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山本由伸の知られざる少年時代。背番号4の小柄な「どこにでもいる、普通の野球少年」が、球界のエースになるまで

REAL SPORTS 2023年3月8日 12時0分

いよいよ開幕が直前に迫ったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。ダルビッシュ有、大谷翔平、佐々木朗希ら豪華な投手陣がそろう中、その主軸と期待されるのが山本由伸だ。24歳にして誰もが認める“日本のエース”となった山本は、じつはエリート街道を歩んできたわけではない。中学3年生までは「どこにでもいる、普通の野球少年」だったと、当時の指導者たちは口をそろえる。山本はいったいどのような少年時代を歩んできたのか?

(文・本文写真=花田雪、トップ写真=Getty Images)

中学時代に所属したチームでは“エース”ですらなかった?

3大会ぶりの世界一奪還を目指す侍ジャパン。“史上最強”の呼び声高い豪華な面々の中で、サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平といった昨季、サイ・ヤング賞クラスの結果を残したメジャーリーガーとともに先発投手陣の中心を担うのが“日本球界最強投手”オリックス・バファローズの山本由伸だ。

今季でプロ7年目を迎える山本は昨季、プロ野球史上初となる2年連続での投手五冠(最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、最多完封)を達成。150km台中盤の直球だけでなく、多彩な変化球のすべてが“決め球”といえるほどの精度を誇る。

そんな山本だが、中学時代に所属したチームでは“エース”ですらなかったことをご存じだろうか。その意外な少年時代は、書籍『オリックス・バファローズはいかに強くなったのか~選手たちの知られざる少年時代~』でも明かされ話題になった。

岡山県備前市出身の山本は小学校時代に少年野球チーム・伊部パワフルズでプレーし、中学入学を機に硬式野球の東岡山ボーイズに入団している。

当時からチームで指導を行う会長の藤岡末良さん、監督の中田規彰さん、副代表の豊田裕弘さん、コーチの片山勇人さんの証言をもとに、山本由伸のルーツを紹介したい。


山本少年の印象も、野球に対する姿勢も「普通の野球少年」

入団直後、中学1年生の山本少年の印象は「どこにでもいる、普通の野球少年」。

身長は同級生と比較しても小さいほうで、線も細かった。チームのユニフォームを着ると「サイズが大きくて法被を着ているようだった」という。

小学校までの軟式野球から、硬式野球に転向したのを機に新調したグラブも、投手用ではなく内野手用。プロ野球で投手として活躍する選手は「子どものころから投手一筋で、常にチームのエース」といったケースが多いが、山本少年はそうではなかった。

2年生までは上級生の壁に阻まれ、公式戦出場は1試合のみ。レギュラーとなったのは最上級生・3年生になってから。

そこで着けた背番号は「4」。エースナンバーの「1」ではなく、セカンドのレギュラーナンバーだ。

もちろん、当時から投手としても試合に出場していた。ただ、チーム内にもう一人、馬迫宙央という投手がおり、彼がエースナンバーを着けた。実力が劣っていたわけではないというが、山本少年は投手だけでなくセカンドも守れたことから、1番を馬迫、4番を山本が着けることになったという。

ちなみに、打順は2番が主戦場。打者としても決してチームの中心ではなく、むしろ「器用で小技も効く、典型的な2番打者」だった。

野球に対する姿勢はというと、これも「どこにでもいる普通の野球少年」だったと指導者たちは語る。

「練習中も『怒られないギリギリのライン』を見極めるのが上手なタイプ。少し手を抜いているかな?と思って注意しようとしたら、そこから本気を出す。いざ注意をすると、クシャっとしたかわいい笑顔で煙に巻かれてしまう。あの笑顔を見たら、不思議と怒る気もなくなってしまうんですよ(笑)」

「あの一球は、一生忘れないと思う」のちの大成を予感させる投球

選手として飛び抜けた存在ではなかったが、のちの大成を予感させる投球を見せたシーンもある。

中学3年の夏。全国大会出場がかかった夏季選手権岡山支部予選決勝。腰を痛めていた山本少年は先発こそ回避したが、「投げます」と首脳陣に直訴して最後の2イニングだけリリーフでマウンドに上がった。

リードして迎えた最終回2アウト。最後の打者に対して投じた渾身のストレートはキャッチャーが構えたミットに寸分たがわぬ精度で吸い込まれた。

「あの一球は、一生忘れないと思う」

当時の指導者全員が、そう口をそろえる見事な一球だった。

しかし、その後出場した全国大会では1回戦で群馬県の高崎ボーイズにコールド負け。この試合もリリーフでマウンドに上がった山本少年は、相手の主軸打者・桜井一樹(のちに八戸学院光星、東北福祉大に進学)にレフトスタンドに豪快な一発を放り込まれている。

「全国大会に出場するチームのレギュラーですから、決して下手な選手ではなかったです。ただ、上には上がいることは私たちも本人も自覚していましたし、当時は将来プロに行くなんて、想像すらしていませんでした」

監督の中田さんは、当時をこう振り返る。

中学野球を引退した山本少年だが、ここで転機が訪れる。縁があって宮崎県の都城高校への進学が内定し、スイッチが入ったのだ。

引退後もチームの練習に参加し、時間があればマウンドで投球練習を繰り返した。

「気づくと、『あれ、由伸また投げてるのか』といった感じでした。高校では投手として勝負したいという気持ちもあったんだと思います。そこからですね、由伸が一気に伸びたのは」

夏の引退時には120kmほどだった球速は、卒業時には130kmに達するまでになった。指導者も驚くほどの急成長ぶり。その姿を見て、代表の藤岡さんは「もっと投手の練習をやらせてあげればよかったのかな」と感じたそうだ。


中学卒業から6年後の2019年にはタイトルを獲得するまでに

高校入学後は、その成長スピードはさらに加速する。

「高校2年生で『由伸が150kmを出した』と聞いたんですけど、チーム全員が信じられませんでした。『それ、本当にあの由伸?』って(笑)」

「どこにでもいる普通の野球少年」だった山本由伸は、そこからわずか3年でドラフト指名され、5年で一軍に定着、中学卒業から6年後の2019年には最優秀防御率のタイトルを獲得するまでになった。

当時の指導者4人は、口をそろえてこう語る。

「当時とのギャップがありすぎて、正直に言うと今でも実感はないんです(笑)。オフシーズンにはチームに顔を出してくれることもありますけど、笑顔は当時のままだからなおさらです。でも、実際にはプロ野球を代表する投手になって、東京五輪では金メダリストにまでなってしまった。不思議な感覚ですよ」

小柄な投手兼セカンドだった野球少年は、そこからわずか数年でプロ野球界の頂点を極めた。そしてこの春、今度は世界一を目指して戦うことになる。

ただ、ともに少年時代を過ごした指導者にとって一番の願いは「日本一」や「世界一」ではない。

「ケガだけには気をつけて、少しでも長くプレーしてほしい」

話を聞いた4人の指導者全員が、こう語ってくれた。

まだ、24歳――。

おそらくWBCの戦いも、山本由伸の野球人生にとっては通過点に過ぎない。

今なお破格のスピードで進化を続ける“日本のエース”がWBCでどんな投球を見せるのか。

岡山県の河川敷グラウンドをルーツとする山本由伸は、WBCでの世界一、さらにその先の頂に向けて、これからも歩み続ける。

<了>






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