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2月11日は「紀元節」だった 戦前の新聞記事から考える「建国記念の日」

RKB毎日放送 2025年2月12日 11時32分

「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と呼ぶのはなぜか。2月11日のRKBラジオ『田畑竜介GrooooowUp』に出演したRKBの神戸金史解説委員長が、戦前ファシズム期の新聞記事を例に、歴史学の立場からで解説した。

首相と歴史学者のメッセージの落差

2月11日の朝刊は、1面の日付の下あたりに「建国記念の日」と書いてあります。

「『建国記念の日』は、『建国をしのび、国を愛する心を養う』という趣旨の下に、国民一人一人が、我が国の成り立ちをしのび、今日に至るまでの先人の努力に思いをはせ、更なる国の発展を願う国民の祝日です」

これは2月10日、石破首相が官邸のホームページに上げた「内閣総理大臣メッセージ」からの引用です。
一方、歴史学者の団体・日本歴史学協会は、73年前から毎年「『建国記念の日』に関する声明」を出し続けています。

「日本歴史学協会は、1952年1月25日、『紀元節復活に関する意見』を採択して以来、『紀元節』を復活しようとする動きに対し、一貫して反対の意思を表明してきた。(中略)それは、私たちが超国家主義と軍国主義に反対するからであり、『紀元節』がこれらの鼓舞・浸透に多大な役割を果たした戦前・戦中の歴史的体験を風化させてはならないと信じるからである」

「建国記念の日」、戦前は「紀元節」と呼ばれていました。戦前の日本は、西暦で言う「紀元前660年2月11日」に神武天皇が国を開いた、としていました。

西暦2025年は「皇紀2685年」

手元に、大阪毎日新聞(現在の毎日新聞の前身)1942年2月の縮刷版があります。題字の上には、「紀元二千六百二年」と小さく書いてあります。西暦や日本の元号とは違う、「皇紀」という数え方です。紀元前660年に日本ができたとすれば、西暦2025年は皇紀2685年になります。
ただし、紀元前660年とは、縄文時代から弥生時代に変わるころ。日本という国自体はまだ存在していない時代ですね。今の歴史学から見れば、「空想の産物」と言い切ってもよいものです。

この縮刷版は1942年2月ですから、真珠湾奇襲攻撃から2か月という時期です。戦争中の大阪毎日新聞は、紀元節についてどう報道していたか。2月11日の1面題字の上には日の丸が掲げられ、記事にはこんな見出しが付いています。

「戦果赫々(かくかく)大東亜戦争下 きょうぞ紀元の佳節 午前9時国民奉祝の時間」(以下、旧仮名遣いは現代文で表記)

日本だけでなく、アジアの大東亜共栄圏内で同時に、東京の天皇に向かって頭を下げるように義務付けられていたことを報じています。

毎日新聞が社説で報じた「紀元節」

1面トップには、社説「紀元節」が。初代・神武天皇が、紀元前660年に国を開いたことを称えています(「八紘一宇」の詔勅を引用)。そして――。

「今次の大東亜戦は、不抜(しっかりしていて動かないこと)を誇る米英の勢力を東亜の天地より払拭して、永久にその禍根を除去する未曾有の壮図であるから、(略)建国の労苦を想うて、勇猛果敢に、しかも周密(すみずみまでゆきわたること)慎重に耐忍努力するところがなければならぬ。佳節を迎えて、(略)挙国一致億兆一心、いよいよ征戦の目的貫徹に精進して、皇猷(天皇の国を治める計画)を紹述(前人を受け継いで、その精神を明らかにすること)し威徳を対揚(君命に応えて、主旨を広く世の中に示しあらわすこと)せんことを誓いたいものである」

難しい言葉ですが、まさに国家主義の時代の新聞ですね。

建国記念「の」日となった理由

戦前の日本は、エキセントリックな宗教国家だったと言っていいと思います。日本歴史学協会の「声明」は、こう続いています。

「政府は、1966年、『国民の祝日に関する法律』を改訂して『建国記念の日』を制定し、政令によって戦前の『紀元節』と同じ2月11日を『建国記念の日』に決定して今日に至っている。私たちは、政府のこのような動きが、科学的で自由な歴史研究と、それを踏まえるべき歴史教育を困難にすることを憂慮し、これまで重ねて私たちの立場を表明してきた。(中略)歴史学はあくまで事実に基づいた歴史認識を深めることを目的とする学問であり、歴史教育もその成果を踏まえて行われるべきであって、政治や行政の介入により歪められてはならないことを主張するものである」

非常に大事なのですが、「戦前の反省に立っている」ということです。歴史学者の反対を押し切り、1967年に「建国記念の日」が祝われた。私の生まれた年なんです。そのころに「紀元節の復活ではないか」と大論争になっていたわけです。ただし、「建国記念日」、さすがに「日本ができたその日である」とは言い切れなかった。「建国記念の日」と、一歩引いた形になったのです。

「紀元節」「大東亜戦争」「八紘一宇」……。戦争では300万人以上の死者が出ました。超国家主義がどんなことをもたらしたか。それははっきりしているので、戦前の超国家主義が使ったこうした言葉を安易に使わないようにしよう、いうのが戦後日本の立場だったのですが、保守派が「紀元節を復活させなければならない」と言う中、妥協の産物がこの「建国記念の日」なのです。たった一文字、「の」がどうして入ったのか。2月11日は、どういう日なのか。考えるのにはいいかなと思ったので、今日は古い新聞を持ってきました。

◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)1967年生まれ。学生時代は日本史学を専攻(社会思想史、ファシズム史など)。毎日新聞入社直後に雲仙噴火災害に遭遇。東京社会部での勤務後、RKBに転職。やまゆり園事件やヘイトスピーチを題材にしたドキュメンタリー映画『リリアンの揺りかご』(2024年)は各種プラットフォームでレンタル視聴可。ドキュメンタリーの最新作『一緒に住んだら、もう家族~「子どもの村」の一軒家~』(2025年、ラジオ)はポッドキャストで無料公開中。

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