9月16日、セルビア・ベオグラードで開催されたレスリング世界選手権。男子フリースタイル70kg級を制し、自身初の世界一に輝いた成國大志。2017年10月に薬剤師が処方した禁止物質を含んだ薬を服用したことで、ドーピング違反による1年8カ月に及ぶ出場停止処分を受けて渦中の人となったのち、さまざまな困難を乗り越えての優勝だった。だが実は、成國にとってのレスリング人生の転機は、また別のところにもあった。きっかけとなったのは、キッズ時代から切磋琢磨を繰り返してきた日本レスリング界のエース・乙黒拓斗の存在だ。乙黒に完敗を喫した成國が、絶望の末に選んだ道とは?
(文=布施鋼治、写真=保高幸子)
エース・乙黒拓斗との実力差「一生勝てないんじゃないか」
成國大志にとって大きな転機は禁止物質の入った薬を口にしたことで1年8カ月に及ぶ出場資格停止処分を受けたことだけではない。実をいうと、この処分が下される直前にもう一つ大きな分岐点があった。
舞台は2017年10月、愛媛国体で行われた男子フリースタイル61kg級準々決勝。成國は乙黒拓斗(当時・山梨学院大)と肌を合わせたが、第1ピリオド開始2分程度で10-0のテクニカルフォール負けを喫した。翌年乙黒は日本代表として史上最年少となる19歳10カ月で世界選手権で優勝する。そして2021年の東京五輪ではフリースタイル65kg級で金メダルを獲得。押しも押されぬ日本レスリング界のエースに君臨していることは記憶に新しい。
年齢は成國のほうが1つ上ながら、ともにキッズ時代からレスリングに励む仲だ。乙黒は生まれ育った山梨から出稽古のために上京すると、成國家に泊まることもあった。練習は何度一緒にやったかわからない。幼なじみといえる天才に完敗を喫したことで、成國は絶望感に襲われた。
「拓斗には一生勝てないんじゃないか」
一見華奢な文系の青年に見える乙黒だが、成國は「実際に組み合うと、とんでもなく力が強い」と証言する。「本当にヤバいくらい力が強い。もちろん昔から技術の選手(テクニシャン)だったけど、国体で当たったときには技術に圧倒的な力がついていたのでボコボコにされてしまった」
「他の選手とは違う練習をやってやろう」。マット練習は2週間に一回のみレスリングの練習はマット練習が基本。マット練習とは対人での打ち込みやスパーリングを指す。より実戦に近い練習を積み重ねることで、試合勘や技のタイミングや精度を磨くことが効果的とされている。
成國も当たり前のようにそう受け取っていたが、乙黒との筆舌に尽くしがたい実力差を肌で感じ、「普通のマット練習をしていただけでは拓斗に絶対追いつけない」という結論に至った。
「じゃあ、思い切って他の選手とは違う練習をやってやろう」
その後、資格停止処分を受け、対人のマット練習ができないという環境もあって、成國は以前にも増して筋トレや身体づくりを軸としたフィジカルトレーニングに励んだ。ドーピング云々の問題ではない。乙黒のことを考えたら、とにかく力をつけたかった。
「拓斗に影響を受け、俺も力をつけてやろうという思いはありましたね」
レスリングやボクシングなど減量を伴う格闘技では「必要以上の筋肉はいらない」という説が幅を利かす。ウエートトレーニングに多くの時間を割く選手を目の当たりにすると、「ほどほどにしておけよ」と声をかける指導者もいる。そんなセオリーに背を向けるように、成國は何かに取りつかれたようにトレーニングに熱中した。そういう練習を1年半ほど続けたら、通常体重は77kgを超え、80kg近くまで増えた。
「処分を受けた当時の通常体重は68kgくらいでした。そうなると、フリースタイルでの適正階級はちょっと減量して65kg級になる。その階級には拓斗がいる。だったら思い切って階級を上げようと思いました」
その後もフィジカル中心というトレーニング方針は変わっていない。レスリングの打ち込みやスパーリングを指すマット練習は2週間に一回程度。大会が近づくと、ようやく2日前からマットに入る。こんなメニューを続ける日本代表は成國だけなので、「レスラーは対人競技。試合勘を磨かなくていいのか」と疑問を投げかける声は後を断たない。成國は「そういう意見ばかり」と苦笑するが、昔も今も外野の意見に耳を貸す気はない。
「こればかりは、みんなやってみたら絶対にわかる。やらないからわからないだけです。誰に何を言われようと、自分のやり方を変えるつもりはない。今回世界選手権で優勝したことで、自分のやり方が間違っていなかったことを証明できたと思います」
「正直自分に世界一の実力があるとは思っていない。でも…」個性的なのは練習メニューだけではない。成國は練習ではめっぽう弱いが、いざ実戦になるととてつもなく強いタイプなのだ。今回の世界選手権でも試合前日他の日本代表との最終調整では「ボコボコにされた」ことをあえて隠さない。その前に国内で開催された代表合宿でもやられっぱなしだったという。
練習ではそこまで弱いのに、なぜ世界チャンピオンになれたのか。
「それは、ここぞというチャンスを逃さないからなのかもしれない」
その例として、成國は今回の世界選手権で実現したイリャス・ベクムラトフ(ウズベキスタン)の3回戦とゼイン・レザフォード(米国)との決勝戦を挙げた。ベクムラトフは2020年アジア選手権優勝、レザフォードは全米学生選手権を3度制している掛け値なしの強豪ながら、いずれも第1ピリオドでのテクニカルフォール勝ち。接戦が予想されたレザフォードには第1ピリオド開始早々テイクダウンを奪うや、アンクルホールドを連発して一気に勝負を決めた。
「たぶんあそこで決めていなかったら、あとから逆転されていたと思う。そういう予感はありましたね」
振り返ってみれば、今年6月に行われた国内二大選手権の一つ全日本選抜選手権では日本体育大学の髙橋海大に完敗を喫するも、同選手権終了後に行われた世界選手権代表を決めるためのプレーオフではその髙橋から勝利をもぎとり初めてシニアで日本代表の座を獲得した。プレーオフ後、成國は「技術的には髙橋選手のほうが全然上」と語っている。それでもいざ試合になると勝てるのは「一発で勝負を決められる」という自分だけの力を持ち合わせているからにほかならない。
相手のテクニックと同一線上で勝負するのではなく、対戦相手が見せたわずかなスキを逃さず勝利をたぐり寄せる。成國はそういう能力に長けているのだ。そのせいだろう、彼はこんなことも口にした。
「今回世界一になったけど、正直自分に世界一の実力があるとは思っていない。でも、試合で強いことは誰もが認めてくれる」
いざ試合になったら、自然と特別なスイッチが入ることを成國はわかっている。
「試合当日になったら、グッと入れることができる。そこが強みなのかもしれない」
フリーとグレコは水と油。二刀流での五輪金メダルはわずか3例階級に対しても、成國は独特の価値観を抱く。レスリングの階級はオリンピック階級と非オリンピック階級に分かれる。もちろん前者のほうが人気は高い。成國が優勝した70kg級は非オリンピック階級だが、オリンピック階級か否かということに関係なく、成國は世界チャンピオンになる必要があった。理由を聞くと、世界の頂きに2度ついている成國の母親・晶子(旧姓・飯島)の存在を挙げた。
「子どもたちを指導する立場になったら、世界チャンピオンとそれ以外だと周囲の見られ方が全然違うんですよ」
成國が世界チャンピオンになったとき筆者は現場で取材しており以前から成國が母親に抱くコンプレックスを知っていたので、「これでようやくお母さんと肩を並べたね」と声をかけた。成國は即座に頷くと思いきや、意外な一言を発した。
「母は2度も世界チャンピオンになっているので、まだ追いついたことにはならない。次はグレコローマンで世界を取らないと」
今回の世界選手権優勝でフリースタイルでの闘いは一旦封印し、これからはグレコローマンで世界を目指す。フリーは下半身への攻撃が許されているので、レスリングの代名詞といえるタックルが決まりやすい。対照的にグレコのほうは上半身への攻撃しか認められていない。相手の足に手や足をかけたら即座に反則をとられる。MLBの大谷翔平ではないが、過去にレスリングの二刀流としてオリンピックの両スタイルで金メダルを獲得した選手は海外に3人しかいない。
加えて、両スタイルともテクニックが高度化した現在、二刀流で成功した例は少ない。国内だと2018年の世界選手権フリー92kg級で銅メダルを獲得した松本篤史が2016~17年にかけグレコにも挑戦。メダル獲得こそ逸したが、このスタイルでも2017年の世界選手権に出場している。
グレコはオリンピック階級である67kg級に照準を絞ろうとしている。成國は「ここで負けたら話にならない」と言い切る。「いまの僕の通常体重は68kg程度なので、今回の世界選手権でも70kgには全然足りていなかった。それでも力負けしなかったわけだから、67kg級でも渡りあえると思います」
もっとも同じレスリングといっても、フリーとグレコは水と油。ルールも含め違うところは徹底的に違う。成國は「正直、現在のグラウンド中心のグレコの展開は自分にとって不利」ととらえている。
「僕が大学2年のときに出場したインカレや世界ジュニアのときはまだ6分間スタンドの展開だったんですよ。だから渡り合うことができたけど、いまのルールだと厳しいところがある」
しかし突き進もうとする路が険しければ険しいほどやり甲斐を感じる。
今年フリーで世界チャンピオンになった男は、12月下旬に開催される天皇杯全日本選手権でグレコ67kg級に挑戦する。個性と信念の塊は最後まで自分のやり方を貫き通す。
<了>