2022年10月、中国の成都で行われた世界卓球選手権(団体戦)は熱狂と興奮のなかで幕を閉じた。なかでも銀メダルを獲得した日本女子は、伊藤美誠、早田ひな、木原美悠、長﨑美柚など、世界に名を馳せるスター選手がそろっていた。そのなかに、キャプテンを務める精神的な柱、佐藤瞳の姿もあった。幼少期から「日本一」、そして「世界一」を夢見ながら異色の育成環境を歩んできた彼女の背景をひも解くと、北海道の小さな町にある少年団時代からともに新たな道を切り開いた、佐藤裕という指導者の存在にたどり着く。
(文・本文写真撮影=本島修司、トップ写真=Getty Images)
佐藤瞳が北海道で歩んだ、恩師との卓球人生佐藤瞳。2017年のカタールオープンにおいて、1本のラリーが10分13秒(766回)という記録も持ち、「エンドレスリターン」の異名を誇る女子卓界の“世界最強カットマン”だ。
多くの攻撃型の選手が、カット打ちで根負けしてしまうほどに途切れないカットが持ち味。バック面には、ツブ高に近い形状の変化型のラバーを貼っている。時折ラケットを反転させることで、相手を揺さぶりながら、後陣からロビングを挟んだり、ドライブで攻撃に転じる。その繰り返しが相手を根負けさせる。
2019年のライオン卓球ジャパンオープン荻村杯。当時中国で「世界最強女子」の代名詞的な存在だったリオデジャネイロ五輪金メダリストの丁寧には、ゲームカウント4-2で完勝している。この年はITTFワールドツアー・グランドファイナルでも丁寧に勝利。持ち前の粘り強さは、卓球大国の中国すらも凌駕するほどだ。
佐藤瞳は、日本代表クラスの高校生は名門アカデミーに入るという定説を破り、北海道の高校で過ごした異色の経歴の持ち主でもある。
「普通の練習しかしていません」
現在、札幌大谷高校女子卓球部の指導者を務める佐藤裕は繰り返しそう語る。佐藤瞳が中体連で日本一となり、そして日本代表のキャプテンとなった今でも、佐藤裕はこの言葉と姿勢を崩さない。
2004年に函館市に編入、当時、渡島支庁の中部にあった南茅部町。その南茅部少年団で、当時小学校2年生だった佐藤瞳と、サラリーマンをしながら指導をしていた佐藤裕は出会うことになる。二人は、高校進学を機に、ともに札幌へ引っ越し、そのまま札幌大谷高校でも指導をするほどに、強固な信頼関係で卓球人生を歩んできた。
キーワード1:「素直さ」と「信頼関係」当時のことを、佐藤裕は「信頼関係。本当にそのひと言でした」と語る。そして、強固な信頼関係があるなかで「基礎の練習の精度を高める練習を徹底的に繰り返した」という。
「手応えをつかめた」のは、小学校6年生の時だった。
ナショナルチームの選考合宿で、13連勝を挙げた。その2009年、ホープスの部(小学校6年生以下)で全国2位に入ることになる。二人で重ねてきた練習が「間違いではない」と確信できた瞬間だった。佐藤裕は言う。
「信頼しているかどうかは、あまり言葉には出さなかった。信頼関係は、選手の練習している際の姿勢と、それを見ているこちらの視線、それだけで『あるかないか』がわかります」
ホープスで全国2位となった佐藤瞳は、地元の函館市立尾札部中学校へ進学。全国各地の名門校からの誘いもあったが、北海道に残り、そのまま佐藤裕の指導を仰ぐ道を選んだ。そして中学3年生のとき、ついに「中体連全国優勝」を果たして同世代の頂点へ上り詰めることになる。
北海道から、日本一へ。
それは、大きな名門施設からではなく、一人の選手と一人の指導者のタッグでという驚きが、現実となった瞬間だった。
卓球の世界では、目立つ素質を見せた小学生は、中学校から名門校への進学を求めて地元を離れるケースが多い。しかし、佐藤瞳は「北海道から」を選んだ。
当時はまだ全国的な選手を育てた経験がなかった佐藤裕という指導者が成し遂げた快挙。日本中のすべての卓球指導者が憧れる、夢のようなサクセスストーリーの完成。
そのとき、北海道の南茅部という小さな町で、何が起っていたのか。
キーワード2:「基礎の強度」で「階段を上る」中体連で全国制覇を果たした際のことも、佐藤裕は「特別、何か違った練習メニューがあったわけではない、ただ、夜遅くまで基礎の猛練習を繰り返した」と言う。当時はサラリーマンをしながらの練習の日々。夜に時間をつくる工夫を重ねた。そして、「何よりもね、佐藤瞳という子が、素直でした」とも振り返る。
「素直さ」は、そのまま「吸収力」につながった。
猛練習の日々のなかで「自分の役目は、目の前の結果を出すことに固執せず、フィジカル・技術面で、一歩一歩、階段を上ることができているかの確認作業でした。その階段を上った先に、常に、日本一と世界一を置いていた」。佐藤裕は続ける。
「強い選手と打ち合うことも、もちろん必要です。ですが、それ以上に卓球に必要なことは、地道さ、ストイックな多球練習です。多球練習で、選手のレベルに応じて、こちらが基礎の強度を高めるようなキツい球出しに変えていく。ピッチを速くする。回転を強める。この繰り返しです。そうやって、階段を上れていることを確認しながら、どんどん基礎の強度を上げていくことです。すべてが基礎と言えます」
そう語る佐藤裕は、何度も「基礎の強度」という言葉を繰り返した。基礎の地道な積み重ね。それは、名門施設や名選手がいる環境で練習すること以上に大切なこと。そんな確信を持っているからだ。
そして、「本当に基礎が完璧にできていますか?」という視点で見ると、できているつもりになっているだけで、できていない選手のほうが多いとも語る。
寸分の狂いもないような、基礎。それが、佐藤瞳という完璧なカットマンを生み出した。
次世代のスター選手を生み出す、一番の秘訣
卓球は「環境のスポーツ」だと言われる。
早くから芽が出た才能のある選手は、幼少期からエリートアカデミーなどの専門施設で練習を積む。それが最良の育成方法だろう。しかし、才能のある選手は全国各地にいる。誰も予期せぬタイミングで、世界へ羽ばたける大きな才能が出現することがある。その時、各地方にいる卓球の指導者は、どうするべきか。環境のスポーツである卓球という競技において、「環境以上の何かを用意する」必要がある。
『素直で吸収力を持った選手が、一歩一歩、階段を上れているかを確認してあげながら、ひたすらに基礎を高める作業』
これが、全国各地の都道府県から次世代のスター選手を生み出す、一番の秘訣なのかもしれない。
強い選手と無意識で打ち合うだけでは、強くはなれない。卓球とは、意識の高さの勝負でもあり、決して環境だけですべてが決まるわけではないという見方もできる。取材の最後に、佐藤裕氏は言った。
「一人の指導者として、逆に自分が佐藤瞳選手に成長させてもらって、今があります」
佐藤裕氏は、カデットの部で再び全日本1位の選手を送り出してもいる。「佐藤瞳で10年かかったことが、4年でできました。経験を積んだ今なら、もっとできるという自負があります」。
何度でも、日本一の選手を北海道から育成できる。その眼差しは、そんな自信に満ちあふれていた。
<了>