3月31に行われた全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会(以下、全国選抜大会)決勝戦は、花園王者・東福岡高校を下した桐蔭学園高校の優勝で幕を閉じた。4年ぶり4回目の戴冠となった神奈川の雄は、決して順風満帆にここまでたどり着いたわけではない。昨年冬の花園は、県予選敗退で出られなかった。さらに高校の現場は「影響なし」を強調するが、下支えをする桐蔭学園中学のラグビー部は2020年に閉部している。危機感を持って挑んだこの大会、藤原秀之監督は選手たちにどんな声をかけ、選手たちはそれをいかに消化したのか?
(文=向風見也、写真=Getty Images)
桐蔭学園高校が手にした4度目の頂点あたりの桜が色づいていた埼玉・熊谷ラグビー場に、試合終了を告げる笛の音が響いた。
2023年3月31日。1、2年生同士による全国選抜大会の決勝戦で、桐蔭学園高校が優勝した。スコアは34―19。この大会で頂点に立ったのは4度目だ。紺のジャージィをつけた青年たちはそれぞれ、白い歯を見せたり、安堵したように目を細めたりしていた。
まもなく、藤原秀之監督が記者の問答に応じる。就任21年目を迎えるベテラン指導者。抑揚は少ない。
――大会の成果は。
「自分たちのやろうと思っていたことは徹底できた。そこは評価できるかなと」
――ここから先、どう成長するのかが楽しみです。
「ここ(選抜大会)までの準備はある程度しかしていなくて、ここからの準備はスタッフのなかで一応、絵は描いている。(目標まで)逆算をしながらやっていきたいです」
――今年のチームの可能性は。
「まだまだ(この大会に出られなかった)ケガ人もいます。これからまた、部内でポジション争いが始まる。楽しみな1年になるかな、と思います」
指揮官は心得る。ラグビーの肝は「ジャッジメント」。会場の風向き、時間帯、点差、彼我の戦力差に応じ、適切な判断を下すことを求める。その時々でどう戦うべきか、選手に考えさせる。
理路整然という言葉が似合うクラブ文化のもと、現日本代表の松島幸太朗、堀越康介、齊藤直人といった名手が巣立ち、冬の全国大会では2020年度まで2連覇を果たしている。
2020年度限りで幕を閉じた、桐蔭学園中学のラグビー部日本のラグビー界は今、移ろう時代の只中にある。
全国高等学校体育連盟のデータが示す。2011年度から2021年度にかけ、さまざまなスポーツの部活の加盟・登録校数、部員数は、総じて減ってきている。
2015、19年と2度のワールドカップで認知度が高まったはずのラグビーでも、この10年間における減少率は加盟・登録校数、部員数でそれぞれ約17%、25%にのぼる。
桐蔭学園は、関東を中心に各地から入部希望者を集める。そのため存続を危ぶむには至らないものの、取り巻く環境に変化があるのは確かだ。
今年、OB会と協働する別組織として「一般社団法人TOIN RUGBY CLUB」が立ち上がった。
オンラインイベントなどを通じてチームスタッフの組織論やコーチング論、OBの知見を社会にシェアする。ミッションの一つは、「桐蔭学園ラグビー部の活動が持続可能になること」。代表理事の星野明宏氏が、オンラインセッションでそう伝えた。
平たく言えば、活動の支えを学校の外にも作った。有事に備える意識がにじむ。
桐蔭学園では、2019年度に学内再編があった。
系列校で男女別学の桐蔭学園中学が、同グループ内の男子校である中等教育学校と一本化。男女共学となった。それに伴い、桐蔭学園中学のラグビー部が2020年度限りで幕を閉じた。
東日本大会優勝2回などの実績を誇りながら、ラスト2年は新入部員の募集を打ち切っていた。
最後の中学3年生の代で主将だった井吹勇吾は、内部進学した高等部で初めてチームメートに後輩ができたと笑う。
「あ、後輩って、こういう感じなんだと。(関係作りで)難しいところがあったり、楽しいところもあったりという感じですね」
部活のあり方が見直される社会情勢、当局の経営方針の変化という制御不能の流れは、現場にどんな影響をもたらすのだろうか。特に、中学のチームが区切りをつけたことについてはどうか。
藤原監督は「ここ10年は僕ら高校のスタッフが(中学に)携わって中高一貫の側面がありましたし、そこで基礎を教えられたアドバンテージはあったと思います」としながら、総じてマイナス面は生じないと言った。
指揮官が強調するのは、むしろ別な危機感だった。
「もし今年も花園に出られないようなら…」昨年、桐蔭学園は冬の全国への出場を8年ぶりに逃していた。11月20日の神奈川県予選決勝で、東海大相模高校に13―14と屈した。
高校日本代表のエース格たる矢崎由高ら、全国屈指の才能を擁しながらの敗戦でもあった。先発15名中9名を占めた2年生の一人、左プロップの井吹はこう回想する。
「勝たなきゃいけないという思いと、勝てるんじゃないかという思い込みがあった。今年は負けるんじゃないか、絶対に勝ちに行こうという思いを全員が持つべきだった」
長年、3年生の船出を見送ってきた藤原監督も、「負けちゃいけない試合で負けた。本校にとって、ラグビー部にとって、失ってはいけないところだった」。例年より約1カ月も早く訪れた新チームの発足に際し、生徒にある種の圧をかけた。
「もし今年も花園に出られないようなら、桐蔭はそのまま落ちていくぞ」
創部は1964年。新しい最上級生は17歳にして、自分の親よりも先に生まれたかもしれぬクラブの命運を握った。
エンジョイファーストが謳われる昨今のスポーツ界にあって、かなり印象的な事例とも取れる。きっと、そう映るのをわかったうえで、藤原監督は言った。
「当然、(試合に)出ている以上は責任があるよ。簡単にやるんじゃないよ、と」
「仲間がいる。背負っているものが…」年末年始は部員のうち約40名の精鋭を連れ、関西に遠征した。現地の強豪校の控えチームと練習試合をしたり、東大阪市花園ラグビー場での全国大会を観たり。
自分たちが暴れるつもりだった会場で観客となる感覚はどのようなものか。参加者の一人はこう吐露した。
「正直、行きたくなかったです。ただ、行ったことで学べたことも多かった。花園ではどう風が吹いているかなど、雰囲気を知れたのがよかったです」
今度の選抜大会では、全国大会の後にいまのチームを動かし始めた他の強豪校と比べ、一日の長があった。だからだろう。頂点に立ってなお、気を引き締める。藤原監督は改めて言う。
「まずは第一ハードル(次回の県予選決勝)。そこまでの逆算をしていこう。選手にはそう言ってあります」
付属の中学の最後に居合わせた井吹は、高校で直面する「もし今年も花園に出られないようなら……」という運命に向き合う。あくまで一人の運動部員として。
「緊張はありますけど、仲間がいるので。背負っているものが大きいとは思っていなくて。(チーム)全員で(分担して)背負っている」
2023年度の桐蔭学園高校ラグビー部は、これから勝利を積み重ねるごとに、喜びを始めとしたいくつもの感情を見つけてゆくだろう。
<了>