博多祇園山笠は豪華絢爛な飾り山笠(かざりやま)が公開されて、街を彩っています。中洲流の飾り山笠は、2人の兄弟弟子が初めてそれぞれに表と見送りを担当して作り上げました。
兄弟弟子で初めての制作 中洲流
「人形師・溝口堂央殿、中村弘峰殿もご一緒にお願いします」
7月1日、博多祇園山笠の飾り山笠の公開にあわせて、各流れで「御神入れ」が行われました。
三番山笠・中洲流の飾り山笠の表を初めて任されたのは、溝口堂央(とうよう)さん(54歳)です。
溝口堂央さん
「評価してもらうのは周りの方なので、よい山笠だねと言ってもらえたら」
一方、見送りを担当するのは中村弘峰さん(38歳)。
弘峰さんは溝口さんの弟弟子で、2024年の中洲流の飾り山笠は、初めて兄弟弟子での制作となりました。
中村弘峰さん
「子供のころから、溝口さんは父の弟子としてうちの仕事に携ってこられて。子供のことから考えると、2人でこうやって山笠の表と見送りを務める日が来るなんて感慨深いですし、よかったなと思います」
師匠の顔に「泥は塗れない」
中洲流の表は2023年まで、弘峰さんの父で溝口さんの師匠でもある中村信喬さんが担当してきました。
信喬さんは百年以上続く中村人形の3代目。
手を抜かないことや探究心など、テクニックよりも心構えを弟子に伝えてきました。
中村信喬さん
「作る技術でどうのこうの、というのはない。日々努力、勉強すればいい。時間があったら本を読む。美術館に行く。勉強して感動して、探求心があるかどうか、もう少しよいものを作るにはどうしたらいいか、それさえあればいい」
溝口堂央さん
「誰が何と言っても第一人者なので、そこを代わりにするというのはなかなかプレッシャーですね。やっぱり、先生の顔に泥を塗ってもいけないし」
「桶狭間」「能登」を選んだ理由
溝口さんが担当する表の標題は「奇襲桶狭間」。
織田信長が戦国武将として一躍勇名を轟かせた合戦です。
溝口堂央さん
「表のデビュー戦ということで織田信長の実質デビュー戦である桶狭間を題材に選んで、関連付けて自分も飛躍したいな、と思いこの標題に決めました」
一方、弘峰さんが担当する見送りの標題は、「能登等伯天賦才」。
能登半島出身の絵師、長谷川等伯を題材に選んだことには理由がありました。
中村弘峰さん
「お正月に大きな地震が起きて、伝統工芸が盛んな町なので知り合いの方もいっぱいいて、すごい大変だなと。能登にエールを送れるような題材を作ってもいいかもなと」
「本当の兄弟のよう」な2人
溝口さんは、信喬さんにとって初めての弟子でした。
当時溝口さんは18歳、弘峰さんは2歳で、年が離れた兄弟のようだったそうです。
中村弘峰さん
「おむつも替えてもらってましたからね。一緒に野球して遊んだり、本当の兄弟という感じなので、表と見送りひとつの山笠の両面を作るのは本当に感慨深いというか」
中村信喬さん
「兄弟弟子で期待するのは、人々が見て『いい山笠だね』って思ってもらえるように作ってもらえれば」
「思い描いていた未来が本当に来た」
飾り山笠に人形を飾り付ける日がやってきました。
中村弘峰さん「でけぇ!気合がすごい」
溝口堂央さん「先生から『しけたもん作るなよ』と言われた」
中村弘峰さん「めっちゃかっこいいよ、これ」
「上げて、上げて」。中洲流の男たちが、人形を飾り付けていきます。
RKB 土橋奏太「どうですか?」
溝口堂央さん「負けられないなと。よい感じになっているので」
中村弘峰さん「表と見送りを担当させてもらえるとなって、思い描いていた未来が本当に来たんだな。今までの思い出が蘇ってくる」
「もらったバトンを次の世代に」
そしていよいよ飾り山笠の公開。兄弟弟子で作り上げた飾り山笠の評判は上々です。
観衆「両方とも迫力ありますね。震災で、それに対しての復興という願いが叶うといいかなと」
「7月1日、『山笠(やま)見せ』になったら楽しみに来てます。すごく生き生きしてて素敵です」
溝口堂央さん
「きっと、これからも彼と一緒に仕事することになるので、お互いに切磋琢磨して、お互いに負けないようにいい意味で競い合って山笠に貢献できれば」
中村弘峰さん
「780年以上続くお祭りなので、現代でのバトンをいま我々が引き継いでる状態ですね。もらったバトンを次の世代の人形師に引き継いでいけるように頑張っていきたい」
本当の兄弟のような仲でもあり、先代から伝統を受け継いだ兄弟弟子でもある、溝口さんと弘峰さん。2人が作った飾り山笠が街を彩り山笠気分を盛り上げます。