福岡城の天守閣をめぐり経済界を中心に復元に向けた機運を高めようとする動きがあります。
福岡市は今年、初めてとなる天守台の発掘調査を行う方針で、天守閣はあったのか、なかったのかこれまでの説が”変わる”かもしれません。
黒田長政が築城した国の史跡・福岡城
RKB 下濱美有記者「福岡市を一望できる福岡城の天守台、天守閣があったのかなかったのか、今年ついにここ天守台の発掘調査が行われる予定です」
福岡藩初代藩主、黒田長政が1601年から7年の歳月をかけて築城した国の史跡・福岡城。
天守閣はなく石垣でできた天守台だけが残っています。
福岡市 高島宗一郎市長「今、文化庁と現地の実地調査というところも初めて行うことに向けて事務的な調整をしているところです。まずはあったかなかったかっていうようなことについては一定の方向性が出てくればいいなと思っています」
福岡市は、今年、初めてとなる天守台の発掘調査を行い、天守閣があったのかそれともなかったのか、決着をつけたい考えです。
福岡城の天守閣を巡っては、「天守閣があった」ことをうかがわせる史料はあるものの、絵図や指図などの直接的な史料はいまだ見つかっていません。
専門家「天守閣があった」が通説
一方で、専門家の間では「天守閣があった」ということが通説になっていて、様々な研究が行われています。
九州産業大学 佐藤正彦名誉教授「福岡城の天守の大きさというのはだいたい姫路城の天守とほぼ同じであろう」
建築史を専門とする九州産業大学の佐藤正彦名誉教授は福岡城の天守閣の姿を推測した図を作成しました。
高さはおよそ26メートル、年代や藩の規模から大きさや構造は兵庫県の姫路城に近いとみています。
九州産業大学 佐藤正彦名誉教授「5重6階地下1階という規模なんですね、5重というのは、屋根の数、6階は1階2階の数、そして地下1階という規模なんですね」
佐藤教授によりますと福岡城の天守台の縁の長さはおよそ23メートルと21メートル。
この平面の大きさを天守閣の1階部分とし、当時の建築書を元に設計図を考えたといいます。
壁の色は「黒っぽい」と推定
さらに天守閣の壁の色はーー。
九州産業大学 佐藤正彦名誉教授「時代は違うけれど松本城は黒ですね。軒下のところだけが白漆喰であとは腰のほうは下見板張りなんですね。腰の部分のほうが軒下より多い、高いですからぱっとみたときは黒く見えるんですよね」
福岡城の色は「黒っぽい」と推定します。
根拠となるのは、福岡城に江戸時代から唯一残る国の重要文化財「多聞櫓(たもんやぐら)」。
天守閣も「多聞櫓」と似たつくりで、黒い部分の面積が広いと佐藤教授は推測しています。
一方で、福岡城の姿を記した史料は見つかっておらず、本当の姿は謎に包まれたままです。
「天守をお建てになった」家臣の手紙
史料の収集を行う福岡市博物館。
過去に調査した史料を再度掘り起こしたところ、去年9月、新たに「天守閣があった」ことをうかがわせる史料を発見しました。
黒田家の家臣同士がやりとりした手紙で、「天守をお建てになった」と書かれています。
福岡市博物館・学芸課 高山英朗さん「天守が建てられたと明確に記されていますので天守が存在したという学説をさらに補強するような史料だと考えています」
経済界は「復元」に意欲
こうした研究や史料を強みに福岡城の天守閣を「復元」しようと意気込んでいるのが経済界です。
文化庁はこれまで、天守閣を復元するには絵図や写真など精度の高い史料がなければ認めていませんでした。
しかし2020年に基準を緩和し、外観や構造の一部が分からなかった場合でもそれを明示すれば「復元的整備」として再現することを可能にしたのです。
これを受け福岡商工会議所などで作る懇談会は、専門家らの意見から「福岡城の天守閣はあった」「江戸時代に建てられその後破却された」とした上で、「復元的整備を迅速に進めることが適切である」と結論付け、1月にも高島市長に提言することにしています。
福岡城天守の復元的整備を考える懇談会 谷川浩道顧問「出来て時間が経つにつれてだんだん文化財的な価値を持つようになっていく。郷土に対する愛情だとか愛着、誇りを持つ、これがまちづくりをしていく大きな原動力になる」
九州大学 丸山雍成名誉教授「天守を壊すときに上から屋根の瓦を下に投げて落としたのか材木なんかも落としたのか/発掘すると礎石のそばに出てくる可能性があります」
文化庁は「復元は難しい」
一方で文化庁はRKBの取材に対し、「復元の根拠となる史料が足らず、復元的整備だとしても難しい」、「今ある石垣の上に建物を再現するには地盤が耐えられるかが課題で、建物を建てることすら難しい」としています。
「復元」への壁はまだまだ高い福岡城の天守閣。
去年に引き続き福岡城を巡る動きが活発になる今年、壁を越えられる大発見はあるのでしょうか?