北九州市に本部を置き、市民を襲撃するなど凶暴な組織として、「特定危険指定暴力団」に指定されている工藤会のトップが逮捕されて11日で10年です。
10年の間に構成員がピーク時の5分の1以下まで減少、企業誘致も進んでいます。
「明るい町に生まれ変わった」「我々は暴力団を恐れないぞ!」
8月に北九州市小倉北区で開かれた「暴力追放福岡県民大会」。
福岡県警の幹部や市民らおよそ750人がシュプレヒコールを上げました。
福岡県暴力追放運動推進センター 瓦林達比古 理事長「市民の方々のご支援があったからこそ県警の壊滅作戦が遂行され、北九州市が従来の明るい町に生まれ変わることができました」
大会に参加した福岡県警の岩下剛前本部長(当時の本部長)は、工藤会のトップ逮捕から10年を迎えたことに触れたうえで、今後も暴力団追放に尽力すると力を込めました。
福岡県警 岩下剛本部長(当時)「工藤会の総裁・会長が逮捕されてから10年になるというお話がありました。五代目工藤会への取り組みをいささかも緩める気はありません」
「特定危険指定暴力団」工藤会
全国で唯一、「特定危険指定暴力団」に指定されている工藤会。
漁協組合長の射殺事件や県警の元警部銃撃事件など、市民にも容赦なく牙を剥きます。
実際にその脅威を身近に感じた人もいます。
「休憩室が組事務所みたいだった」
北九州市小倉北区でガソリンスタンドを営む野口晃司さん(58)です。
当時のことを知ってもらいたいという思いから、今回、取材に応じてくれました。
2009年に前の運営会社から営業を引き継いだ際には、店では休憩室に工藤会の組員が自由に出入りするなど、目を疑うような光景が広がっていたといいます。
野口石油 野口晃司 社長「休憩室が当時は組事務所みたいな感じでしたね。7~8人いてたばこを吸って雑誌見て」
前の運営会社は、工藤会の関係者が所有する40台以上の車を低価格で手洗い洗車していました。
組員への特別扱い やめると・・・
野口さんは、一般客も含めた手洗い洗車をやめることを決断。
組員にも伝えました。
野口石油 野口晃司 社長「『おい、お前どういうことや』ということでこの辺まで近づいてくるんですよね。『どこに住んどるんか』『子供おるんか?』『おりますよ』みたいな。その時はちょっと子供とかに被害が当てられたら困るなと思いました」
脅しに屈することなく、野口さんが毅然とした態度をとり続けた結果、言いがかりをつけられることはほとんどなくなりました。
野口石油 野口晃司 社長「彼たちに好き勝手させたくない、やっぱり自分で経営する以上はいろんなお客さんが喜んで来られる店にしなくちゃいけないという使命感でしょうね」
暴追運動のリーダー宅に銃弾
野口さんのように「暴力団に屈さない」という暴追の機運が高まる中、暴追運動のリーダー宅に銃弾が撃ち込まれるなど、工藤会側の反発もありました。
当時、暴追運動の中心メンバーとして活動していた男性は、市民の声を暴力でねじ伏せようとした行動がかえって運動を加速させたと振り返ります。
暴追運動に参加していた男性「そういうことで怯むこともないし逆に増えました。暴追の集会に参加する人が、550人から650人に、100人増えたからね。子供や孫たちを守ってやらないといかんということで、みんなが出てきているからね」
当時の捜査の指揮官は
当時、福岡県警で捜査の指揮をとった尾上芳信さんは、新たな被害者を出さないよう組織のトップらを検挙することに注力していたと話します。
福岡県暴力追放運動推進センター 尾上芳信 専務理事「テロともいえるようなこのような事件を止めるためには指示をしている総裁の野村、会長の田上の身柄を押さえ長期刑に持っていかないと。これまでやってきていない捜査手法も含めてどうやって事件を検挙していくか知恵を絞りました。」
「鉄の結束」を切り崩し、組織内部から得られた証言などの状況証拠を積み重ね、ついに「そのとき」が訪れます。
工藤会トップを逮捕
RKB 青木周作カメラマン「工藤会最高幹部の自宅前には大勢の捜査員がいます。傘でよく見えませんが、最高幹部はたった今、福岡県警の車両に乗り込んだと思われます」
10年前の9月11日、警察は工藤会総裁の野村悟被告(77)を逮捕。
2日後にはナンバー2・田上不美夫被告(68)も逮捕しました。
福岡県暴力追放運動推進センター 尾上芳信 専務理事「安堵するというよりもここまでやって来たという達成感というか、これで北九州の平和を取り戻せるんじゃないかという感慨深い思いもありました。」
4つの事件に関与したとして起訴され、殺人などの罪に問われた野村被告に対し、1審の福岡地裁が言い渡したのは、死刑。
控訴審では一部の事件について無罪とし、無期懲役判決となりました。現在も係争中で、ナンバー2の田上被告とともに、収監されています。
企業の進出も
警察の威信をかけた「頂上作戦」から10年。
北九州市には529の企業が新たに進出しました。
北九州市 武内和久 市長「暴力を排除していくということは、警察だけでも行政だけでも行えないものです。市民のみなさまの勇気と覚悟は、北九州市の本当に大きな宝でああり、安全安心な街へと変貌していく大きな原動力になったと思います」
閑古鳥が鳴いていた繁華街は
暴力団排除をうたう標章を貼り出した飲食店関係者が襲撃され、物々しい警備の影響などで閑古鳥が鳴いていた繁華街も今は多くの人で賑わっています。
北九州市民(60代)「入れ墨とかが見えるような人を見たことありますけど、暴力団対策が始まってから全然見ないですもんね」
北九州市民(40代)「雰囲気的には若い人も増えたのかな、ちょっと明るくなったのかな。今はとにかく過ごしやすい」
工藤会 構成員は5分の1以下に
工藤会から離脱した人への警察の支援もあり、ピーク時に1200人を超えていた工藤会の構成員数は、昨年末までに5分の1以下に減少。240人になりました。
組事務所も2014年9月以降、28件が撤去されました。警察が支援した離脱者は、300人を超えています。
暴追運動に参加していた男性「壊滅と言ったって、ただ組をやめさせるといっても就職を世話してやったり住まいを探してやったり、あの手この手でしているし、そういうことをしているから組をやめる人もいるやろうし、みんなでそうしてみてあげないとね」
工藤会の弱体化に伴って明るい変化が表れている北九州市。
トップ逮捕から10年、組織の壊滅に向けた取り組みは今も続いています。