壁にかかった1枚のモノクロ写真。高台の擁壁が崩れ、その上に建つ数戸の住宅が今にも転げ落ちそうになっている。
阪神大震災直後の神戸市垂水区の街並みを撮った。近隣に住んでいた徳岡八重子(73)にとっては「一生忘れられない」光景だという。
徳岡は被写体となった住宅の跡地を買い取り、高齢者の共同住宅「星が丘ホーム」を建てた。写真が示すのは徳岡の活動の原点だ。
24時間態勢の見守り
「ケアが必要などんな人も受け入れ、助け合える場所が被災地には必要だと思った」
もともとボランティア活動に熱心で、震災後は炊き出しや生活相談、配食サービスなどに率先して加わった。仮設住宅から災害復興住宅へと移り住む中で、被災者の変化も目の当たりにした。会話の反応が急に鈍くなる。長年の愛称に反応しない。弁当を持って決まった時間に訪問しても応答がない…。利用者の孤独死を発見したこともある。
ホームを立ち上げたのは11年。デイサービスや訪問介護のほか、宿泊、配食にも柔軟に対応。スタッフ38人、24時間態勢で利用者を見守る。徘徊(はいかい)や暴言を繰り返し、他の施設では受け入れを断られた認知症の高齢者もいる。徳岡は「『無縁』を『無援』にしない。その先にあるのが孤独死だから」と話す。
10万人の遺体、約4割が独居
孤独死という言葉に統一的な定義はない。「孤独」には主観が含まれるとして、国の刊行物などでは客観的に一人の状態を示す「孤立死」も用いられる。他に無縁死、独居死という場合もある。こうした言葉の揺らぎは、この問題の射程の広さと、対策の難しさの証左ともいえる。
昨年4月には孤独・孤立の問題を「社会全体の課題」と位置付ける「孤独・孤立対策推進法」が施行。これに先立って内閣府にはワーキンググループが発足し、孤独死という言葉の定義づけと実態把握にも乗り出した。
警察庁は同8月、全国警察が半年間で遺体の検視などを行った約10万人のうち、約4割が自宅で発見された1人暮らしの人だったと発表した。年代別では65歳以上が全体の7割以上を占め、85歳以上が最多の7498人。発見までの日数別では、1日以内が最も多く、1カ月以上は3936人、1年以上経過していた人も130人いたという。
「孤独」は新たな災害
「災害時の外部からの応援は一時的なもので、日頃から助け合えるよう人材を育て、地力を高めることが大切だ」。大阪府豊中市社会福祉協議会の事務局長で、コミュニティーソーシャルワーカーの勝部麗子は孤独死を防ぐ地力=つながりの大切さを強調する。
同市では阪神大震災で家屋約5千棟が全半壊し、死傷者は約2500人に上った。大阪では最大の被災地で、仮設住宅では孤独死も起きた。「自然災害は『孤独』という新たな災害を生むことに気がついた」。コミュニティーソーシャルワーカーの先駆者として知られる勝部の活動の原点もそこにある。勝部は多岐にわたる職務を「ひとりぼっちを作らない仕事だ」と語る。
震災以降、社協では住民ボランティアの登録を積極的に推進。現在1万人以上が名を連ねる。ホームレスやごみ屋敷、アルコール依存症、子供の不登校など、対応する課題は多岐にわたるが、共通するのは当事者の孤立だという。
孤独死のリスクは女性より男性の方が高い傾向にある。勝部は東日本大震災の被災地支援に入った際、仮設住宅に作った農園に男性も参加したことに手応えを感じていた。そこで平成28年、定年退職後の男性の居場所として、豊中市内で共同農園を営む「豊中あぐり」を立ち上げた。現在会員は200人近くまで伸びている。
「震災で、つながりを失うと人は死んでしまうことを知った。今、社会は便利になり、力を合わせなくても生きていける。その一方で、つながりは失いつつある」と勝部は言う。そしてこう続けた。「震災から30年の節目に、本当にこれでいいのかをもう一度考えてもらいたい。地域が共生する社会を取り戻すために今動かないと、取り返しがつかなくなる気がするんです」=敬称略(地主明世)