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プロポーズされた思い出の地・パリでパラリンピック銅メダル 道下美里選手(47)「新しい思い出を作ろうねって言ってパリに来たので、すごく嬉しいです。」

RKB毎日放送 2024年9月9日 12時32分

リオデジャネイロ大会の銀メダル、東京大会の金メダルに続き、視覚障がいマラソンで道下選手(47)がパリで銅メダルを獲得した。

パリは14年前に夫・孝幸さん(48)から凱旋門の上でプロポーズされた特別な場所だ。年齢と共に変化する体と向き合いながら、3大会連続の快挙を成し遂げた。

出発直前に仲間たちからのサプライズ

8月25日、パリパラリンピックに出場するため福岡を発った道下美里選手。前日の早朝4時。2010年から練習の拠点にしている福岡市の大濠公園で、本番を見据えた大事な練習に臨んだ。1周2キロのコースを16周、32キロを走る。

最初はこれまで道下選手を支えてきた3人のランナーが交互に伴走を務めていたが、次第に道下選手の周りに仲間が増えていく。最終的にはなんと30人近くになった。

実は、「みんなで走ることで、たくさんの仲間が一緒に戦う思いでいることを感じてもらいたい」と、主に伴走者仲間で結成している「チーム道下」のメンバーが企画したサプライズだった。

気持ちを受け取った道下選手は目を潤ませ、「福岡のみんなの思いも一緒にパリに持っていく。パラリンピック史上、最も過酷と言われているパリのコースを粘りの走りで攻略して、しっかりメダルを持って帰ってきたい」と力強く宣言した。

47歳年齢との闘い

現在47歳の道下選手は、東京パラリンピック後の3年間で大きな足の故障を2回経験した。

道下美里選手「無茶をしたら壊れるなという感じは正直あるので、自分にベストな選択は何だというのを常に考えながらやっています」

その中で取り組む時間を増やしたのが、ウエイトトレーニング。筋力を維持するための時間をかけることで、厳しい練習にも耐えうる体を作ってきた。

「思うように走れない期間が長かったことで、自分と向き合う時間が増えました。そういう意味では、心も強くなったと思います」と自信をのぞかせる。

マラソンを始めたきっかけは「ダイエット」

道下選手の目に症状が現れたのは、小学4年の時。原因は角膜の病気だった。13歳で右目がほとんど見えなくなり、25歳で左目の視力も0.01以下になった。

「普段は霧の中にいるように、ぼんやりとわずかに輪郭や色などは分かる。ただ日差しが強い日になると、目の前が真っ白になってしまう」という。

25歳で山口県立盲学校(現山口県立下関南総合支援学校)に通い始めた道下選手が、「ちょっとぽっちゃりしてきたし、少しダイエットで走ってみよう」という軽い気持ちで始めたのが、陸上だった。

そこから次第にのめり込んでいき、31歳で初めてフルマラソンに挑戦してからはどんどん力をつけていった。そして、30代の後半になると、国際舞台でも表彰台に上がるランナーへと飛躍していく。

夫・孝幸さんとの出会い 交際するまでに出会ってから13年

福岡工業短期大学時代。アルバイト先で、先輩として働いていたのが未来の夫・孝幸さんだった。福岡県新宮町にある釜めしなどが人気のレストランで、2人ともホール担当として働いていた。

出会ってすぐに、孝幸さんから道下選手への猛烈なアプローチが始まった。

「当時はそれほど悪い気はしなかった」と笑顔で話す道下選手だが、結局2人は付き合うことなく、卒業してからはお互い疎遠になっていった。

そんな2人に変化があったのは、卒業してから8年後。

突然、孝幸さんが道下選手の両親が営んでいた書店を訪ねてくる。道下選手に再会した孝幸さんは、いきなり「結婚を前提に付き合ってください」と交際を申し込んだ。

孝幸さんは当時を振り返り、「8年経っても気持ちは全く変わっていなかった。再会してやっぱり好きだという思いを確認できた」と話す。

道下さんは、「戸惑いながらもなぜか少し嬉しかった」というが、一方で「このまま目の病気が進行して生活が変わっていくと、2人で一緒にいても楽しくなくなるのではないか」という思いが湧いてきた。

結局、突然過ぎるということもあって、丁重にお断りしたのだった。

「人生で一番好きな人と結婚できるなんて・・・」

しかし、それで諦めないのが孝幸さん。「もっと考えていることや不安を理解したい。これからの生活を支えたい」と、視覚障がいに関する本をたくさん読みこみ、役所に足を運び、生活で必要な事などアドバイスを求めた。

再会してから4年後。ようやく孝幸さんの熱意が伝わり、ついに2人の交際が始まる。道下選手が31歳、孝幸さんが32歳の時だった。

そこから1年も経たずに自然と結婚を決めた2人。結婚直前に2人で旅行したのが、今回のパラリンピックの舞台であるフランス・パリだ。

旅行中、道下選手から改めてプロポーズの言葉を求められた孝幸さんは、凱旋門の屋上で、「人生で一番好きな人と結婚できるなんて本当に幸せです」という言葉を贈った。

2010年1月17日、ふたりは福岡市内で結婚式を挙げた。

史上最難関のコース 39キロ地点に凱旋門

パリのコースはパラリンピック史上、最難関だと言われている。

道下美里選手「ジェットコースのようなアップダウンや、コース上には靴がはまってしまうような割れ目があります。路面の悪さは、視覚障がいランナーにとっては本当に厳しい。だからこそ、一つ一つに丁寧に対応しながら、最後はペースを上げるようなレースにしたい」

コースには、夫・孝幸さんから愛の言葉を受け取った凱旋門も、含まれている。

道下美里選手は、「終盤で一番苦しくなる39キロ地点には思い出の凱旋門があるので、パワーをもらえるはず。レース当日は、沿道から夫・孝幸さんやチーム道下の声援もあると思うので、自分らしい走りをしてメダルをつかみたい」と意気込んだ。

銅メダル「飛び跳ねて抱き合いました」

そして、迎えたパリの舞台。道下選手は、繰り上げで銅メダルを獲得した。

道下美里選手「みんなで飛び跳ねて抱き合いました。レースは何が起こるかわからないので、絶対あきらめないという思いで前の選手にくらいついていけたことが大きかった。夫、孝幸さんと新しい思い出を作ろうねって言ってパリにきたので、すごく嬉しいです。」

RKB毎日放送 アナウンサー 宮脇憲一

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