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全国の職人を被災地に派遣 ボランティア団体代表理事 石岡博実さん(71) 令和人国記

産経ニュース 2024年11月30日 9時20分

今年1月の能登半島地震で被害を受けた家屋の屋根にシートをかけて雨漏りを防ぐ補修に、山梨県大月市に本部を置く「全国災害復旧職人派遣協会」が、建設関係の職人をボランティアとして派遣した。代表理事の石岡博実さん(71)は平成7年の阪神大震災以降、多くの災害のたびに、山梨県から自社の職人とともに現地に赴き、被災家屋の屋根にシートをかける活動を続けており、この活動を全国に広げようとしている。

呉服営業でトップに

青森で大工の父のもとで木工職人をしていたんです。ただ技術だけでは厳しくなると感じ、自身の営業力をつけようと呉服屋に入社したんです。反物を風呂敷に包み、背負っての行商です。地元の人が「若いのに大変ね」などと声をかけてくれ、近所の人を集めてくれるんですよ。そこで「ものは心で売るんだ」と実感しました。私の原点です。

トップの営業成績を出すようになり、同業他社に引き抜かれ、さらに28歳で独立したんです。でも、数年後に倒産。自分についてきた人のクビを切れず、経営には向いていないと実感しました。

その後、横浜で屋根施工会社に入社したんです。営業力を生かして半年でトップの成績をあげるようになって、山梨県大月市などのエリアを任されました。そこで同僚らと独立しました。倒産の苦い思いもあり経営者になるつもりはなかったんですが、いろいろあって社長になったのが、今の日本ステンレス工業です。

阪神大震災が契機

会社設立当初、当社の職人4人が暴走行為トラブルで逮捕されるということがあったんです。彼らはさまざまな不満のはけ口で暴走していたんですが、それをほかに向けるため太鼓隊「紅富士太鼓」をつくったんです。いろんなところで公演すると拍手がもらえて職人たちも自信が持てるようになっていきました。この活動には小中学生も加わり、海外交流なども含め続いています。

震災ボランティアの職人派遣は、阪神大震災がきっかけ。震災4日目に雨が降っているのをニュースで見ました。避難所から戻った人たちの復旧への心をくじくのはこの雨漏りです。隙間風が入ってもなんとかなりますが、雨漏りでは家財が使えなくなり、その家を離れなくてはならないんです。

防災省にもつながる

屋根の補修は危険があり、一般の人が屋根から落ちて大けがなんてことも起きていました。そこで職人を連れ、神戸でブルーシートを屋根に敷くボランティアを始めたんです。職人たちも現地で感謝され、活動に誇りを持っています。その後、新潟県中越地震(平成16年)や東日本大震災(23年)、熊本地震(28年)などでも駆けつけました。でも、持ち出しも多い上、その期間は通常の業務ができず、減収で、1社だけでは体力的に無理。〝1人親方〟は駆けつけたいという思いはあっても、現実問題として無理なんです。災害時に屋根修理をうたう悪徳業者も出てくる中で、信用がある組織が必要だとして29年に災害復旧職人を派遣する協会を設立したんです。

能登半島地震はこれまでにない過酷な状況でしたが、山梨だけでなく宮城、東京などから職人83人が集まり、47棟の屋根にシートをかけました。ノウハウを生かして開発した災害用シートが役に立ちました。

災害が頻発する中、石破茂首相は「防災省」の新設を掲げていますが、それは私たちの活動と同じ方向です。全国の職人を被災地に派遣できるように組織を拡充すると同時に政府とも連携したいですね。

(聞き手 平尾孝)

いしおか・ひろみ 昭和28年、青森県生まれ。青森県総合高等職業訓練校(木工科)卒業後、建具店、工務店で働き、50年から呉服店で営業を担当し好成績をあげる。56年に呉服店を開業するも、倒産。横浜市の屋根施工会社に入社し、63年、山梨県大月市に屋根施工の日本ステンレス工業を設立。現在は同社会長。紅富士太鼓会長、ネパール日本友好協会の名誉会長も務める。

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