東京オリンピック2020・スケートボード競技での日本勢、特に10代選手の活躍が記憶に新しいが、オリンピック以降、世界中のコンテストで日本の新世代の快進撃が続いている。特に躍進目覚ましいのは10代の選手たち。5月14日に行われたX Gamesストリート男子決勝では13歳の小野寺吟雲が史上最年少優勝。翌々週行われた新設国際大会『UPRISING TOKYO Supported by Rakuten』では、14歳の上村葵を筆頭に、13歳の吉沢恋、12歳の大西七海の中学生女子3人が表彰台を独占した。
なぜ日本の10代はスケートボード界を席巻しているのか? 1年後に開幕を控えたパリオリンピックでの活躍が期待される日本スケートボード界の強さの秘密とは?
(取材・文・撮影=大塚一樹、写真=GettyImages)
女子スケートボードのアイコンも驚く日本の10代の急成長「日本人の女子選手、特に若いスケートボーダーたちはあり得ないスピードで成長している。その進化に他の国も強くインスパイアされている」
堀米雄斗と戦略的パートナーシップを結ぶ楽天グループが主催するUPRISING TOKYOの記者会見。オフィシャルアナウンサーを務めるために来日したアメリア・ブロッカは、日本の若い選手、特に10代の女子選手が世界のスケートボード界に旋風を巻き起こしていることへの驚きを隠さなかった。
自身もポーランド代表として東京オリンピックに出場したアメリアは、女性スケートボーダーをサポートするボランティア団体の代表を務めるなど、女性スケートボーダーの地位向上を目指す活動にも熱心だ。
同じ会見では、UPRISING TOKYOのヘッドジャッジを務めるプロスケートボーダーのジェイソン・ロスマイヤー、同じくプロとしても活動しながら、さまざまなイベントを手がける The Boardr社のファウンダー、ライアン・クレメンツも日本の若いスケートボーダーたちの活躍を熱を持って説明し始める。
「黎明期はアメリカの独壇場だったが、2000年代になるとブラジル勢が伸びてきた。2010年代になると日本人選手が国際大会でものすごい活躍をし始めてその勢いは今も続いている」
オリンピック以前、スケートボードが競技として成立する過程を、ある種の「仕掛け人」として見てきたライアンは、スケートボードの勢力図の歴史に日本の足跡がすでに残されていることを、同じくスケートボーダーとして、そして選手を評価するジャッジとして見つめてきたジェイソンとの掛け合いで力説した。
子どもたちが大会にアジャストしたレッスンで成長したUPRISING TOKYOは、オリンピックで一躍脚光を浴びた日本のスケートボードシーンに、「競技性」だけでなく「カルチャー」の側面から光を当てることを目的として掲げた大会。この「競技」と「カルチャー」の関係性が、今回の原稿のテーマの一つだ。
「東京オリンピック前からスケートボードにレッスンから入る子どもは増えていました。大会があるという前提でトリックに取り組み、半ば習い事として取り組むキッズがちょうど成長してきたのが現在の20代、10代選手の活躍につながっていると思います」
こう話すのは、90年代後半からバーチカル種目でX Gamesをはじめとする数々の国際大会で活躍し、世界で戦う日本人の先駆けとなった小川元だ。
「本場・アメリカでは、競技やコンテストはスケートボードの一部で、それがすべてという考えはあまりありません。最近は、日本同様若い世代を中心にコンテストネイティブなスケートボーターが出てきていますが、日本ではスケートボード=レッスンを受けて始めるものという人も多い」
たしかに公共の場ではほとんど滑ることが許されない日本では、スケボーとのファーストコンタクトが「スケートパークに行って習うもの」という選手も少なくない。
「楽しいからやってみようという子はもちろんいると思いますが、例えば親御さんの影響で習い事として始める子の方が多いと思います。日本人は習い事としてまじめに取り組んで結果を出すのが得意じゃないですか? テストでいい点取るためのに勉強するのと同じ感覚で、『コンテストのフォーマットに対して日本人選手が強い』というのはいえると思います」
年齢下限がなく、体格面でも若さが不利にならず情報がフラットになった
一部の競技はオリンピック種目としてさまざまな理由から出場選手の年齢下限を設けているが、スケートボードにはこれがない。幼くしてスケートボードを始め、恐怖心が芽生える前に複雑なトリックにどんどんチャレンジし、自分のものにしていく。
体格や身長差、筋力が絶対的アドバンテージとはいえないスケートボードでは、若さが未熟さに直結することもない。
10代の頃から活躍する選手が成長とともに経験を積んで競技に新たな色味を加えると思われる今後は変化が見られるかもしれないが、競技経験で年長者を上回るアーリーティーンがコンテストを席巻するのは合点がいく。
トリックに関しても、大会出場者のリストの横に必ずInstagramのアカウントが併記される時代にあっては、以前のような情報格差はない。新しいトリックは成功の翌日には世界中で何度も繰り返し再生され、多くの人がチャレンジできる状態になる。
第二次ベビーブーム世代と80年代、90年代のスケートブーム東京オリンピック・男子ストリートでの優勝で、日本国内の競技認知度を大きく向上させた堀米雄斗は、金メダル獲得直後からことあるごとに「大会は結果がわかりやすく出るけど、コンテスト、採点で勝敗が決まる世界は、スケートボードの一面でしかない。スケートボードの本当の魅力や楽しさをもっと多くの人に知ってもらいたい」と、自ら王者として祭り上げられることに戸惑いさえ感じさせるような眼差しで発言している。
「雄斗はものすごく印象的でした。彼もお父さんの影響で始めたというのはあるんですけど、“やらされてる感”がまったくなかった。大会以外のことにも興味があるようでしたし、当時のiPodにスケートボードの映像を入れてずっと見ていた」
小川は、幼少期の堀米がiPodの映像を食い入るように見ている姿をよく覚えているという。堀米の父親も小川も80年代から90年代にかけてのスケートボードブームを経験した世代だ。
「80年代はもう本当にやんちゃなイメージ。乗っているだけで不良扱いされるような感じでしたが、90年代になってスケートファッションが流行すると急におしゃれな感じになりました(笑)」
当時は数週間遅れで入ってくるアメリカの雑誌と、トップスケートボーダーたちのライディングが収められたビデオテープが貴重な情報源。堀米が「金メダルよりもかっこいいビデオパートを残したい」と将来の目標を語っているのは、当時なかなか目にすることのなかった世界トップレベルの滑りに衝撃を受けた世代の影響があるのかもしれない。
「世界では第三次スケートボードブーム、日本では第二次スケートボードブームに多感な時期を過ごした世代は、いわゆる“団塊ジュニア”で人口も多かったんですよね」
少子化にあって、日本における第三次ベビーブームは到来しなかったが、現在の20代、若い世代のスケートボーダーたちに、スケートボードにアメリカの風を感じた親世代の影響があるのは間違いないだろう。
堀米雄斗が口にする「大会は一面でしかない」の真意習い事として定着し、コンテストのフォーマットに合わせて成長する日本の若きスケートボーダーたち。小川の現状分析には、堀米の言動同様、「危機感」とまではいわないまでも、スケートボードに対する取り組みへの違和感を感じた。そのことについて聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「どっちかがよくてどっちがダメってことじゃないんですよ。習い事化して競技だけしかできない、言い方が適切かどうかわかりませんが難易度の高いトリックがこなせてまとめるのがうまいだけの最大公約数的なスケートボーダーばかりになるのも違うし、“カルチャー”という曖昧な言葉で結果を出している選手たちを否定してしまうのも違う。どっちもあっていいんです。本来、スケートボードは自由なものだから好きに楽しめばいいと思うんです」
世界への扉を開いたパイオニアである小川自身、日本におけるスケートカルチャーの一部を体現する存在であり、現在は後進のための環境整備や指導者の役割などを担っている。
20代前半、当時新競技に採用されたばかりのインラインスケートに出場する知人の選手の申込用紙でX Gamesアジアにエントリーし、確約がないまま渡航、出場するという多少危なっかしい“開拓”で世界にパイプを築いていった小川の言葉は、一面的な見方ではスケートボードの本当の魅力、楽しさを堪能できないという示唆に富んでいる。
スケートボードカルチャーを押し出したイベントで見た若きスケートボーダーの衝動と情熱小川に話を聞き、スケートボードのカルチャーに光を当てる試みであると主催者が明言するUPRISING TOKYOの全日程を取材して印象に残ったのは、スケートボーダーたちが先人たちの歩みや切磋琢磨、コンテストでのふるまいを通じて築いてきたものこそが、つかみどころのない “スケートボード・カルチャー”の正体なのではないかということだ。
UPRISING TOKYOでは、本戦ともいえる独自のストリート種目の他に、ベストトリックセッションが開催された。イベントのアドバイザーを務めたレジェンド、ケニー・リードは大会前から「順位はつけるが、いつでも、何回でも自分のタイミングで滑っていいフリーなセッションをあえて設けた。普段のスケートボーダーの雰囲気を感じてもらえると思う」と、このセッションを目玉の一つに挙げていた。このセッションは、限られた時間の中で順番に試技をしていく通常の大会とは違い、たしかにオリンピックでのスケートボードしか知らない多くの日本人にスケートボード・カルチャーを感じさせてくれるものだった。
「あと10分やってくれ! まだまだ見たい!」
ジャッジ席に向かって両手の指を開いて訴えていたのは、セッションに参加しなかったスケートボーダーたち。すでに規定の時間を延長して行われていたセッションは、後半になればなるほど盛り上がった。
セッションに使われたコースからして普通ではない。今回のイベントの売り物の一つである、実在するスケートの聖地のレプリカであるハリウッドハイスクールの12段ステアとサンフランシスコにある『クリッパーレッジ』という二大有名スポットが並んでいるという夢のようなセクション。
階段12段分の高低差があるセクションは参加するトップスケートボーダーたちにとっても歯ごたえのあるものだ。男女に分かれて行われたベストトリックセッション。日本の10代、しかもアーリーティーンが多く参加していた女子の部では、初めは躊躇し譲り合う様子が見られた。それでも一人が飛び、もう一人が続くと、後はお互いの意志やコースだけ確認して続々とチャレンジするという状況が生まれた。
12段の階段の上から飛び出し、着地を成功させるだけでも驚きだが、選手たちはレールと呼ばれる手すりや階段横のカーブであるレッジを使ったトリックにも果敢に挑む。
競技よりもチャレンジングな技に挑戦するからなのか、ほとんどの選手は着地ができず時にはボードを飛ばし、こちらが心配になるほど強く体を地面に打ち付けていたが、それを繰り返すうちに少しずつ成功に近づき、ついには狙っていたトリックを決める選手も現れるようになった。
こうなるとセクションの正面に陣取った男子選手たちは驚きの表情でハイファイブを交わし、拍手喝采。トリックの詳細は伝わらなくても彼女たちの熱が会場全体に徐々に伝わっていくような感覚があった。
結果として延長を促されたジャッジ、運営は間を取って5分の延長を決め、男女ともに規定の時間が終わっても自分がやり遂げたかったトリックに何度も挑む姿が見られた。
成功か失敗かではなくチャレンジを評価する大会前日、ヘッドジャッジを務めるジェイソン・ロスマイヤーはスケートボードの採点についてこう語っていた。
「技術や完成度も重要だが、スケートボードではなんと言ってもオリジナリティや革新性が評価される。無難な技、すでに完璧にマスターしている技を8回繰り返すより、より大きなリスクを取ってチャレンジした選手をより評価する」
オリンピックや世界選手権、X Gamesやその他の大会、イベントで採点基準は異なるが、スケートボードのジャッジは、成功か失敗かの二択ではなく、チャレンジングな姿勢、スタイルをこそ評価する。
東京オリンピック・女子パークでメダルよりも自分のベストのトリックを出すことを優先させ、結果メイクできずに4位に終わった岡本碧優が、順位に反してライバルたちから抱え上げられて称賛されたシーンは、これまでのスポーツの価値観とは一線を画す光景として多くの人の記憶に残った。こうしたことが起きたのも、スケートボードが守りより攻め、無難な成功より大胆な挑戦に重きを置き、それが選手たちの大切な根っこになっている証拠だろう。
習い事化したスケートボードと、高機能だが個性に乏しい選手たちという懸念があるのも事実だが、UPRISING TOKYOで日本の若き選手たちが見せてくれた夢中でチャレンジする姿は、併催されたどんなイベントよりも「スポーツといえば競技、競争」と無意識に了解してしまっているスケートボード初心者の日本人に“カルチャー”を感じさせてくれた。
<了>