サッカー選手を夢見る人の中で、実際にプロになれる人というのはごくわずかであり、その中でもレギュラーとして試合に出続ける選手というのは本当にひと握りである。そのような厳しい世界において、特にGKの選手たちはわずか1枠のポジションを巡ってレギュラー争いを繰り広げている。鹿島アントラーズでジュアユース時代から約10年の歳月を過ごしてきた中で不動の守護神・曽ケ端準氏の背中を見て育ち、“控えGK”としての葛藤に苦しみながらも現在はヴァンフォーレ甲府でプレーする小泉勇人に、曽ケ端氏から学んだことや、壁の乗り越え方、そしてJリーガーであり続けるための考え方について聞いた。
(インタビュー・構成=阿保幸菜[REAL SPORTS編集部]、トップ写真=Ⓒ2022VFK)
鹿島の偉大な「守護神」から受けた影響――小泉選手のサッカー人生は、ジュニアユースから約10年過ごしてきた鹿島アントラーズでスタートしましたが、鹿島時代を振り返ってみていかがですか?
小泉:日本一といわれてきたクラブが地元にあることを誇りに思っていましたし、自分がそのクラブでジュニアユースから活動できるということがすごく誇らしく、喜びでした。
――鹿島といえば、鹿島ひと筋でプレーし当時不動のGKとして23シーズンに渡り活躍されていた曽ケ端準さん(現 鹿島GKアシスタントコーチ)の存在が欠かせませんが、当時の小泉選手から見て曽ケ端さんはどんな存在でしたか?
小泉:学生の頃はもう、「神」的なイメージでしたね。憧れの遠い存在でしたが、プロになってからは間近でその存在を見てきて、あらためてその凄さを実感しましたね。
曽ケ端さんはあまりけがをしないイメージがあると思うんですけど、実は小さいけがはちょこちょこあって、試合に出られるか出られないかぐらいのぎりぎりの状態のけがもしていたんです。それでも絶対にグラウンドには来て練習をしていました。「なんでけがをしていても絶対練習に出るんですか?」って聞いたら、「自分が練習をやめてしまったら示しがつかなくなるし、他の人たちにも失礼だから」と。
だからどれだけ痛くても練習にはちゃんと出て、試合に出るためにいろいろなケアをしながら絶対に試合に出る、ということをされていました。やっぱりGKって一試合出られなくなると、他のGKがいいプレーをしたらコロッと状況が変わってしまうので。だから、正GKの立場を守り続けるためにそういった積み重ねをずっとされていましたし、その姿を間近で見てきたので、尊敬でしかないです。
――自分のポジションを守るという意味も含めて「守り続けてきた人」なんですね。
小泉:そうですね。いろいろな意味で隙を見せないというか。試合だけじゃなくて練習やプライベートの部分においても周りに対しての影響力がありますし、立ち居振る舞い一つにしても尊敬できる方だなっていうのは、今でも思っています。
――曽ケ端さんからはどんな影響を受けましたか?
小泉:僕は練習は何があっても絶対休まないと決めているので、それは曽ケ端さんを見て影響を受けたことの一つです。僕、今年でプロ9年目なんですけど、これまで試合に全然出られていないんです(2014年のプロ入り以来、出場数は通算14試合 ※2022年9月15日現在)。それでも、必ず練習に出て100%全力でやるということを積み重ねてきたからこそ、試合に出られていなくてもJリーグの世界で生き残っていられているのかなというふうには思っていますね。
試合に出られないときの自信のつくり方――GKというポジションは出場機会がどうしても限られてしまうので、メンタルの維持がなかなか難しい部分もあるのではないでしょうか?
小泉:2~3年前ぐらいまでは本当に浮き沈みが激しくて、ズドーンと気分が落ち込んだりしていました。鹿島のときから周りがどんどん上のステージへ行って輝いている姿を数え切れないほど見てきているので、その人たちと自分を比べて「どれだけ差が開いているんだろう」とか、「自分は何もない、価値がないやつなんだ」と思ったりする時期も本当にありました。
――今までで一番落ち込んだ時期というのは?
小泉:鹿島を離れて水戸ホーリーホックに移籍した2017年あたりかもしれません。やっぱり鹿島で全く出られなくて悔しかったですし、自分はもっとできるはずだという思いがありながらも、実際に移籍してみたら水戸でも試合に出られなかった。J2でも出られないという現実を突き付けられて、本当にどん底まで挫折しましたね。その後、2018年6月から期限付き移籍で岩手グルージャ盛岡(当時J3)に行って、後半戦はほぼ試合に出させてもらえたんですけれども。サッカーをやめようと思ったタイミングはいくらでもありますし、毎年毎年、そういった考えは頭をよぎります。
でも今は、サッカー以外の勉強や食に関する発信をするようになったことが、意外とメンタルを保つ上でも助けになっている部分があります。世の中にはサッカーだけではなくいろいろな世界があるんだという視野が広がって、自分ができることを少しでも増やすことによって自信がつく。そうすると結果的にサッカーに対する自信にもつながり、ちょっとやそっとのことでは落ち込まなくなったという感覚があります。本もたくさん読みましたし、ここ1~2年で考え方も全く変わりました。周りの人からの印象も、たぶん過去の僕と今とでは全然違うと思います。
――考え方が変わって、チームへの貢献の仕方なども変わりましたか?
小泉:いろいろな思いを抱える選手たちがいるので話を聞いたり、アドバイスをしてチームの受け皿となったり、中堅なので先輩と後輩をつなぐ役割などを意識するようになりました。意外とそういった行動がチームメートからの信頼にもつながったりするのかなと。
――そういった壁にぶつかったときに心が折れてしまってサッカーをやめてしまう子どもや学生も少なくないと思うのですが、どんなアドバイスをしたいですか?
小泉:壁にぶつかる時期は必ず誰にでもあるので、そういったタイミングがあるんだということを分かっていると、意外と心がラクになるのかなと思います。壁にぶつかったときには、サッカーのプレーのことばかり考えるよりももっと広い視野をもって、例えば体の機能性とか違うところからアプローチをしてみたり、結果的にサッカーにつながるような他のことを取り入れてみたりすることが重要なんじゃないかなと。客観的に自分を見てみると、自分にとって足りない部分が見えてきたりすると思うので。
「サッカーが好きという思いよりも、見返したいという気持ちで…」――これまでのサッカー人生で一番印象に残っていることは?
小泉:印象に残っていることというか、トップチームに昇格した当時、僕だけがジュニアユース、ユースを経てトップへポンと上がったので、世間から見たらエリートコースを歩んできたと思われていたかもしれないですけど、僕自身は全然そんなことは思っていなくて。ジュニアユースのときもけっこう注目されていた代だったんですけど、僕自身は周りからも「下手くそ、下手くそ」って言われ続けていたので、それが悔しくて悔しくて。サッカーが好きという思いよりも、見返したいっていう気持ちでずっとやってきました。
その後、ユースに上がっても結局同じように言われ続けて、周りからの評価を覆すために努力し続けてきた結果プロになることができた。この6~7年間はやっぱりきつかったですけど、その悔しさをバネにここまでやって来れた部分が大きいので、よくも悪くも印象に残っている時期です。
――そのときの反骨精神が、プロになってからもここまで続けてこられた大きな力になっているんですね。
小泉:それは間違いなくありますし、プロになったら学生の頃よりもはるかにレベルが高くなるので、プロになってからも挫折というのはたくさんしてきました。とはいっても、プロになりたくてもなれない人たちもたくさんいるので、そういう人たちから見たら、そんな僕でもすごくうらやましいって思うわけじゃないですか。だからこそ、プロであり続けられていることへの感謝と意義を持ってプレーしなきゃいけないなと思います。
甲府は「新たなステージでプレーするチャンスをくれたクラブ」
――現在所属しているヴァンフォーレ甲府では在籍4年目となりますが、他クラブからのオファーがあった中で甲府に残ることを決めたそうですね。
小泉:このチームで試合に出たかったというのが一番の理由です。2019年の7月にザスパクサツ群馬から最初はレンタルで来て、当時は群馬がJ3だったんですけど、僕は全然試合に出られていなくて。「もう今年で本当に終わりだな、引退だな」って思っていたんです。サッカーに対してモチベーションも下がっていて、自信も喪失してた時期でした。
そんなときにオファーをくださったのが、当時J2で上位だった甲府だったんです。甲府は、また新たなステージでプレーするチャンスをくれたクラブなんですよ。だからすごく感謝していますし、チームのスタッフたちもチームメートも、山梨の人たちもすごく温かいんです。なので、このチームに還元できることがあればいいなという思いでプレーを続けていますし、このチームで何か残したいという思いはずっとあります。ただ、結果としてまだ全然残せていないので。
――チームや地域に対して、どんな形で還元していきたいと考えていますか?
小泉:ピッチ内で貢献するというのが一番の目標ではあるんですけど、試合に出られていないときは、チームをいい状況にするための役割を考えています。昔は「なんでベンチなんだよ、試合に出たい」という気持ちになりましたし、もちろん出られなくて悔しいんですけど、チームが勝つことが一番なのでそこに向けてアプローチをしていく。ベンチならベンチでやるべきことをまっとうする。人のために何かをするっていうのは必ず自分に返ってくることだと思っているので。
今は、自分が試合に出なくてもチームが勝ったらうれしいし、負けたら悔しい。そういった思いを持って日々励むことが、チームに対しての貢献の一つなのかなというふうに思います。
そして山梨に対しては、食に関する発信を続けてきて少しずつ多くの人に見てもらえるようになってきたので、これからフードロス問題にも取り組んでいきたいと思っています。僕がもう少し影響力を持てるようになれば、例えば地域の農家さんの支援をしたりつながりをつくったり、社会貢献やSDGsといった部分で役立てることはあるのかなと考えています。チームと協力しながらできることがあればいいなというのは常々思っています。
――食に関する発信をしているInstagramアカウントのフォロワーも約4万人に上り、サッカーファン以外の人たちにも情報を広げられるのは強みの一つですよね。最後に、今後の展望を聞かせてください。
小泉:サッカーにおいては、もちろん試合に出てステップアップしたいですし、やっぱりJ1のピッチでプレーしたいというのが一番の思いです。僕自身としては、新しいサッカー選手像があってもいいのかなというふうに思っているので、自分にしかない価値というのをつくりあげて、その上でサッカー選手としてもっと結果を出していきたい。そして多くの人に知ってもらえるようになることで、サッカーはもちろん、食への意識も含めた底上げという部分にも一役買えるようになれたらという思いはあります。
<了>
PROFILE
小泉勇人(こいずみ・ゆうと)
1995年9月14日生まれ、茨城県出身。ヴァンフォーレ甲府所属、ポジションはGK。
鹿島アントラーズジュニアユース、ユースを経て、2013年4月にはトップチームに2種登録選手として登録、2014年よりトップチームへ昇格。2017年5月に水戸ホーリーホックへ移籍(2017年5月~12月は鹿島より期限付き移籍)、2018年6月よりグルージャ盛岡(期限付き移籍)、2019年にザスパクサツ群馬へ移籍後、同年7月よりヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍を経て2020年より完全移籍。
2021年7月より自炊記録アカウントを立ち上げ、食のプロ顔負けの、専門知識を生かしたアスリートならではの健康的で豊かな食生活に関する情報を発信している。