今年元日の能登半島地震の発生から1日で10カ月となる中、石川県の能登地方出身で現在は東京で働く若手たちが、故郷の復興のために活動するグループを作った。名前は「能登ヨバレ」。集まりに呼ばれ、もてなされる能登地方の風習から名づけた。9月には豪雨災害にも見舞われる中、「ふるさとの復興のために、つながりを作り、力を合わせられる場所にしたい」という。
帰省中の実家で被災
10月下旬の週末の夕方、東京都内にある公共施設で、25人が和室に車座になった。「能登ヨバレ」の初の意見交換会。8月末の結成から中心メンバーの一人で、都内のメディア企業に勤める東井孝允(とうい・たかみつ)さん(42)が、グループを作った理由を説明した。
「あの日は正月で、実家に帰省していた人も多かったと思う。僕もその一人で、両親たちを実家に残して、後ろ髪を引かれる思いで東京へ戻った。それ以来、自分に何かできないかと行動してきた。出会った仲間たちと情報を共有、発信できる場を作りたいと思った」
一人ずつ自己紹介し、抱える状況について話した。
「震災から月日がたって報道も減り、地元の情報が本当に入ってこない」「被災した家の解体が進んで、実家へ帰るたびに空き地がどんどん広がっている。これからどうなるのか」「東京で働いていても、能登のことばかり考えてしまう」…。
同級生や親族、「東京輪島会」などで声をかけ合い、集まった。車座では、こんな思いも語られた。
「もともと年を取ったら故郷へ帰ろうと思っていたけど、時期を早めようかと考えている」「得意なことは車の運転と勉強することなので、何か力になりたい」「いまこそ、つながるときなんじゃないかと思う」…。
復興の「人材バンク」に
今回の地震では、家屋を失い金沢市など都市部での広域避難を余儀なくされる被災者が相次いだ。
石川県の人口推計によると、地震で大きな被害を受けた奥能登4市町は今年元日時点で計5万5213人が暮らしていたが、3月にかけて大きく減少。その後持ち直したものの、10月1日時点では計5万1299人と3900人以上減っている。
県は復興計画の最重点課題として、奥能登と継続的に関わる「関係人口」の創出、拡大を掲げる。人口減少が進む中、もともとの住民だけでなく、金沢や東京など都市部の住民にも復興にかかわってもらいたいためだが、最も近しい関係人口は、能登を離れ東京などで働く出身者たちだ。
穴水町出身の東井さんは「この会が能登に関わりのある人のプラットホームになって、さまざまな課題解決への『人材バンク』になれたらいい」と話す。実際、災害からの復興の途上では、組織の運営や行政への申請書の作成など、都市部で働く人のスキルが求められる場面も少なくない。
この日集まっただけでも、公務員から建築設計事務所勤務、システムエンジニア、僧侶、看護師、テレビディレクター、人材ベンチャー、在宅マッサージ、コンサル会社、物流会社…と、まさに「人材バンク」だった。
能登ヨバレのメンバーは現在、30~40代を中心に50人ほど。出身者以外の「関係人口」も参加している。今後も2カ月に1度集まって、息の長い支援を続けていきたいという。