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阪神大震災でがれきから医療器具拾い無料診察した父 ライブにかける平松愛理さんの思い

産経ニュース 2025年1月15日 12時0分

《平松愛理さんは阪神大震災の発生時、東京都内の自宅にいた。全国ツアーの真っ最中で、神戸市須磨区の実家に寄ってから次のライブ会場の広島へ向かう予定だった》

ニュースを見て、神戸で大きな地震が起きたらしいことを知りました。長田区で火災が起き、実家の方へ広がっていると聞いて、その場にへたり込んでしまいました。

両親は無事なのか…。何度も電話をかけましたが、つながらず、焦りは募るばかり。当時、アメリカにいた兄が国際電話をかけたら通じて無事は確認できたのですが、直接声を聞くまでは気が気ではありませんでした。

そんな中でもツアーは予定通り行われ、実家に寄ることができたのは2月上旬でした。

《父は開業医。実家は半壊、近くにある病院は全壊したが、父はがれきの中から医療器具を拾い集め、地域の人たちを無料で診察した》

父は、室内からでも空が見えるような仮の診療所で黙々と診察をしていました。この非常時に、本当の医者の姿を見た気がします。父の姿を見て、私も何かしたい、でも何ができるんだろうと一人もんもんとしていました。

背中を押してくれたのは、神戸・三宮で出会ったボランティアの方の言葉でした。「平松さんは歌で神戸を元気づけてください」。そうだ、私には歌しかない、チャリティーライブをやろうと思い立ちました。

ただ、私は被災者ではありませんし、家族も無事でした。そんな私が、大切な家族を失った人たちに「頑張って」なんてとてもいえません。

どう向き合ったらいいのかと悩んでいたとき、震災の後、フラワーロード(神戸市中央区)で見かけた一株の花のことを思い出したんです。モノクロの世界の中でひっそりと咲いていた黄色とピンクの花。震災に負けないで、と人々を励ましているように思えました。

気づかずに通り過ぎる人も多いでしょう。でも気づいた人は足を止め癒しを求めます。押し付けではなく、受け止めてくれる人たちに、私なりのやり方で寄り添えばいいと思ったんです。

《震災2年後の平成9年1月、復興支援ライブ「KOBE MEETING」を開催。令和2年まで、毎年1月に実施した》

被災者の中には、震災のことは忘れたいという方も多くいらっしゃいます。続けることは、そうした方たちの傷口を広げることになるんじゃないのか、という葛藤は常にありました。

ミュージシャン仲間から「もうええんと違う?」と言われたこともあります。でも、震災を忘れてはいけないという人が一人でもいるのならやろうと、そんな思いで続けました。

令和2年で区切りをつけたのは、神戸が目覚ましい復興を遂げたこと、東日本大震災や熊本地震などの大きな災害が起こったことが影響しています。神戸のメッセージをそうした被災地に届ける新しい活動をしたい、と思ったんです。

《震災30年となる17日、5年ぶりに「KOBE MEETING」を開く》

決めたのは昨年11月。スケジュール的にかなり厳しかったのですが、30年の節目にもう一度、震災を知らない方に伝えるきっかけとなるライブをやらなければと思いました。来年以降はわかりません。それでも、私の心はいつも大好きな神戸とともにあります。(聞き手 古野英明)

ひらまつ・えり 昭和39年、神戸市生まれ。平成元年、アルバム「TREASURE」、シングル「青春のアルバム」でデビューした。ミリオンセラーとなった「部屋とYシャツと私」(4年)ほかヒット曲多数。震災以降、復興支援ライブイベントを開催し、収益金を慈善団体に寄付している。

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