2024年3月にこれまで勤めていた放送局を退職した私は、タイ北西部のミャンマー国境地帯に拠点を置き、軍政を倒して民主的なミャンマーの実現をめざす民衆とともに、農業による支援活動をスタートさせた。
オクラは順調に育っているが、この秋、厳しい決断をしなければならなかった。これまで協力してくれた日本企業との決別だ。
一時帰国 日本の我が家で家族と過ごす日常に罪悪感
7月下旬に日本に戻ると、不在の間にたまっていた諸事にしばらく忙殺された。
これは一時帰国するたびに起きる避けられない事象だが、この1週間ほどを乗り切ると、頭と体が日本になじんでくる。
そして事あるごとに、「あー快適だ」と口にしている。
本当に日本という国は、私が住む福岡という街は、なんと住みよいところなんだろう、と実感する。
自分の家で、家族と過ごす日常。一緒に食卓を囲み、テレビを見て笑う。
久しぶりの在宅を、まだ無邪気に喜んでくれる子供たち。
私自身の家族であり、その暮らしの一コマなのに、少し離れたところから眺めて、「恵まれた人たちだな」と思ってしまう自分もいる。
家族や自分が幸せに暮らしていくことは、何も悪いことではないのに、「自分は恵まれすぎている」という罪悪感にも似た感情が芽生える。
私自身の精神もどこかおかしくなってしまっているのかもしれない。
ただ、こんなことを一人でうじうじと考えていても意味は無い。
この罪悪感を消すには、ミャンマーの人々への支援を前進させるしかないのだということは分かっている。
つらい決断「事業の継続いまのスキームでは難しい」
帰国後に、改めて協力企業の担当者と話し合ったが、やはり現在のスキームでの事業の継続は難しいという結論にしか至らなかった。
問題は買取価格の低さだけではなかった。
価格が多少低くても、大量に収穫したものをすべて買い取ってくれるのであれば、スケールメリットで補えると考え、その道も探っていた。
だからこそ、輸送ルートを確立して大規模な栽培・輸送に対応するための手立てなどを企業側には検討してほしかったのだ。
しかし、企業側が予定しているオクラ事業の規模は、現時点ではそれに見合うものではなく、大量生産できたとしても全量を買い取ることはできないという。
企業側としても、この事業の未来についてビジョンを描けていないことは明らかで、私は担当者に、「事業の将来性も示せないまま、提示されている値段でオクラを売ってくれと、私から彼らに伝えることはできない」と告げた。
地元の市場にもっていけば倍近い値段で買い取ってくれるのに、わざわざ安く売るように強制することはできない。
支援のために取り組んでいる以上、こちらとしても譲れない主張ではあったが、それでもこの決断を伝えるのはつらかった。
それは、この協力企業との決別を意味することがわかっていたからだ。
野菜を買い取れないということは、企業にとってはここまでの投資が無駄になるわけで、受け入れられるはずがない。
買取価格を見直してでも継続の道を探るか、この事業自体をきっぱりとやめてしまうか、そのどちらかを決断せざるを得なくなる。
そのことを十分に理解したうえでの通告だった。
メッセージを送ってから2時間もたたずに、担当者から事業の撤退を伝える連絡が来た。
企業内では、とっくにその結論は出ていたのかもしれない。
「〇〇さんは大丈夫なのか?」アインのつぶやきに・・・
アインにはすぐにすべての事情を正直に伝え、事前の検討不足を謝罪した。
救いは、オクラが順調に育っていることだった。
オクラの栽培・収穫さえ成功してくれれば、売り先がどこであれ、彼らの収入になる。
支援しようとして、逆に彼らの不利益につながる結果になることだけは避けたかったので、その点では少しだけ安心することができた。
アインには収穫できたオクラはすべて好きなところに売っていいと伝えた。
一番高い値段で買い取ってくれるところに売って、少しでも多くの収入が得られるように。
アインから状況を理解したという趣旨の返信があり、最後に「〇〇さんは大丈夫なのか?」と、撤退した協力企業の担当者を心配する言葉があった。
会社の中で担当者の立場が悪くならないかを気にしているのだ。
実はアインは、担当者が国境地帯に足を運ぶたびに、それによって企業が負担するであろう費用のことを考えて複雑な気持ちになっていたそうだ。
「正直なところ、どうやって企業が利益を出すつもりなのか、わからなかったから・・・」事業の行き詰まり感はアインにも伝わっていたのだと知って、改めて辛い気持ちになった。
もっともっとアインとも会話をしながら事業を進めるべきだった。自分の能力のなさを実感するとともに、同じ失敗は繰り返さないと誓った。
(エピソード9に続く)
*本エピソードは第8話です。
ほかのエピソードは以下のリンクからご覧頂けます。
連載:「国境通信」川のむこうはミャンマー~軍と戦い続ける人々の記録
2021年2月1日、ミャンマー国軍はクーデターを実行し民主派の政権幹部を軒並み拘束した。
軍は、抗議デモを行った国民に容赦なく銃口を向けた。
都市部の民主派勢力は武力で制圧され、主戦場を少数民族の支配地域である辺境地帯へと移していった。
そんな民主派勢力の中には、国境を越えて隣国のタイに逃れ、抵抗活動を続けている人々も多い。
同じく国軍と対立する少数民族武装勢力とも連携して国際社会に情報発信し、理解と協力を呼びかけている。
クーデターから3年以上が経過した現在も、彼らは国軍の支配を終わらせるための戦いを続けている。
タイ北西部のミャンマー国境地帯で支援を続ける元放送局の記者が、戦う避難民の日常を「国境通信」として記録する。
筆者:大平弘毅