Infoseek 楽天

「国境通信」アインの妻が妊娠 生まれてくる子供の未来は 川のむこうはミャンマー ~軍と戦い続ける人々の記録#6

RKB毎日放送 2024年8月20日 17時28分

2024年3月にこれまで勤めていた放送局を退職した私は、タイ北西部のミャンマー国境地帯に拠点を置き、軍政を倒して民主的なミャンマーの実現をめざす民衆とともに、農業による支援活動をスタートさせた。

その農園でリーダー的な存在の避難民・アインの妻が、妊娠した。聞くと、ずっと子供を望んでいたのだという。ふたりは、様々な困難が待ち受けていることを分かった上で、逃れた先で子供を育てる決断をしたのだった。

◆夫婦で逃れてきたアイン 聞けずにいた子供の話

アインは、妻のサンディ(仮名)と2人で2022年3月にこの地に逃れてきた。年齢は私より少し若い40代前半。アインの妻も同じ年代だ。農園を訪れるたびに新しいメンツが増えているように感じるのだが、その多くはアインを頼ってミャンマー側から逃れて来た避難民の家族たちだ。中には幼児から中学生くらいの子供も含まれていて、親身になって世話する姿からは、アイン夫婦が子供が大好きな様子が伝わってきた。しかし、彼ら自身には子供はいないようだった。日本でも同じだが、このことについては2人にしかわからない事情があるし、他人が軽々しく質問すべきではないだろうと考えていた。

一方で、2人は私に対して「結婚しているの?子供はいる?何人?2人?何歳と何歳?男の子?女の子?」と躊躇なく質問をぶつけてきたので、「そこまでデリケートにならなくてもいいのかな」と感じたこともあった。それでもなんとなく気が引けて、その話題は避けるようにしていた。

◆「妻はお酒が好き でも今は飲めないんだよ」

農園で働く避難民たちのランチは、ほとんど毎日、サンディが家から鍋やタッパーにいれて運んでくる手料理だ。タイミングが合えば、私も一緒にいただく。当初は、アインからいくら誘われても断っていた。人道支援を必要としている人たちから食事をごちそうになるということに、どうしても違和感があったのだ。しかし、断るたびにアインが悲しそうな寂しそうな表情を浮かべるので、「むしろ断ることで彼らを傷つけているのかも・・・」という気がしてきて、最近は一緒に食べるようになった。そんなランチの場は、じっくりと彼らと話す機会でもある。

ある日、なんの話をしていた時だったかは忘れたが、アインから「お酒は好きかい?」と聞かれた。実のところ私はかなりの酒好きで、家族からは飲み過ぎをしばしば、真剣に咎められるほどだが、国境地帯を拠点にするようになってからは控えていた。いや、全く飲まないわけではなかったが、少なくとも控えめにはしていた。そのようなことを話すと、「私は飲まないけど、妻は本当はお酒が好きなんだ。でも今は妊娠中だから飲めないんだよ」とさらりと言った。私は驚いて、しばしアインの顔をじっと見つめてしまった。「妊娠?君の妻が?」「そうだよ」アインはニコニコ笑いながら平然と答えた。

◆生まれてくる子供の国籍はどうなるのだろう?

「うわぁ・・・おめでとう!」そう口にしたものの、私は、100%素直な気持ちでは喜ぶことができなかった。それはやはり、彼らが直面している状況を意識せずにはいられなかったからだ。「生まれてくる子供の国籍はどうなるのだろう?」この疑問が頭をよぎった瞬間に、クーデター以降目にしてきた避難民の惨状、弾圧を受けて着の身着のままで国境まで逃れてきた家族、状況をよく呑み込めないまま大人に手を引かれて歩く不安そうな子供たちの姿などがフラッシュバックし、私はしばし固まった。

サンディは一緒にテーブルには座らずに、みんなに食事を取り分けたり、飲み物を用意したり、動き回っている。私の視線に気づいてこちらに顔を向けたので、「聞いたよ。おめでとう!そんなに動いて大丈夫なの?」と尋ねると、「もう安定期に入ったから大丈夫よ」と笑顔を見せた。そう言えば確かに、お腹のあたりが少し膨らんできている。私も過去に取材したことがある、ミャンマーの移民や貧困層への医療支援で実績のある総合診療所で検診などを受けている、と言うので、その点は少し安心した。

◆「ブラザー、心配しないで 私たちはとてもハッピーだ」

いろんなことが気になって仕方がない私の様子に気づいたのか、アインは穏やかな笑顔を浮かべながら「ブラザー、心配しないで。私たちはとてもハッピーだ」と言った。

話は逸れるが、いつからかアインは私のことを「ブラザー」と呼ぶようになった。知り合った当初は、私を支援する側の人間と認識していたからか、会話の語尾に「サー(Sir)」をつけていたのだが、私がそれはやめてくれと伝えると、ブラザーで定着した。

「心配するな」という言葉と、アインの笑顔を見て、私は勝手におろおろしてしまった自分が少し恥ずかしくなった。様々な困難があることは彼ら自身が一番わかっている。わかった上で、子供を育てる決断をしたのだ。私が今すべきことは、お腹の子が無事に生まれてきてくれることを願うだけだ。そう思いが至ると、逆に冷静にいろんなことを尋ねることができた。

◆生まれてくる子供が未来描ける世の中にしたい

子供の国籍については、彼らもどういった手続きになるのか、確かなことがわかっていないのだという。もちろん不安はあるのだろうが、「タイの祝日に生まれたら、タイ政府が特例でタイ国籍をくれることがあるらしい。だから妻と2人でお腹の子にがんばれよ~って声をかけてるんだ」と笑って見せる。本当にそんな制度があるのかは不明だが、やはりタイ国籍というのは彼らにとっては魅力的なようだ。改めて彼らが置かれている悲惨な状況を実感させられる。

「本当は結婚してすぐに子供が欲しかったんだ。でもコロナの流行で少し待たないといけなくなった。そしたら今度はクーデターが起きた。この状況はいつまで続くかわからない。それで私は、もう待つのは嫌だ、と妻に伝えたんだよ」。

アインの話に頷きながら、私は親戚でもないのに、生まれてくる子供が立派に成長する姿を思い浮かべていた。この2人の子なら、きっと優秀だろう。クーデターの影響などものともせずに成功し、幸せになってほしい、そう願わずにはいられなかった。そして改めて、子供がそんな未来を思い描くことができる世の中でなくてはならない、そうすることが我々大人の責任なのではないか、そんなことも考えた。(エピソード7に続く)

*本エピソードは第6話です。
ほかのエピソードは以下のリンクからご覧頂けます。

◆連載:「国境通信」川のむこうはミャンマー~軍と戦い続ける人々の記録

2021年2月1日、ミャンマー国軍はクーデターを実行し民主派の政権幹部を軒並み拘束した。軍は、抗議デモを行った国民に容赦なく銃口を向けた。都市部の民主派勢力は武力で制圧され、主戦場を少数民族の支配地域である辺境地帯へと移していった。そんな民主派勢力の中には、国境を越えて隣国のタイに逃れ、抵抗活動を続けている人々も多い。同じく国軍と対立する少数民族武装勢力とも連携して国際社会に情報発信し、理解と協力を呼びかけている。クーデターから3年以上が経過した現在も、彼らは国軍の支配を終わらせるための戦いを続けている。タイ北西部のミャンマー国境地帯で支援を続ける元放送局の記者が、戦う避難民の日常を「国境通信」として記録する。

筆者:大平弘毅

この記事の関連ニュース