アメリカ・バージニア州出身のアン・クレシーニさん(50)。日本に魅了され、ついに日本国籍を取得した。
日本人になったとたん予想外のことが起きた。SNSでの発言が炎上したのだ。「アメリカ人」として発信していた時にはなかったこと。
何が起きたのか。
1997年に初来日したアン・クレシーニさん
アメリカ・バージニア州出身のアン・クレシーニさん(50)。
1997年の初来日以来、日本に魅了され、日本の文化と言葉を愛し、永住権を得た。しかしそれだけでは気持ちが収まらなかった。
去年、ついに日本国籍を取得。晴れて「日本人になれた!」。そう喜んだのも束の間、予想外の事態が起きた。SNS上での誹謗中傷が始まったのだ。
日本国籍を取得した”元米国人”として、「キカジン(帰化人)」、「米国のスパイ」と揶揄され、殺害予告まで届くことになる。
これまで「アメリカ人」としてSNSで発信しても、全く炎上することはなかったのに。
何故、日本国籍を取得した途端、バッシングを受けることになったのだろうか。
最初は興味なかったが・・・今では
北九州市立大学の准教授として働くアン・クレシー二さん。学生からも「アンちゃん」と慕われている。
1997年の初来日以来、日本での生活は通算24年になった。
最初はボーイフレンド(現在の夫)の来日に合わせてアメリカから神戸へ。
特段、日本に興味があるわけではなかった。しかしやがて日本語に興味を持ち、研究に没頭した。
和製英語に見る日本人の巧みな言葉遣いや繊細さを放送で発信したり、講演を年間最大60回も行ったりした。英語・日本語の著書は自費出版を含めて21冊。
三味線などの文化をたしなみ、日本食によって、長年苦しんできた摂食障害も改善した。
途中アメリカに帰国すると、周囲の声の大きさや人との距離感の違いに「逆カルチャーショック」を感じるまでになった。
その後、ボーイフレンドと結婚し3人の娘に恵まれ、永住権を取得した。
大学の教壇に立ち、税を納め、PTA役員にも挑戦して日本にしっかりと根を下ろした
「日本から離れたくない」コロナ禍で強くなった思い
「日本から絶対に離れたくない」そんな思いを強くしたのはコロナ禍でのことだった。
2020年3月、故郷バージニア州に住む父が79歳で亡くなる。
すぐに米国に戻りたいが、折しもコロナによる水際対策が強化されていた時期。日本人以外の日本への入国が厳しく制限されていた。
「今、アメリカに行ったら日本に戻れなくなるかもしれない」永住権を持っていたとしても、自分は日本で所詮「ガイジン」。
「愛する日本」に拒絶されたような気がした。
結局、アンさんがアメリカに戻って父の葬儀が執り行われたのは2022年秋。日本が海外からの入国制限を緩和した頃だった。
父親の死から2年半経っていた。
日本国籍取得を決心
アンさんはアメリカから戻るときに自分の手元をみて思った。
「アメリカの青いパスポートでなく日本の赤いパスポートを持っていたい」
そこからの行動は早かった。
司法書士に相談し、領事館をめぐり、役所に通い、書類を揃えた。求められた「手書きの動機書」を書き、夫同伴の面接も受けた。
そして去年11月、晴れて日本国籍を取得。「1年がかりで得た宝物」だった。
その嬉しさを「人生で一番。大学合格より、結婚・出産より嬉しかったかも」と表現する。
SNSでも「日本国籍取得」を写真付きで発信。見知らぬ人から祝福を受け、1週間でフォロワーは1万人増加。勤務先の大学にはプレゼントやファンレターまで舞い込んだ。
「自分は愛する日本に歓迎されている!」そうアンさんは感じていた。
突然の炎上と誹謗中傷の嵐
ところがアンさんが日本国籍を取得し「多様性」について発信し始めた頃からコメント欄が荒れ始めた。
そして、SNS上でのアンケート調査で「コンビニで買い物をせずにトイレを使用しても良いと思うか」という問いに対し、アンさんが何気なく「コンビニのトイレを使用した時、店員さんから”何か買い物をして下さい”って言われたよ」とコメントしたところ、炎上した。
その部分だけが引用され「日本では当然のこと。買い物をせずにトイレを使用するなんて図々しい。アメリカに帰れ」「米国スパイが日本の常識に物申す」「日本国籍得ても、所詮、キカジン(帰化人)」などの書き込みが相次いだ。
驚いたがその後も気にせず、ジェンダー問題や多文化共生などについて発信するたびに「日本を侵略するな」「国籍を返上しろ」「帰化制度廃止すべき」等、書き込まれ、殺害予告まで届いた。
炎上後のトラウマ そして新たな発見
バッシングを受けた当初、自身の気持ちを分かって欲しくてすべての意見に返信をしていたが、事態は悪くなるばかり。
「日本人になった喜びが奪われた」「帰化しなければよかったかも」と感じた。家に閉じこもり、再び食べることが出来なくなった。
しかし「顔の見えない日本人」による攻撃から守ってくれたのはやはり「日本人の友人」だった。
しばらくはSNS、特にX(旧ツイッター)から離れるよう助言を受け、コメントを見ない、発信しないことで1か月後に心がようやく落ち着いてきた。
そして一つの確信を得た。「反対意見」と「誹謗中傷」は違う。「意見の違い」と「人格否定」は同列ではない、と。
すべてのことに感謝の気持ち
アンさんは、今、誹謗中傷を受けた経験でさえ感謝すると言う。
「誹謗中傷は良いことではない、場合によっては罪に問われる可能性もある」が、その闇の中で良いこともあったという。
今回受けたバッシングで、大学の学生たちが何に傷つき、怯え、時に「ひきこもり」などに至るのか、身をもって体験し理解の一助になったからだという。
日本の良いところと、未成熟なところの両方を見たからこそ、日本がますます身近に感じたという。「旅行者では決して感じることのない愛」だと表現する。
アンさんは思い切って再び、Xで移民問題について発信した。
そこには他者から多様な意見が寄せられている。差別表現が含まれるものを除けば、アンさんが自分と違う意見のポストを削除することはない。
アンさんは自身のブログにこう綴っている。
「一時的に日本が嫌になったけど、今は日本への愛情は以前より強い。良くても悪くてもこの国を愛することに決めた。日本は私の国だから。私は日本人だから」
RKB毎日放送 アナウンサー 下田文代