BC級戦犯として横浜裁判で裁かれた石垣島事件では41人に死刑が宣告された。判決後、死刑囚が集められた棟に移された被告たち。海軍の特攻、震洋隊の隊長だった幕田稔大尉が同室になったのは、九大生体解剖事件で死刑判決を受けた佐藤吉直大佐だった。同じ山形出身で意気投合し、一年半余りを一緒に過ごした佐藤大佐は、幕田大尉の処刑後、追悼文を書いていた。幕田大尉はある日、「悟り」をひらいたというー。
◆座禅三昧 信仰を深める死刑囚たち
巣鴨遺書編纂会が発行した「十三号鉄扉(散りゆきし戦犯)」(1953年)という冊子に収められた佐藤大佐の追悼文。幕田大尉は30歳で1950年4月7日に命を奪われた。いつ執行されるかわからない死刑を前に、一日、一日に向き合う死刑囚たちは、心の安らぎを信仰の中に見いだそうとしていた。
<十三号鉄扉(散りゆきし戦犯)木曜日の夜 幕田稔君の憶い出 佐藤吉直>より 幕田君との同居生活中で何と言っても一番大きな又尊いことは、彼が悟道の巨歩を踏み出した時の大きな感激である。当時我々は毎日座禅をしては思を凝らし、一刻も早く信仰に入りたいと努力していた。そうして考えついた事は互に話し合い、又仏書を読んでは探究に努めた。しかし智識というものは、信仰の八合目位迄は登ることは出来ても、それ以上は智識(物事の正邪を判別する智慧と見識)を離れて霊性的直感とでもいうか、要するに智識即ち差別の世界を乖離しなければほんとうの信仰は得られないと気がついて、それからは一層座禅三昧に精進した。
◆目尻を流れた涙
<十三号鉄扉(散りゆきし戦犯)より> 彼は或る時、 「あなたは一体誰かな」 とか、又鎌倉時代の話をしていた時、突然 「鎌倉という土地の歴史的な事実のことですが、これを七百年の昔の事実と見るのはおかしいですね。今も其のまま生きている事実と思わんですか」 とか言ったりして、彼が既に時間、空間の差別の世界を乗り越えんとするところ迄進んでいる気配が感じられた。我々の信仰上の探究はいよいよ熱を加えて来た。二十四年の四月初めの或る夜のこと、いつものように二人枕を並べて床についた。死刑囚の独房は一晩中電燈がかんかん照っているので、未だ眠らずに無言で眼をぱちぱちさしているのがよく見える。しばらくすると、幕田君の眼尻に涙がすーっと糸を引いたように流れているのが眼についた。
◆人間は宇宙そのものだ
死刑囚が集められていたスガモプリズンの五棟。二畳の部屋は一人部屋だったが、自殺者が出てから、二人が収容されるようになった。現在の日本の拘置所では考えられないが、アメリカの管理下にあったスガモプリズンでは、誰と同室になりたいという希望が叶えられていた。二畳に二人なので、窮屈ではあっただろうが、気の合う二人は狭い部屋でも気持ちのよい日々を過ごしていたという。床についた時の距離は、50センチほどしか離れていないのではないか。寝顔が良く見えるということである。
<十三号鉄扉 (散りゆきし戦犯)より> 何か考えているな、と思ったが何も言わずにそのまま眠ってしまった。翌日、朝食を済まして煙草を喫いながら彼は 「佐藤さん、人間は宇宙そのものだ。これは絶対間違いない。昨夜やっと分かったよ。こんな事が今迄分からなかったかなあ」 と眼を瞬かしながら話出した。私が心を躍らして 「分かったか、話してくれ」と言うと 「私は言葉では言えないんだ。何と言ったらええかなあ。この気持ちを表す言葉がないんだ。言葉以上の直観だよ」 と、明らかに感性と知性の世界、即ち差別の世界を離れた霊性的な世界を語っていた。勿論、ほんとうの信仰に入る第一段階に過ぎないが、我々は唯有難いことだと感謝の気持ちで胸がいっぱいで、涙がぽろぽろこぼれるのを止めることが出来なかった。
◆死を直前に見つめて
<十三号鉄扉 (散りゆきし戦犯)より> 彼の信仰はこれによって一段と進み、深い安心観と共に仏の大悲に目覚めていったように思われる。しかし彼がここ迄到達する為には並々ならぬ努力を重ねたのであって、死を直前に見つめての精進が実を結んだのであった。 好きな碁もマージャンも止め、信仰の嶺への道を求めて遂に探り当てることが出来たのである。彼の信仰上の大飛躍は我々一同に大きな感銘と希望を与え、信仰に突進する勇気を与えてくれた。この意味に於いて我々の偉大な先覚であり、恩人でもあったと思う。 彼が死をその夜に控えて書き綴った文の中には、国家の現状を憂い、国家再建の任を担う青年達に対し、深い自愛の言葉を以て仏教信仰の尊さを説き、永遠の生命と真の平和の道を書き遺している。
そして、佐藤大佐の追悼文は、幕田大尉との最後の日の記憶へと続いていくー。
(エピソード60に続く)
*本エピソードは第59話です。
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◆連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。
筆者:大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社
司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。