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「私は、戦争の何を知っていたのか」堀川惠子さんの傑作ノンフィクションが学生に与えた印象

RKB毎日放送 2024年8月6日 15時57分

79年目の広島原爆忌を迎えた8月6日朝、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長は2冊の本を携えて、RKBラジオ『田畑竜介GrooooowUp』のマイクに向かった。ノンフィクション作家の堀川惠子さんの著作だ。大学生が読み込んで、著者と意見交換するイベントの様子を紹介した。

◆学生たちが読み込む「戦争ノンフィクション」

ノンフィクション作家の堀川恵子さんが登壇した、西南学院大学の読書教養講座(主催=西南学院大学、活字文化推進会議、主管=読売新聞社)の様子は、7月23日に一度紹介しています。大学生が堀川さんの著書を読み込んで、書いた本人と意見を交わす講座で、前回は『暁の宇品陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(講談社、税別1900円)でした。

<前回の記事>「なぜ原爆は広島に?」疑問を解くカギは陸軍の「船」にあった陸軍船舶司令官の視点で見るアジア・太平洋戦争

【堀川惠子さん】
1969年広島県生まれ。広島大学総合科学部卒。広島テレビ記者を経て、ノンフィクション作品を次々と発表。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』で講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』で新潮ドキュメント賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』で大宅壮一ノンフィクション賞と早稲田ジャーナリズム大賞、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』でAICT演劇評論賞、林新氏との共著『狼の義新犬養木堂伝』で司馬遼太郎賞を受賞。

◆「原爆供養塔」とは

今日はその他の2冊を紹介します。まず、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(文春文庫、税別900円)。原爆供養塔は、家族のもとに帰ることのなかった犠牲者の遺骨がまとめられているものです。平和記念公園の片隅に、土饅頭と呼ばれる塚があります。そこをいつも黒い服を着て清掃している佐伯敏子さんの姿がありました。佐伯さんは入市被爆者。自分は直接被爆をしてないけれど、直後に家族を探すために被爆地に入り、生涯放射線の後遺症に苦しみます。供養塔のそばを流れる元安川の岸辺に流れ着く戦時中の学生ボタンを集めていました。

この本を読みこんだのは、西南学院大学の国際文化学部・柿木ゼミの柴田純一郎さんです。

柴田純一郎さん:原爆供養塔のお世話をされてきた佐伯敏子さんの足跡、数少ない手がかりの中からその遺骨を遺族の方へ返還していく、その活動を引き継ぐような形で堀川さんが行ってきた遺骨の身元を探る過程が描き出されている本です。

柴田純一郎さん:佐伯さんは、原爆の当日に原爆に遭ったわけではないんです。たまたまなんですけど。ただ1945年のうちにその肉親が13人も亡くなられているんですね。行く宛てのない遺骨が納められた供養塔を見て「何かせずにはいられない」と感じて、供養塔の雑草を抜いたりお世話をされるようになったということです。それで後に、供養塔の遺骨が納められた場所の鍵を得たのきっかけに、数少ない手がかりから遺骨を返還する活動を始めていかれる。

柴田純一郎さん:遺骨に付された手がかりはとても少ないし、情報も正しいかがわからない。戦争中は国民全員、自分の名前や住所を書いた名札を付けていて、記載されている名前や遺留品などから、本人の情報が遺骨に付されているんですけれども、原爆投下後の直後の混乱で作られたゆえに、名前が取り違えられていたり、読みはもしかしたら合ってるかもしれないけどちょっと漢字が違ったり、朝鮮半島からやって来られて「創氏改名」と言って日本名も持っていた方の遺骨だとか、実は生きている方の名前だったりとか…。

柴田純一郎さん:ひとまとめにされがちな原爆の犠牲者に対して、1人1人に丁寧に光を当てて、拾い上げて、そして磨いていく、という作品になっています。

原爆投下からきょうで79年。ちょうど79年前の今、まさに起きていたことについて、学生さんが真剣に考えることはとてもいいな、と思いました。

◆取材に突き進んだ原動力とは?

そして柴田さんは、著者の堀川さんに対して質問します。

柴田純一郎さん:原爆が投下されて時間が経っているわけじゃないですか。遺骨を返す作業は相当な困難が伴われたと思います。多分、本当に心が折れてしまうような出来事がたくさんあったと思うんですけど、堀川さんを突き動かしたものは一体何だったのか、と。

堀川惠子さん:柴田さん、ありがとうございます。原動力は何か…やっぱり取材に出ると、みんなウェルカムだと最初は思ってたんです。「行方不明だったお兄さんの遺骨を探してくれて、ありがとう」「お母さんの遺骨ここにあったのね」って、みんなが喜んでくれるだろうという非常に浅はかな見通しのまま始めたら、「もう来てくれるな」と怒鳴り返されることもあったし、「そこに遺骨があることは知っとる、触ってくれるな」という人もいましたし。

堀川惠子さん:やってるうちに、「そうか、今私がやっていることは、原爆供養塔に眠っておられるご遺骨をご家族に戻すことではなく、戻すことを通して『この70年という歳月がどんな風に過ぎていったのか、原爆で亡くなった方々を巡ってこの歳月はどういうものであったのかという現実に、ちゃんと向き合う仕事なんだな』」と感じました。広島市役所のお偉いさんから呼び出されて、「堀川さん、もう遺族捜しはやめてください、そっとしておいてください」と言うのです。「そっとしておいてください」と「放置する」って同じ言葉だな、と思ったんです。

堀川惠子さん:戦後もっと早く、佐伯さんがふと気づいて遺族探しを始められるよりももっと前に、行政が…。広島って、戸籍簿が疎開させていて残っているんですね。ちゃんと照合する手続きをやっていれば、もっと多くの人が家族のもとに帰れたはずなんです。それをせずに来て、放置しておいて、今更「そっとしろ」とはどういうことか。だから、原動力を一言表現すると、それは「怒り」です。それは、市役所に対する怒りということではなくて、こんな大事なことを、戦後ずっと知らないことにしてきた、自分も含めての社会に対する怒り…。だから「お一人でもいいから、とにかく絶対に返すぞ」という気持ちで取り組みました。

答えを聞いて、柴田純一郎さんは圧倒された感じでした。この本は大宅壮一ノンフィクション賞も受賞していて(2016年)、知られざる原爆の実相を示しています。そこには被爆者差別の問題などいろんなことがあることもよくわかる本で、学生さんが読むのには本当にいいな、と思いました。

◆演劇人と戦争

最後の1冊は、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社文庫、税別900円)。戦争協力の演劇を演じさせられ、原爆で全滅した「桜隊」を追ったものです。担当した柿木ゼミの福崎彩乃さんは、こんな感想を述べました。

福崎彩乃さん:戦争によって、自分が憧れて入った演劇の世界であるのに、国家によって演劇を奪われ、利用されていた当時の演劇人たちを思うと、読み終えた後もやるせない気持ちでいっぱいになりました。本来は娯楽であるはずの演劇が戦争に利用されたことは、今までの教科書の内容や平和教育などでは知ることができなかったため、「戦争について、自分は何を知っているのだろう」と考えるようになりました。

福崎彩乃さん:歴史の授業で年号や事件の名前を覚えたり、道徳の授業で平和教育などは出されていますが、それは受身的な教育で、表面的な内容のみを教わるということが……私の今まではそうだったので、「今を生きる私たちにも関係の話ではないな」と改めて危機感を抱きました。

「私は戦争の何を知っていたのか」「形だけでしか知らなかったのではないか」と、福崎さんは考えたそうです。

◆堀川惠子さんのノンフィクション

(1)『原爆供養塔忘れられた遺骨の70年』(文春文庫、税別900円)

広島平和記念公園の片隅に、土饅頭と呼ばれる原爆供養塔がある。かつて、いつも黒い服を着て清掃する「ヒロシマの大母(おおかあ)さん」と呼ばれる佐伯敏子の姿があった。なぜ、佐伯は供養塔の守り人となったのか。また、供養塔にまつられている被爆者の遺骨は名前や住所が判明していながら、なぜ無縁仏なのか。引き取り手なき遺骨の謎を追うノンフィクション。「知ってしまった人間として、知らんふりはできんのよ」佐伯敏子の言葉を胸に、丹念に取材を続ける著者。謎が謎を呼ぶミステリアスな展開。そして、埋もれていた重大な新真実が明らかにされていく――。

(2)『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社文庫、税別900円)

1945年8月6日、広島で被爆した移動劇団「桜隊」。著者は、その演出家・八田元夫の膨大な遺品を、早稲田大学演劇博物館の倉庫から発掘する。そこには戦中の演出ノートやメモ、草稿、そして原爆投下による悲劇の記録が書き残されていた。八田が残した記録やメモには、大正デモクラシーの下で花開いた新劇が、昭和に入り、治安維持法による思想弾圧で、いかに官憲に蹂躙されたか。自身や俳優たちの投獄、拷問など、苦難の歴史が記されていた。さらに、桜隊が広島で遭遇した悲劇の記録――。8月6日、八田は急病で倒れた看板役者・丸山定夫の代役を探すため、たまたま上京中だった。急ぎ広島に舞い戻り、10日から仲間の消息を追う。「桜隊」9名のうち、5名は爆心地に近い宿で即死。仲間の骨を拾った八田は、座長であり名優と謳われた丸山定夫や美人女優・園井惠子ら修羅場から逃れた4名の居場所を探し当てるが、日を経ずに全員死亡。放射線障害に苦しみながらの非業の死だった。八田自身も、戦後、放射線被曝に悩まされることになる。16日、避難先の宮島で臨終を迎えた丸山の最期に八田は立ち会った。前日、玉音放送を聴いて丸山は呟いたという。「もう10日、早く手をあげたらなあ……」10日前、8月5日に降伏していれば。本書は悲劇の記録である。と同時に、困難の中、芝居に情熱のすべてを傾けた演劇人たちの魂の記録でもある。

◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)

1967年生まれ。毎日新聞入社直後に雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。ニュース報道やドキュメンタリー制作にあたってきた。やまゆり園事件やヘイトスピーチを題材に、ラジオ『SCRATCH差別と平成』(2019年)、テレビ『イントレランスの時代』(2020年)、映画『リリアンの揺りかご』(2024年)を制作した。

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