3度目のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)戴冠を目指す浦和レッズ。4月30日にアウェイで、5月6日にホーム・埼玉スタジアムで、サウジアラビアのアル・ヒラルと決勝戦を戦う。ACL優勝経験のあるJクラブは浦和、鹿島アントラーズ、ガンバ大阪の3クラブ。2度の優勝経験を持つのは浦和だけ。4度の決勝進出を果たしている。ではなぜ浦和はACLで強さを発揮できるのか?
(文=佐藤亮太、写真=Getty Images)
「アジアナンバーワンになる」との号令AFCチャンピオンズリーグ・ACL。川崎フロンターレ、鹿島アントラーズ、ガンバ大阪らJクラブが挑戦するなか、浦和レッズは初参戦となった2007年での優勝からここまで8度出場。うちグループステージ突破は6回。4度の決勝進出を果たし、今回、3度目のアジア制覇を狙う。
なぜ浦和がACLで実績を残しているのか。そこにはある種の“熱”を感じる。
はじめの“熱”は、2002年にクラブ代表に就任した犬飼基昭氏の「アジアナンバーワンになる」との号令からはじまった。
その号令を実現すべく、長谷部誠、鈴木啓太、田中達也、永井雄一郎、坪井慶介、山岸範宏ら浦和でキャリアをスタートさせた高卒・大卒選手の成長とともに、2004年を境に田中マルクス闘莉王、三都主アレサンドロら他チームの主力級の選手を獲得。さらにポンテ、ワシントン、ネネなど即戦力の外国籍選手を補強。まるまる入れ替えても遜色ない2つのチームを編成するまでになった。
クラブの本気がチームに、選手に、そしてサポーターに伝播した。
「ヒラさんがPKを決めたときの熱狂はすごかった」「チームの持つ熱量はすごかったですね。プロ1年目だった2006年のリーグ優勝もそうですが、埼スタが揺れて鳥肌が立ちました。パッション、情熱、活気にあふれていました」
そう振り返るのは、現在は東京ヴェルディでプレーする小池純輝だ。プロ2年目の2007年、出場はなかったがACL12試合中7試合に帯同した。厳しい日程と強行軍のなか、小池は感じたものがある。
「先輩たちが普通にプレーしていたのはすごかったですね。この年、リーグ最終節に横浜FCに0-1で負けて優勝できなかったシーズンでした。でも1年間、出続けていた選手のタフさたるや想像以上でした。ACLでは試合に出ていない僕でも、アウェイの遠征に帯同して、日本に戻ってJリーグの試合に出るだけで難しさを感じました。あと、準決勝・第2戦のホームでの城南一和戦。ヒラさん(平川忠亮)がPKを決めたときの熱狂はすごかったです。僕はベンチにいましたがスタジアムの一体感を感じました」
2007年のACLで5試合、2008年に3試合に出場し、現在はザスパクサツ群馬でプレーする細貝萌はこう振り返る。
「ACLの経験は価値のあるものでした。試合のときはみんな年上で僕が一番年下でしたね。いろんな経験させてもらったなかで、当時の浦和はいまとはきっと違うものがありました。個の強さや個の能力……オフザピッチも含めて、個が強かったですね。そのなかに、僕がいさせてもらって、なんとか食らいついていれたのは間違いなく財産の一つです。本当に素晴らしい先輩に囲まれていました。例えば鈴木啓太さん。啓太さんのような素晴らしいパーソナリティの選手とともに戦い、面倒を見てもらったことは僕にとってかけがえのない経験でした」
「ACLを知っている選手がいることが大事」移動を含めた強行日程。それに負けない選手個々のタフさ。バックアップするクラブ。そんなチーム・クラブを全力で後押ししたサポーター。
この2年間で浦和レッズに関わるすべての人々が体感した熱は、その後のACLでも変わらなかった。
「2007年、2008年に中国や中東に行って、強いチームと戦って勝ち進むうちにクラブやチーム、そしてサポーターも“違う景色”を見ちゃった。それが一番大きい」
そう話すのが元・浦和レッズ代表の淵田敬三氏。就任した2014年2月から退任する2019年1月末までの期間、2015年(グループステージ敗退)、2016年(ベスト16)、2017年(優勝)のACLに出場。2018年には天皇杯で優勝し、翌2019年の出場権を得て、退任した。ACLを最も体感したクラブ代表といえる。
この時期、毎年のようにACLの舞台に出場できた要因はなにか? その一つはクラブのACLへの考え方だ。淵田氏はこう語る。
「クラブとして、リーグはもちろん大事ですが、世間の想像以上にACLの大切さを選手だけでなく、クラブがとても強く認識していました。『ACLはすごい大会なんだよ』と。でも日本国内ではACLがそれほど大きな大会と思われていない。(浦和では)UEFAチャンピオンズリーグと同じような見方をしていましたから、ACLに対して見ているところが他のJクラブとは違っていました」
同様に、浦和レッズというクラブのACLに対する捉え方の違いを感じる選手は多い。関根貴大はこう話す。
「浦和には数多くACLに出ている経験値があり、その差があります。選手もクラブもサポーターも含めて、ACLを見据えているところが違っていました。日本一じゃなくて『アジアを取って世界へ』と意識している。これだけ強く意識しているチームはJリーグにはないですし、その姿勢が数字に表れています」
さらに経験値の重要性を挙げながら、西川周作がこう付け加える。
「ACLを知っている選手がいることが大事です。2017年、2019年もそうですが、『ACLはこうなんだ』ということを知っている選手がいることはチームの経験値としてある。2017年に優勝できたのも2015年、2016年の経験があったからこそ。そこが大きかったです」
淵田敬三、村井満、興梠慎三でACL制覇を祝った夜海外移籍を念頭に、チームがACLに出場することで欧州クラブから見られる可能性が増えると考えて浦和レッズに加入した選手は少なくない。また、選手たちはACLでの戦いを純粋に楽しんでいたと淵田氏は言う。
「(ACLを戦う)選手たちは楽しそうだった。サポーターも。(リーグに比べて熱が)全然、違っていた。サポーターの皆さんも海外に行きたくてしょうがないように見えました。その分、いままで行ったことのない場所での戦いだけに大変なこともたくさんあった」
東アジアのある国のあるクラブから度重なる妨害を受けたこともあったという。そうしたトラブルが極力起きないように、淵田代表自ら外務省、領事館、開催地の役所など各関係省庁にあいさつ回りをし、下準備を怠らなかった。
また2017年の決勝第1戦、アウェイでのアルヒラル戦に向け、サウジアラビアへのチャーター機を用意。現地観戦がかなった。記事によれば240人のサポーターが向かったが、実現には外務省など多方面との交渉を重ねた経緯があった。
こうしたノウハウは2007年、2008年で体感した成功、失敗を含めた得難い経験が生きている。
「これがクラブのレガシー」と淵田氏は語った。
その淵田氏が忘れられないのは2度目の優勝が決まった2017年の第2戦。第1戦アウェイを1-1で折り返して迎えた第2戦、0-0で推移した88分、ラファエル・シルバが決勝点を挙げた。ゴールの瞬間、淵田氏は「隣で見ていた清水さん(清水勇人さいたま市長)と抱き合って、うれしくって泣いたよ」と振り返る。
試合が終わったその夜、簡単な祝勝会を終えた淵田氏は興奮冷めやらない浦和の街にいた。当時の村井満Jリーグチェアマンに呼び出され、ささやかな祝杯をあげると、同じ店に数人の選手が訪れ、再び祝勝会に。別の場所で家族・親戚と過ごしていた興梠慎三も合流。深夜3時過ぎ、寒空の浦和の街を淵田氏と興梠2人でそぞろ歩き、優勝の喜びをかみしめた。
ACLのレガシーが新たに刻まれようとしている2019年、2試合合計0-3と内容、点差とも大きく水を開けられ、準優勝となったあの日から約3年半。アルヒラルとの3度目の対戦に淵田氏は興梠慎三の存在の大きさを語った。
「慎三が(浦和に)帰ってきたことが大きい。慎三は中東のチームとの戦い方がわかり、しっかり渡り合える。西川(周作)がいることも大きく、酒井(宏樹)がいるのも心強い。でもなにより慎三がいるのといないのとでは全然違う。(札幌に期限付き移籍したとき、強化部に)慎三を戻してくれよ……と伝えた。ホントに帰ってきてよかったよ」
一方、興梠は4度目の決勝進出について「運もあった」と見解を示した。
「自分はいなかったけど、見ている感じだと、なかなか予選も勝ち上がれない難しさのなか、比較的、楽に勝ち上がってきた。でも決勝は簡単ではない。経験しているからこそ難しさはわかっている。アウェイから始まるけど、第1戦で優勝するかしないかが決まる。0-0、負けても1点差。そうしたアウェイの戦い方をしたい。2017年もアウェイではハーフコートゲームになって1-1で終えた。そのくらいは心掛けているけど、厳しい試合になる」
西川は「2017年、優勝した瞬間のスタジアムの一体感、コレオグラフィ―は忘れられない。ハッキリ覚えている。準優勝で終わった2019年、負けたあとの表彰式の光景は目に焼き付けている。あのスタジアムの雰囲気にはしたくない」とリベンジを誓った。
チームの移り変わりは早い。2019年決勝戦を経験しているのは、西川、関根、興梠のほか、出場した岩波拓也、ベンチ入りした柴戸海の5選手。このシーズンのチームを知る選手としては、ACLではベンチ外となった荻原拓也、この年トップチーム登録となった鈴木彩艶、特別強化指定選手として在籍していた大久保智明の名もある。
「決勝の雰囲気はわかりませんが、なにも変えずに、いつも通り良い準備をして試合に臨みたい」。目前に控えたACL決勝を前に、いまや主力となった大久保が語った。
ACLのレガシーが新たに刻まれようとしている。
<了>