女子バスケットボール・Wリーグの舞台に馬瓜エブリンが帰ってくる。2020-21&2021-22シーズンにトヨタ自動車アンテロープスでリーグ連覇を果たし、東京五輪では銀メダル獲得に貢献した後、飛び出した突然の一年間の休養宣言。大きな決断をした当時の胸中と、長い夏休みを通して得たかけがえのない経験、そこから見えてきた今後の人生設計について改めて話を聞いた。
(文=守本和宏、写真=アフロスポーツ)
一年間休むという選択。「休むのは悪」なのか?「休むのは悪」と考えるスポーツ関係者は、もはやそれほど多くないだろう。だが、仮に選手が“休んだほうがいい状態”だったとして、学生レベルでそれを相談できる環境はほぼ整っていないし、トップレベルでも十分でないところは多い。アスリートは競技にすべてを捧げるべき、他のことをしていたら集中が足りないと、一般から揶揄されるケースも少なくない。しかし、馬瓜エブリンのように休むことがきっかけで、人間として成長できるケースもあるはずだ。
「エブリンだよ!」のフレーズで、女子バスケ界一の人気者となった馬瓜エブリン。粘り強いリバウンドに高い得点力など、日本を代表するPF(パワーフォワード)である彼女は、東京五輪直後、突如「『人生の夏休み!!』です!」と宣言。ケガなどない現役アスリートとしては異例といえる、1年間の休みを発表した。
地上波での露出が増える前から、オールスターで歌を歌ったり、オシャレをしてバズーカを打ったり、女子バスケ界の主役の一人だった彼女。それが、東京五輪で銀メダルを得た翌シーズン、突然の休養である。最も注目が集まる、自分の価値が上げられる、そんな時にあえて行った休養宣言。
その背景に、何があったのか。充実の1年間の夏休みを過ごし、Wリーグに帰ってきた馬瓜エブリンに、バスケットボール一筋でやってきたアスリートが競技を一年間休むという、その選択の意味を聞く。
「エブリンだよ!」誕生秘話とデンソー加入の選択トヨタ自動車アンテロープスを2連覇に導き、夏休み宣言をしたエブリン。1年後、復帰した彼女が新たなフィールドに選んだのが、デンソーアイリスだった。髙田真希という絶対的センターを軸に、2015年に赤穂さくら、2年後に赤穂ひまわりが加入し、ここ数年は優勝を狙えるほど魅力的なチームとなったデンソー。その反面、2017-18シーズンのリーグファイナル進出、皇后杯では2014-15年以降5回決勝に勝ち進んでいるが、未だにタイトルには手が届いていない。エブリンがデンソーを選んだ理由も、そこにあった。
――1年間の休みを終え、新天地にデンソーを選ばれました。その理由を教えてください。
エブリン:基本的に、一カ所にとどまるのがあまり好きじゃないので、新しい歴史をつくりたい、つくれるであろうメンバーがいるからデンソーを選びました。決め手は、やっぱり髙田選手ですね。小学校5年生ぐらいから髙田選手にはお世話になっていて、『髙田選手を手ぶら(無冠)で終わらせるわけにはいかない』と思ったのも、一つのきっかけです。
――小学校5年生の時に、どんな接点があったのですか?
エブリン:高校バスケの強豪、桜花学園の監督から見学に来るかと誘われて、体育館を訪問させていただいたんです。当時は全国大会に行くような強豪校だと全然知らなくて……。その時、練習中に、扉をバーンと開いて、『エブリンだよ!』っていうポーズをいきなりやって。それで、みんな固まるっていう(笑)。そこに髙田選手がいらっしゃったんです。
――「エブリンだよ!」って、そんなに昔からあるんですか?(笑)
エブリン:それがきっかけです(笑)。当時練習されていた髙田選手も、衝撃的だったらしくて。今考えたら絶対やらないですけどね。
――ここ数年、躍進を遂げているデンソーに対して、トヨタ自動車時代から対戦してきて強さを感じていたと思います。どんな印象を持っていましたか?
エブリン:本当にすごく魅力のあるチーム、かつ、一番戦いたくないチームだなと思っていました。相手に与える恐怖感など、周りの選手も本当に良いものを持っているので、すごく面白いチームだと思っています。
――そしてまた、優勝できるだけの力がありながら、タイトルまで手が届いてないチームでもあります。そのために必要なものは、現時点でなんだと思っていますか。
エブリン:やっぱり髙田選手の存在に、頼りすぎてしまうところは多分あったと思います。試合終了直前に髙田選手がゴール下で呼んでいたとしても、自分たちが責任を持ってシュートを打ち切る。そんなところが、まだ足りないかなと思います。ゲームを決める、流れをつくる選手たちの集まりにならなければいけないとは感じていますね。
休むことで“自分がどういう道を歩みたいか”考える時間を持てた――2022年7月。「『エブリン、人生の夏休み!!』です!」と宣言されました。実際、その考えに及ぶまでどんな思いがあったか、そしてこの1年で何を考えたか教えてください。
エブリン:休みを取った理由の一つとしては、選手である自分自身が試合以外でどうやって価値提供できるか、そのきっかけをつくりたかったのがあります。あとは、選手にとって休みがどれぐらい作用するのか、考えてほしいという意味でお休みをいただきました。
“1年の休み”という期間が、どの選手にも当てはまるわけじゃない。自分にとっては1年だっただけで、ちょっと休みすぎかなとは思いましたけど、やりたいことを考えたら1年必要だった。選手によっては、例えば2~3カ月や半年とか休みが必要な選手もいると思う。それをちゃんと口に出せるような環境づくりを訴えかけたかったんです。
――実際に休み中はどんなことをされていましたか?
エブリン:いろいろやらせていただきましたけど、名古屋の栄のど真ん中で3X3の大会をやったり、海外挑戦したい選手たちをシカゴに連れていって向こうで試合したり、他にもさまざまな取り組みをしました。アフリカのガーナやアメリカのシリコンバレーに行ったり。1年でもちょっと足りなかったかな、というのはあります。
――夏休みを決断するまで、迷いはなかったですか?
エブリン:もちろん怖かったですね。それはもう、休んでいる間もずっと「復帰できるかな」という不安もあったし、怖かった。でも、それ以上に自分の中で「この休みは人生の中で必ず取りたい」と思っていたんです。
経緯としては、2019年に何をやってもダメな時期があった。プレーも、プレー以外の面でも何をしてもダメ、みたいな時期があったんです。東京五輪も出られないかもしれないというところまでいきましたが、偶然コロナでオリンピックが1年延期になった。そこで、自分とちゃんと向き合えたんです。
――コロナ禍の休養時間が逆に考える時間になったと。
エブリン:何もできない2~3カ月ぐらいの休みの中、自分のメンタルやそれ以外の活動、いろんなことにチャレンジしながら、“自分がどういう道を歩みたいか”考える時間を持てた。その休みがすごく良く作用したので、オリンピックが終わったら1年間休みを取ろう、と考えていました。そんな、計画的策略だったんですよね(笑)。
アスリートにとっての“休み”の意味――1年間バスケ選手でなくなる経験は、ご自身の中でも過去にないことだと思います。選手の中には勝敗にとらわれすぎて、一時的に競技の楽しさを見失う人も多い。改めてバスケから離れたこの1年は、自身にとってどんな意味を持ちますか?
エブリン:自分自身が過ごした1年間はすごく楽しかった。そこに後悔は何もありません。ただ、試合の解説をやらせてもらって、上からみんなの試合を見ていると、本当にスポーツ選手はすごく恵まれているな、と感じました。そして、ギリギリのところで戦っている選手たちはカッコいい、これだけ多くのファンがいて幸せ者だなと思いました。
私は皆さんからスポーツ選手だと認識されていますけど、現役をやめたら話を聞いてもらうのが難しくなったり、良い影響力もいつまで続くかわからない。本当にスポーツ選手は現役でいるうちが一番輝いているところに、全選手が気づいてほしいなとは思いましたね。
――東京五輪後のシーズンで、ある意味選手として最も価値を高められる時期に休まれました。そのタイミングを逃すことに不安はなかったですか?
エブリン:不安はものすごくありました。オリンピックが終わって、そのままプレーしていたほうが、 もしかするとプレーの質も上がったかもしれません。いろいろ考えはしましたけど、自分が今後どうなりたいか、自分の中で明確だったので前に進めたのはあります。
自分の持っている価値が一番高い状態で、スポーツ以外の関係者の方々にお話をしに行く、価値提供にフォーカスしたのはあります。別に全選手が休まなきゃいけないわけではなく、自分の体のことを一番よくわかっているのは自分自身。今が絶頂期だと思えば、そのままプレーしたほうがいい。ただ、それを考える時間は必要だと思いますね。
――個人的に今回の夏休み宣言は、アスリートも一人の人間で、休みも必要なら家族との時間も必要。競技者であることだけに人生を捧げなければいけないわけじゃない、というメッセージの発信だったのかなと受け取っています。
エブリン:本当におっしゃる通りで、言ってしまえばアスリートなら2~3カ月ぐらい休むぐらいなら全然戻ってこれると思う。それは、今まで自分が努力してきた蓄積があるからです。「ポジションを失う不安」や「パフォーマンスが下がるかも」と考えれば休むのは怖いけど、正直、大丈夫だと思っています。気持ちが切れる心配もありますが、日本人は特にみんな真面目なので、休む選択肢は意外とありかなと思いますね。
――シュートタッチ戻らないとか、大丈夫ですか?
エブリン:戻らないっすね(笑)。でもあとシュートだけっていう感じです。体力は思っていたより全然大丈夫です。
――1年間の休養を取って復帰した今、世間に伝えたいことは?
エブリン:基本的に、アスリートという存在自体、すごく特異性のあるもの。でも、アスリートも一人の人間で、いろんなことを抱えてギリギリのところでプレーしている。その意味では、やっぱり皆さんの応援がすごく力になるので、ファンの皆さんとの距離を縮められるような施策や考えを選手も持たなければいけない。だから、ファンの皆さんもぜひリアルでアスリートが頑張っているところを見てもらいたいなと思いますね。
自分にとって必要なものを未来から考える多かれ少なかれ、アスリートはストレスを抱えながら、戦っている。それは当然、成長の糧になり、努力の源になる。しかし、時には立ち止まることが、最終的に良い判断を生むこともあるだろう。エブリンの第二章は、新たな充実感と成長とともにスタートを切った。
「人生経験豊かになったのは間違いなくありますね。例えば、後輩がどんな気持ちなのか、どういう声かけをしたらいいのか考えられるようになった。今までだったら、自分がある種エースとしてやっていかなければいけない気持ちがすごくあったんですけど、選手や周りを見ることに今は注力しています。“自分が自分が”でしたが、デンソーの皆さん、びっくりするかもしれないけど、これでも丸くなったんですよ! 1対1とか、絶対ボール返さなかったし(笑)」
エブリンが言うように、不安や怖さは常につきまとう。であれば、キャリアのゴールを明確にイメージすること。その目標のため、自らの意見を主張するのは、大切なことだ。
「インパクトあることだったり、『エブリンってめちゃめちゃ面白いことやってたよね』って覚えていてもらえるようなことを世間に残したいのはあります。今まで支えてもらっていたバスケ、スポーツに対して、お返しをしたい。スポーツ以外でもやることはありますが、最終的にはそこに還元したいとは思っています。自分がバスケをやってなかったら、どうなっていたんだろうってすごく思うので『エブリン、あいつ。面白かったな』って言われて、生涯を終えられたらいいですね(笑)」
自分にとって必要なものは何か。練習なのか、休みなのか、新たな視点か。このエブリンの夏休みをヒントに、少しでも自らの未来をよりよく捉えられるアスリート、人が増えれば、いいなと思う。
<了>
[PROFILE]
馬瓜エブリン(まうり・えぶりん)
1995年6月2日生まれ、愛知県出身。女子バスケットボール選手。Wリーグ・デンソーアイリス所属。ガーナ出身の両親のもと日本で生まれ育ち、小学4年生からバスケットボールを始める。桜花学園高校時代には高校三冠を獲得。2014年、アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスに加入。同年、日本代表に初選出。2017年、トヨタ自動車アンテロープスに移籍。2020-21シーズン、2021-22シーズンとWリーグ連覇に貢献。2021年開催の東京五輪では銀メダルを獲得。その後、1シーズンの休養期間を経て、2023年6月、デンソーアイリスへの加入が発表された。