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三菱重工爆破事件50年 今も逃亡の2容疑者、父奪われた石橋明人さん「事件終わらない」

産経ニュース 2024年8月30日 18時0分

昭和49年8月、東京・丸の内の三菱重工本社ビルが爆破され、8人が死亡、400人近くが重軽傷を負った事件は30日で50年を迎えた。過激派「東アジア反日武装戦線」による犯行で、その後、約1年間続く連続企業爆破事件の始まりでもあった。メンバーのうち2人は、今も逃亡中で国際手配が続いており、爆破事件で父を失った石橋明人(あきひと)さん(64)は「事件は終わっていない」と感じている。

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「もしかすると、もしかするね…」。昭和49年8月30日、夏休みで自宅にいた当時中学3年の石橋さんは、テレビのニュースで父の光明(てるあき)さん=当時(51)=が勤める三菱重工本社ビルが爆破されたことを知り、母とこう言葉を交わしたことを覚えている。

携帯電話のない時代。安否は勤め先に電話で聞くしかなく、父の席に上着がかかったままで不在だということだけは分かった。そうした中、母が警視庁丸の内署に呼ばれた。現場で発見された遺体が父だった。

怒りや悲しみとともに大黒柱を失って生活がどうなるのかという不安にかられた。母は初めて会社勤めをし、家事もこなしてくれたが、母一人子一人の生活の中で数年間は事件について話すことはほぼなかった。「口を開けば、フラッシュバックしてしまう気がしていた」。そう振り返る。

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父は先の大戦に従軍し終戦後に三菱重工に就職した。小さい頃はよくキャッチボールをしてくれる優しい父だったが、自身が成長するにつれ、注意されることを避け接する機会は減った。「今思えば、もっと話しておけばよかった」と悔やむ。

事件後に逮捕、起訴されたメンバーの裁判を傍聴したことがある。傍聴席は被告の支援者も多く被害者遺族なのに肩身が狭い思いをした。法律用語が飛び交う裁判からは事務的な印象も受けた。

事件や犯人グループの思想など、これまでいろいろな資料に目を通したが、なぜ父が死ななければならなかったのか、納得のいく答えは見つからなかった。

犯人グループのうち佐々木規夫容疑者(76)と大道寺あや子容疑者(75)は一度逮捕されたものの、日本赤軍のハイジャック事件などによる「超法規的措置」で釈放され、国外逃亡後、今も行方が分からない。「自分たちが何をしたのか自覚して刑に服してほしい」と思う。

過激な思想を背景として暴力に訴える事件は50年後の今もなくなっていない。「彼らに同調したり参考にしたりする人がいる限り、本当の意味であの事件が終わることはない」。石橋さんは、こう訴えた。(橋本昌宗)

海外進出のゼネコンや商社を標的

連続企業爆破事件は過激派「東アジア反日武装戦線」が、反帝国主義や反植民地主義を掲げ、海外進出するゼネコンや商社を狙ったとされる。

昭和49年8月の三菱重工本社ビル爆破を皮切りに50年5月までの間に間組(現・安藤ハザマ)や大成建設、鹿島建設などの関係施設が相次いで爆破された。三菱重工を爆破した東アジア反日武装戦線の「狼」グループに、「大地の牙」「さそり」の2グループが加わってテロを続けた。

狼は爆弾教本「腹腹時計」を作成して配布したが、警視庁公安部はこの教本からたどるなどして捜査。組織の実態を明らかにした。

メンバーのうち、斎藤和(のどか)容疑者は逮捕後に服毒自殺。超法規的措置で釈放された佐々木規夫、大道寺あや子両容疑者は逃亡を続けている。死刑判決が確定した2人のうち益永(旧姓・片岡)利明死刑囚は収監中で、大道寺将司元死刑囚は病死した。

黒川芳正受刑者は無期懲役で服役中、服役を終えて社会復帰したメンバーも2人いる。一度も逮捕されることなく逃亡を続けた桐島聡容疑者は今年1月、末期がんで入院した際、自ら名乗り出て4日後に死亡。警視庁公安部は、容疑者死亡のまま書類送検し、東京地検が不起訴処分とした。

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