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野村萬斎さん「ここほどいい能楽堂はない」福岡市の「大濠公園能楽堂」で受け継がれる伝統

RKB毎日放送 2024年7月25日 11時8分

福岡市の中心部にあり、市民の憩いの場として親しまれている大濠公園。その一角に能や狂言の公演を行う「能楽堂」があります。

その大濠公園能楽堂の人気公演の一つが野村万作・萬斎による狂言です。

多くの人の熱意で、30年以上にわたって続けられている舞台の魅力を取材しました。

野村万作・野村萬斎に大勢の観客

人間国宝の狂言師野村万作、今年で芸歴90年。その息子で俳優としても活躍する狂言師野村萬斎。2人が福岡の大濠公園能楽堂で狂言を披露するのは今年の夏であわせて64回目となります。会場は、いつも大勢の観客で埋め尽くされます。

女性客「能は見たことあった。狂言も見たいと思って」

男性客「万作さん、萬斎さん、裕基さん(が出るので)すごく楽しみです」

子供連れの女性客「萬斎さんはドラマなどにも出演されている中で、狂言も大事にしつつ、新しい表現を模索しているのが好き。子供に見せたいと思って連れてきました」

初めて狂言を見た客「初めてですけど楽しいです」

女性客「どんな風に感じるのか分からなかったけど、楽しかったし、面白かったし、最後は私一人で笑っていました」

36年前に「狂言の会」スタート

「ふくおか万作・萬斎の会」が主催する「狂言の会」は、36年前の1988年にスタートしました。

「上質な狂言を、市民と共に楽しむ会」として、ほぼ毎年、冬と夏に公演を続けています。

野村萬斎さん「故野間涼ミ(のますずみ)さんが『一級品の芸術をお見せしたい』というその精神がすごくあって」

野村万作さん「『子午線の祀り』という劇があって、下関の初日後、野間さんと知り合ったのが最初です。その2~3年後、ここ(大濠公園能楽堂)で『釣狐(つりぎつね)』をここで演じたのがきっかけで、今日まで続けていただいています」

狂言への熱い思いで直談判

40年ほど前、下関で舞台を踏んでいた万作さんのもとを訪ねたのが故野間涼ミさんでした。

当時、イベント会社を設立したたばかりの野間さんは、万作さんに狂言への熱い思いをぶつけ、福岡での公演を直談判。

万作さんは、「もう演じない」と決めていた大曲「釣狐」を福岡で披露する決断をしました。

ノマ企画代表 竹内馨深さん「すごいって、やっと見れますね。東京でもチケットがとれないほどの公演だった。この福岡で『釣狐』をやっていただけるということで驚きました。絶対見たいっていう方が集まってきた。大入り満員」

公演では有志が運営手伝い

「万作・萬斎の会」の公演では、毎回30人ほどの有志が運営を手伝います。意外にも手作り興行なんです。

「ふくおか万作・萬斎の会」女性スタッフ「野間涼ミさんからの引継ぎがあって、熱い思いを引き継ぎながら来ている会です」

男性スタッフ「五十数回お手伝いさせてもらっています。芸術を素直に愛して、それを広めたい。狂言の面白さを少しでも伝えたい」

野間涼ミさんの芸術への情熱にひかれた人たちが力をあわせ、「ふくおか万作・萬斎の会」は地元での能楽発展の一翼を担ってきました。

野村萬斎さん「手作りでもあり、突っ込んだ鑑賞をしようという意気込みを含めて、全国見渡しても稀有だと思います」

観客「虫のようなものを面白く表現できるんだな」

観客(こども)「動きも綺麗だったしすごかった」

芸術を愛する人たちの「想いのリレー」によって、「万作・萬斎の会」の公演は、大濠公園能楽堂の定番となっていきました。

ノマ企画代表 竹内馨深さん「『釣狐』は能楽堂でしかできない大曲・秘曲であり、能楽堂とともにスタートしたわけです」

九州初の能楽堂「大濠公園能楽堂」

福岡で長年続けられている狂言、その舞台となっている「大濠公園能楽堂」はどのようないきさつで生まれたのでしょうか。

能楽師 坂口信男さん「命が無いのと一緒で、能楽師やっていけないよね」

1986年、九州初の能楽堂としてその歴史をスタートさせた「大濠公園能楽堂」。

その1年半後、野村万作さん・萬斎さん親子は、この舞台を踏みました。

福岡の能楽師の活動で能楽堂建設へ

大濠公園能楽堂 高山栄一郎館長「坂口先生、その方々が県と一緒になって作られました」

能楽師坂口信男さん。去年、福岡県文化賞を受賞し、長きにわたって福岡能楽界をけん引してきました。

坂口さんは父親の雅介さんたちが能楽堂設立に動いた当時をこう振り返ります。

能楽師 坂口信男さん「住吉神社能楽殿が台風で催しができなくなった。(一時的に)使えなくなりました」

RKB堀江陽一ディレクター「絶望感みたいなものがあったのですか?」

坂口信男さん「(今後)どうなるのかと思った。能楽堂の建設を、うちの父たちが陳情にあがるようになりまして、7~8年でしょうか、陳情に行ってできるまでは」

雅介さんたち能楽師の声が県に届き1986年5月28日に舞台披(ぶたいびらき)を迎えることができました。坂口家3世代が舞台を踏み、大濠公園能楽堂の歴史は華やかにスタートします。

坂口信男さん「そりゃあもう感激でした。嬉しくて、こんな立派な能楽堂ができたんだというのは誇りに思いますし、感謝ばかりでした」

大濠公園を「伝統文化の拠点に」

大濠公園を「日本の伝統文化の拠点」とすることを目指した福岡県は、開園したばかりの「日本庭園」に加え、能楽堂を建設することにしたといいます。

坂口信男さん「福岡は江戸時代から殿様に(能楽が)愛されていた。福岡が芸どころと言われるいきさつです」
「お濠端を見ながら能楽堂にいくというのはオツなもので」

観客「距離感も近いのでいい」
「屋根の下の空間が別世界になってます。空気が違う」
「演劇の舞台とは造りも違うので臨場感もある。そういう機会に恵まれているからこそ本物が見られると思う」

「全国でもここほどいい能楽堂はない」

野村萬斎さん「ライブですので反応があって笑ったり、集中したり、聞き入ったり。緩急みたいなものが手に取るように伝わるのが、数ある全国津々浦々の能楽堂をまわっていて、ここほどいい能楽堂はないんじゃないかと思う」

文化や伝統を引き継ぐためには演じる場、見る場が欠かせません。

多くの人の思いが込められた大濠公園能楽堂、ここで能楽を体感することが、貴重な「日本の伝統芸能」を後世に伝えることにもつながっています。

ノマ企画代表 竹内馨深さん「能楽堂という貴重な建物が福岡にはあるわけですから、ここにきて能楽は見ていただきたい」

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