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ラグビーW杯控えた日本代表、進む国際化。リーチ マイケルからワーナー・ディアンズに受け継がれる「感謝と誇り」

REAL SPORTS 2023年7月28日 11時40分

2019年に行われた自国開催のワールドカップでの盛り上がりもあり、すっかり他国出身選手が日本代表のジャージーをまとって戦う姿が定着したラグビー日本代表。現在の代表も7カ国のルーツを持つ選手たちで構成されている。母国を離れて海を渡って日本でプレーし、日の丸を背負うことになった彼らは、どのような思いを胸に日本代表として世界と戦っているのだろう。

(文=向風見也、写真=千葉 格/アフロ)

オールブラックス戦。縁は、その日のスタンドで生まれていた

縁があった。

15歳で来日したラグビー選手で、札幌山の手高校で体を大きくし、東海大学2年時に故郷のニュージーランドのカンタベリー州代表入りへの可能性を示されながら、この国で戦うと決めたのはリーチ マイケルだ。

「日本の指導者に教えてもらって、それで向こうに行ったら何か(日本への)裏切り感があって……」

日本代表になってからそう語ったいつかの若者は、やがてこの国のレジェンドとなる。

4年に1度のワールドカップに初めて出たのは2011年である。舞台はニュージーランドだった。予選プール2戦目で、オールブラックスこと開催国代表に敗れた。7―83。

縁は、その日のスタンドで生まれていた。

会場でオールブラックスの美技に心を躍らせていた一人が、のちに日本代表のライジングスターとなるのだ。

ワーナー・ディアンズ。その日9歳だった少年は、中学2年になると千葉県へ転居した。父がNECグリーンロケッツ(当時名称)でストレングス&コンディショニングコーチをしていたためだ。

進学した流経大柏高校のラグビー部では当初、日本の高校生に吹っ飛ばされてばかりだったが、毎朝、校舎内のジムに通い、段階的にサイズアップ。急激に身長が伸びて2メートルを超えたこともあり、リーチのいる東芝ブレイブルーパス東京にスカウトされた。

進路選択のために各所の話を聞き、国に帰るよりも「日本でやるのが一番成長できる」と決意。元ニュージーランド代表主将でブレイブルーパスを率いるトッド・ブラックアダーには、「もし日本に残るなら、日本代表を目指して」と背中を押された。

ワーナーのナショナルチーム初参加は2021年。常連組のリーチも、その場にいた。

2015年以降通算9戦7勝と結果を出すワールドカップを今秋に控え、34歳のリーチも、21歳のディアンズも、そろって主力候補と遇される。リーチは笑う。

「もしかしたら、いまの小学生がワーナーと一緒にラグビーができるかもしれない」

ディラン・ライリーは、最初は練習生として来日

そもそもどうしてラグビーの日本代表には外国人選手がいるのだろう。巷でその議論が減ったのだとしたら、この国にラグビーの文化が根付き始めた証拠だ。

国際統括団体のワールドラグビーは、選手の代表資格に関してルールを定めている。その国で生まれているか、両親、祖父母の1人がその国で生まれているか、その国の代表になる直前まで一定期間以上連続で居住しているか、その国に通算10年以上住んでいると判断されれば、選手はその国の代表を目指せるようになっている。

要は、国籍の有無は問われない。海外出身者が代表選手となる例は、世界的にも珍しくない。

日本代表でいえば、2019年のワールドカップ日本大会で登録された31名中、日本以外で生まれた選手は15名いた。そのうち7名は、開幕時点では日本国籍を持っていなかった。

代表資格を得られるまでの連続居住期間は、2022年1月に3年から5年に延びた。それでも、2023年秋のワールドカップ・フランス大会出場を目指す代表および同候補46名は、少なくとも7カ国のルーツで形成される。

特に若いうちに来日した戦士は、主にこの国でラグビー選手としてのキャリアを積んでいる。中学や高校から日本に訪れたリーチやディアンズも然り、それとは別なルートで日本のクラブに行きついた大器も然りだ。

南アフリカ生まれのディラン・ライリーは、幼少期から育ったオーストラリアでプロ選手になれなかった。こういった選手が、この競技で身を立てるには海を渡るほかなく、友人のベン・ガンターがいたパナソニックワイルドナイツ(当時名称)へ2017年に入った。最初は練習生だった。

もともと身長187センチと体が大きく、強さに定評があった。日本では、この先天的な資質に技巧と俊敏性を付け加えた。

日本でペースの速いラグビーに触れるなかで培ったもの

元オーストラリア代表ヘッドコーチのロビー・ディーンズが率いるワイルドナイツは、堅守速攻を志す。

相手防御を引き寄せてスペースへパスをする、タックラーにつかまれながら上腕を操り味方に球をつなぐといった技能が求められ、それをライリーは学んだ。体脂肪も減らした。

「オーストラリアにいた時は自分の強さを持ち味にしてきましたが、日本でペースの速いラグビーに触れるなかで、自身のパスとキャッチのスキルを培ってこられました。また、体を絞る必要もあった。日本のプレースタイルに触れて、幅が広がったと感じています」

ワイルドナイツで主力のアウトサイドセンターとなった頃には、オーストラリア代表を目指す選択肢は頭のなかから消えていた。

というのも、来日前、オーストラリア国内にはプロになれなかったものの将来性豊かなライリーに日本へ行かないよう進言する勢力もあったとされる。本人の意思を尊重するよりも、才能の流出を防ぐのを先決とする意向がにじんでいたのではないか。現地事情に詳しい関係者はそう見ていた。この件について、26歳となったライリーは多くを語らない。ただし毅然として言う。

「さまざまな対立する意見があったとは思いますが、最終的には自分がどうすべきかを決断する時がきたのです。日本に来る、という決断です。結果的にうまくいきました。これからも一生懸命、頑張りたいと思っています」

今回の日本代表ではフランカーの位置にもベン・ガンター、元オーストラリア代表のグレッグ氏を父に持つジャック・コーネルセンといった、ワイルドナイツで練習生から這い上がったタレントがいる。

同じようにフランカーで日本代表に選ばれている福井翔大は、2018年、東福岡高校から大学を経ずにワイルドナイツと契約した若者だ。加入当初は周りが年上ばかりだったため、ストレスで胃を壊した。部屋で寝込んでいたら、折しも下積み期間中だったライリーたちがクラブハウスの食事を持ってきてくれた。お互い、群馬県内の同じアパートに住んでいたのだ。

時が経ち、皆ワイルドナイツのレギュラーとなり、順次、代表にも引き上げられた。福井はオーストラリアの同僚について意見を聞かれ、記者団を笑わせるつもりだったのだろう。「……あいつら、成長しましたよね」と、目を細めて言った。

同国出身者と他国出身者の関係性。進む国際化

国際化は進む。2022年1月、ワールドラグビーの規定に変更があり、一度一つの国の代表チームでプレーした選手でも、一定の条件を満たせば1回だけ別の国の代表入りへ挑めるようになった。

これにより今度のフランス大会では、環太平洋諸国に源流を持つ元強豪国代表選手が、両親の故郷のチームでプレーする例が増えそうだ。

本番で日本代表とぶつかる、サモア代表も然りだ。

両軍は7月21日、札幌ドームでのパシフィックネーションズ・カップ初戦でも激突していた。24―22で競り勝ったサモア代表のスタンドオフは、元オーストラリア代表のクリスチャン・リアリーファノだった。

白血病を克服した過去を持つ35歳のリアリーファノは、試合までの準備の重要性、試合当日の過ごし方といったあらゆる要素をサモア代表の若手に共有する。日本でプレー経験のあるセイララ・マプスア ヘッドコーチは、賞賛を惜しまない。

「若い選手たちは、(経験者の)言葉を聞くだけでなく、その本人がどういう行動をしているかも見ます。チームの外にいる人は試合中の80分のことしかわからないと思いますが、彼は(裏側で)チームにインパクトを与えている」

代表チームにおける同国出身者と他国出身者の関係性はそれぞれに異なり、かつ、日々更新される。異文化交流のドラマがそこにはある。

<了>






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