHLのインターナショナル・ドラフトでコネチカット・ホエールから2巡目指名を受けたことで、同チームの入団トライアウトを受けるに至った。
(本人提供)
――言葉の壁もある中で、チームに必要とされるために大事なことは何だと考えていますか?
田渡:正直、その答えって分からない。そこに正解がないというのが、スポーツの面白さでもあるんじゃないかなと僕は思います。
例えば選手間のリスペクトとコーチ陣からのリスペクトって、質がまったく違う。例えば選手間のリスペクトを得るためだったら、個人技をパフォーマンスすれば「すごいな」と思われる。でもコーチ陣は「チームプレーはできるのかな」とか、「正しいポジションにずっといられるのかな」とか、細かいところを見ていて、しかもコーチによって見ているものが違うので。
――トライアウトの中で、チームに必要とされるプレーを意識するのか、それとも自分の強みをそのまま出すことを意識した方がいいのか、どちらが大きいですか?
田渡:僕は、自分のやり方でやった方が、その後にも生きると思います。自分じゃない自分をずっと表現しても、いつか行き詰まるんじゃないかと。
佐藤:私もどちらかといえば自分のプレーをした方が、いずれいい方向に進むんじゃないかなと思いましたね。
――他の選手にはない自分の強みを見せることが大事ということですね。
佐藤:そうだと思いますね。自分の強みを一番見せられれば、注目してくれるかなと思っていました。
――田渡選手も、アメリカ留学中に売り込みに行っていた当時、そういう手応えがあったんですか?
田渡:当時はトライアンドエラーの繰り返しでしたね。「これで合ってるのかな。違うのかな、どうなのかな」と思っていた記憶があります。
――田渡選手は大学卒業後、Bリーグでプレーしていますが、今の自分の強みはどのように見ていますか?
田渡:他の選手よりコミュニケーション能力が高いし、みんなを一つにまとめる力はあると思います。外国籍選手とのコミュニケーションも取れるから、みんなが同じ方向を向けるようにする力はあると思うので、そういうところでアドバンテージは取りやすいんじゃないかなと思います。
僕のポジションはポイントガードなんですが、前から守ったり、オフェンスも自分が起点となってやったり、自分が一生懸命やることによって周りがついてきてくれるパターンが多い。気迫、ハードにプレーするところでは、絶対誰にも負けないと思っています。
――佐藤選手は、来年トライアウトを受ける場合、どこをアピールしようと思っていますか?(※編集注:けがのため今夏のトライアウトは断念)
佐藤:何だろうなあ……難しいですね。でもコミュニケーションを取るのは好きなので、海外でも通用できるようにしたいなと。あとは北米のプレーの仕方と日本のプレーの仕方は全然違うので、北米に合ったプレーを覚えていきたいなと思っていますね。
「事前の準備」に“Control what you can control”の精神
――田渡選手に伺います。渡米する際、ネガティブな反応はありましたか?
田渡:友人や他の選手・コーチからは、まったく言われなかったですね。もちろん、“無理だろう”と言っていた人はいると思いますよ。当時は今ほどSNSがはやっていたわけじゃないし、身近に見られるツールがそんなになかったので。
いい意味で勘違いしていたんですよ。「俺、いけるだろう」みたいな。全然いけてなかったんですけど(笑)。でもその勘違いが大事だなって今でも思っています。
――“考え過ぎるよりも、とりあえずやってしまえ”という感じですね。
田渡:はい。考えたことが実際に起きるとは限らない。行ってみないと何が起きるか分かりませんし、その時になって初めていろいろ考えなくちゃいけないと思います。
――“事前の準備”と“とりあえずやってみる”。田渡選手の中では、この2つをどういうバランスで考えていますか?
田渡:間違えてほしくないのは、僕、めちゃめちゃ準備するんですよ。ただ準備する内容って“やるべきこと”であって、「こういうことが起きるかも」というイマジネーションに対してではないんです。
“やるべきこと”に対する最大限の努力を積んでおけば、無理だったら「自分の能力が足りなかっただけ」と考えています。
――コントロールできないことまで悩んでも仕方がないと。
田渡:“Control what you can control”、コントロールできることだけコントロールしようという言葉があるんですけど、それがすごく好きで。何が起きるか分からないのに、それに対して力を注いでも意味がない。
でも、僕はこういう考えの人間ですけど、何から何までちゃんと計画してから行動する人も周りにいます。自分の性格にはこのやり方が合っていますけど、合わない人もいると思うので、“参考にしてください”とは思わないです。
――自分に合うやり方を見つけるのが大事だということですね。佐藤選手はいかがですか?
佐藤:私も結構準備したいタイプなので、やることはやって、あとはもう勢いでいっちゃうタイプです。でも28歳で渡米したので、子どものころは考えなかったようなことまでいろいろと考えて不安になっちゃうことがあって、それは自分でもすごくうっとうしいなと思いました(笑)。その時はやっぱり、“若いころに経験するのが一番いいのかな”と思った記憶はあります。
田渡:でも、すごいですよ。同業だから分かるんですけど、28歳まで日本でプレーして、ある程度キャリアが安定しているところから海外に行くのは、なかなかできないです。
佐藤:自分にしかできないことだな、と思ってやってみました。チャレンジ精神というか、そういう好奇心は人一倍強くて。
田渡:日本でプレーしていて、アメリカのリーグからドラフトされて、キャンプに招待されたっていう感じですよね?
佐藤:それこそ『テラスハウス』に出演したおかげで、自分の知名度が上がって注目してもらえることになったので。今まで日本代表になることも、代表合宿に参加することもなくて、本当に飛び級みたいな感じでポーンって話が来たので、自分でも信じられないというか。
――Instagramのフォロワー数の多さ(※)も、チームから注目されたポイントの一つだったんですね。(※編集注:2021年6月現在、約23万5000人)
佐藤:そうですね。チームのマネージャーさんも「知名度もあるから」ということを言っていました。
――その話をマネージャーさんから聞いた時、率直にどう感じたんですか?
佐藤:もちろん、実力を見てほしい気持ちもあったんですけど……でも、やっぱり自分でもSNSが一番の武器だとは思いますし、そこは割り切って。それでチームに入れたら貢献できるように頑張りたいなと。あんまり深くは考えてなかったですね。嫌とは思わなかったです。
――けがを治して、来年またトライできるといいですね。
佐藤:頑張ります、ありがとうございます。
<了>
PROFILE
佐藤つば冴(さとう・つばさ)
1993年9月28日生まれ、長野県出身。アイスホッケー選手。軽井沢フェアリーズ所属。2017年にテレビ番組『テラスハウス』に出演し、同世代から多くの支持を得る。2021年7月、女子アイスホッケー世界最高峰の北米プロリーグ、NWHL(現PHF/プレミアホッケー連盟)所属のコネチカット・ホエールからインターナショナル・ドラフト2巡目で指名を受けた。Instagramフォロワー数は約23万5000人(2021年6月現在)。現在PHFへの加入を目指している。
PROFILE
田渡凌(たわたり・りょう)
1993年6月29日生まれ、東京都出身。バスケットボール選手。高校卒業後、アメリカに留学。NCAAディビジョン2のドミニカン大学カリフォルニア校に転入し、主将を務める。帰国後、Bリーグの横浜ビー・コルセアーズ、広島ドラゴンフライズ、三遠ネオフェニックスでプレー。2019年にテレビ番組『テラスハウス』に出演、新たなファン層を取り込んだことを評価され、Bリーグ最優秀インプレッシブ選手(MIP)を受賞した。自ら『TAWATARI PROJECT』を立ち上げ、社会貢献活動を積極的に行っている。2021年より“HEROsメンバー”に就任。