船体後方が浸水した大型漁船、次々と押し寄せる高波の中、1本のロープをつたって乗組員の救助に向かう海上保安庁の隊員ー。昨年10月、松江市美保関町で起きた座礁事故では、「海猿」の愛称で知られる機動救難士らが漁船に取り残された9人全員の救出に成功した。荒れ狂う海上での決死の救出劇。その舞台裏を追った。
「上げ直せ、上げ直せ」。岩場と漁船をつないだロープがたるんで、救助に向かう隊員が海に落ちそうになる。ロープを張り直そうと、陸上側の隊員が声を張り上げた。昨年10月3日、山陰最古の石造灯台で知られる美保関灯台近くの海岸に、はえ縄カニ漁船「第八十八興洋丸」(総トン数145㌧、船籍・新潟市)が座礁した。
「早く助けに来てほしい」。興洋丸から118番通報が入ったのは同日午前0時15分ごろ。日本人7人とインドネシア人2人が取り残され、事故当時、海上の風速は15㍍、波の高さは約3メートル。折からの降雨も重なり、座礁した岩場にはうねりを伴って白波が次々と押し寄せた。
「全員が危ない」「一刻も早く」
現場には美保航空基地所属の機動救難士や海保巡視船「おき」の潜水士、松江市消防本部の隊員らが急行した。だが、荒天で巡視船艇が接近ができず、海上からの救助は難しいと判断。漁船から漏れた油臭が漂う中、崖の上からロープを張り、救難士が漁船に乗り込んで救出する「ブリッジ救助」を試みた。
漁船につなぐロープを持って最初に乗り込んだ同基地所属の機動救難士、山下剛さん(38)は「船が割れるんじゃないかと思うくらいの揺れだった」と振り返る。乗船に成功すると、救助を待つ9人が一列に並び、寒さでこごえたり、出血したりする乗組員の姿が見えた。「船が横転すれば、全員の命が危ない状況。一刻も早くという気持ちはあった」という。
その後、別の潜水士がロープをつたって移乗し、救助用ハーネスを使って一人ずつ陸上に運んだ。雨が止んだこともあり、上空からヘリで8人を病院に搬送した。全員の救出が終わったのは一報から7時間半後。9人とも自力で歩行できる状態だった。
山下さんは、北海道・知床沖で令和4年に起きた観光船沈没事故の捜索に加わった経験も持つベテラン救難士だが、海難現場でブリッジ救助を実践したのは初めてだったという。「今さらながら、現場はお手本通りじゃないことを痛感した。この経験を後輩たちに伝えることが使命の一つだと信じている」
想像を絶する過酷なレスキューをこなし、飾り気のない語り口で回想した山下さん。そんな姿に海猿としての確かな誇りを垣間見た。(白岩賢太)