首里城(那覇市)で正殿など7棟が全焼した令和元年の火災から31日で5年となる。首里城の復元現場では今、伝統工法に加え、最新技術を駆使した作業が進められている。「首里城は沖縄の心のよりどころだ」。南国の青空に映える朱色の瓦の一日も早い復活に向け、関係者が汗を流している。
再建に宮大工49人
弓なりの流麗な曲線を描く屋根に、沖縄独特の赤瓦が整然と並ぶ。「学びの多い現場。県民として首里城の再建に携われるのは意義深い」。骨組みの木材を真剣なまなざしで確認していた沖縄県北中城(きたなかぐすく)村出身の宮大工、後藤亜和(あや)さん(22)の表情は誇りに満ちあふれていた。
再建に取り組む宮大工は49人。このうち17人が沖縄県出身だ。後藤さんは木造住宅の設計士である父親の影響で4年前、大工の仕事を始めた。「木工の完成までやり遂げたい」と意気込む。
琉球王国の歴史をつなぐ正殿は、木材をかみ合わせて骨組みを構成する「木造軸組み」と呼ばれる工法が採用され、500本余の国産ヒノキの柱や梁で構成されている。
正殿は今年5月に屋根や軒回りを整える作業が終わり、今は漆喰を塗って屋根に赤瓦を取り付ける瓦葺きの真っ最中だ。下地として張られる「土居葺き」と呼ばれる薄い板には「知られざる工夫」が施されている。
あえて機械を使わず、手作業で一枚一枚薄くスライスする。そのため表面に小さな凹凸ができるが、清水建設監理技術者の奥村耕治さん(51)は「それがあることで通気性が良く、雨が降っても乾きやすくなる」と明かす。
延焼防ぐシステムも
正殿は先の大戦末期の沖縄戦で破壊され、沖縄の本土復帰20年にあたる平成4年に再建されたが、令和元年10月に正殿から出火し、全焼した。
もともと、正殿は1階の天井がそのまま2階の床面という構造だったが、令和の復元で二重床構造に改めた。景観に配慮しながらスプリンクラーの配管を通すためだという。さらに、水の壁を作り延焼を防ぐ「水幕防御システム」も採用された。
平成の再建時には手書きの設計図だったが、今回は最新のCAD(コンピューター利用設計システム)を駆使して一から図面を起こし、図面の数は10倍になったという。
ただ、どんなに精緻な図面でも「2次元と3次元の曲線は違う。どうしても現場合わせで調整が必要になる」(奥村さん)。瓦葺きの前にはモックアップ(実物大模型)を作成し、屋根の傾斜や瓦の置き方などを確認する念の入りようだ。
「赤瓦をちゃんと並べると、こうしてきれいな斜めの線が浮き上がる。品質管理を徹底し、見た目にもこだわって復元したい」。奥村さんは屋根を見上げた。(大竹直樹)
首里城火災
令和元年10月31日午前2時半ごろ、正殿から出火し、計7棟が全焼した。世界文化遺産である正殿を支える「基壇」の遺構にも灰が入り込んだ。施設にはスプリンクラーがなく、鎮火まで約11時間かかった。内閣府沖縄総合事務局などによると、建物と収容物の損害額は約84億4千万円。沖縄県警と那覇市消防局は出火原因を特定できなかった。創建以来、度重なる火災に見舞われ、焼失は5回目。県によると復興に向けた基金には今年9月末までに国内外から計約59億円が集まった。