第77回都民の消防官表彰式が27日に行われるのを前に、受章が決まった5氏の経歴などを紹介する。
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地元・広島の建設会社で働いていたある日、近所の団地で火災が発生。臨場した消防官やはしご車の仕事ぶりを目の当たりにし、消防官に憧れた。「サッカーをしていたので、体力には自信があった」。1年間の猛勉強の末、平成12年に26歳で入庁した。
幼いころからロボットアニメや車が好きで、入庁後ははしご車やポンプ車の運転・操作を担う「機関員」を志した。だが一刻を争う「臨場」において機関員に求められるのは何より、迅速かつ正確な運転だった。「道を間違えて怒られたことも多い。本当に現場に着けるのかとすら思った」と当時の苦悩を振り返る。
長きにわたる機関員人生の中でも忘れがたい出来事が、平成23年3月、東日本大震災被災地への臨場だ。任された仕事は現場で救命活動に当たる隊員の後方支援。最前線での任務ではなく「少し軽く考えていた部分があった」。
だが被災地で奔走する中で、スーパーの店員や食料を手にした隊員らから「ありがとう」とねぎらいの言葉をかけられ、目が覚めた。これらの活動がたたえられ、自身初の消防総監賞を受賞したとき、「自分は想像以上に大事な仕事をしたんだな」と、臨場当時の自分を大いに恥じた。この一件を教訓として、今ではどんな些細な任務でも誠心誠意取り組み、同僚から厚い信頼を得ている。
機関員としての経験は後進育成にも生かされている。向島署に所属していた若いころ、署から程近い場所で火災が発生した。消火活動が難航する中、当時の副士長に臆せず別の消火方法を提案し実践。早期消火に貢献した。「結果がどうであれ、チャレンジすることが大事」。分け隔てなく接する姿勢を後輩に説き続けている。
受章の一報は非番から帰宅する電車の中で受けた。「何かの間違いでは…」と戸惑いつつも、同僚や地域の人々が喜んでくれたことに感謝の言葉も口にした。これからは全消防官の手本としても見られる。「地道な積み重ねを妥協せずにやることの大切さを後輩に伝えていきたい」と決意を示した。(宮崎秀太)
広島県廿日市市出身。平成12年に東京消防庁入庁。向島署、高輪署での勤務を経て、平成30年から現職。家族は妻と3男。学生時代はサッカー部に所属しており、趣味はサッカー観戦とドライブ。元スペイン代表、イニエスタ選手の大ファン。