「現に救助を要する場合には平等に行われるべきである」
災害救助法の運用にあたり自治体が参照する「災害救助事務取扱要領」は、法による救助の原則の筆頭に「平等」を掲げている。
発災直後の混乱の中で行政が避けるべきは、不公平を生じさせること。被災者の経済的要件にかかわらず、救助すべきを救助するという原則に、異論を挟む人はあまりいないだろう。
だが、その平等原則には重大なリスクが潜む。平成7年の阪神大震災当時、行政も社会も、そのことに無自覚だった。
住環境の整備優先
「一刻も早く、大量にというのが求められていた」。神戸市建築住宅局長、根岸芳之(61)は同年1月17日の発災からほどなくして、仮設住宅の用地確保に奔走することになった。
全壊した住宅は約10万棟。家を失った多くの人が過密な避難所で、プライバシーのない生活を余儀なくされた。住環境の整備は急務だった。10日後の同27日には、早くも仮設住宅の入居申し込みが始まっている。
神戸市の仮設住宅の建設戸数は約3万2千戸に上った。被災者は東灘、灘、中央、兵庫、長田、須磨区の市街地に集中していたが、仮設が建てられたのは郊外や臨海部が大半。元の住まいからの近接を望んでも、そもそも用地がなかった。
入居先の決定方法として採用されたのは、平等原則に基づく抽選制だった。仮設解消後の災害復興公営住宅に入るときも抽選制は踏襲された。
震災前のコミュニティーや人間関係は、避難所から仮設住宅、そこから復興住宅と、移住の度に急速に失われた。孤独死はその過程で続発した。
根岸は「見守り活動や集会所をつくって(部屋から)出てきてもらう試みもした。だが行き届かなかった」と語る。
孤独死問題に詳しい追手門学院大教授の田中正人(55)は「(仮設・復興住宅という)住宅セーフティーネットに依存せざるを得ない被災者は社会関係を2度リセットされたことになる」と説明。地縁やかかりつけ医など、住んでいた場所に依存していた人ほど、平等原則は孤独死リスクとなって不平等に働く、と田中は警鐘を鳴らす。
薄い関係性も重要
東京電力福島第1原発から西に約50キロ、福島県大玉村。23年の東日本大震災当時、同村にあった安達太良(あだたら)仮設住宅には、地震や原発事故から逃れてきた各地域の住民らが約400戸に入居した。ここでも入居者の選別は抽選で行われた。
「出身もばらばらの人間が集まっている。単身高齢者を放っておいたら、どんどん孤独の深みにはまってしまう」
自身も被災者として同県富岡町から避難し、自治会の副会長に選ばれた佐藤勝夫(70)は強い危機感を持っていた。阪神の孤独死問題が念頭にあった。
さっそく入居者名簿をつくり、安否確認のために毎朝玄関先に掲げてもらうようにしていた黄色の旗は、やがて安達太良のシンボルとなった。たき火も行い、住民が自発的に集まり、談笑できる場を意識的に用意した。
「顔見知りくらいだった関係が、少しずつ仲が深まり、悩みごとを相談できるまでになった」と話すのは、当時単身入居していた同村の木村茂子(67)。「仮設住宅での生活はすごく楽しかった」と振り返る。
孤独死を防ぐつながりとは、濃密な人間関係のみを意味しない。近くにいるから話す、近所にあるから行く、といった比較的薄い関係性もまた「孤独な生」ではない、つながりをもたらす。
被災者のメンタルヘルスケアに取り組む精神科医の堀有伸(52)は「早急な住宅確保はもちろん重要だが、それと同じくらい、病院やスーパー、行きつけの飲食店など地域の生活全体の再建を急ぐことが、孤独死の予防につながる」と指摘している。(敬称略)