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「孤独死を出さない」災害看護の草分け女性の信念 寄り添い心つなぐ

産経ニュース 2025年1月15日 7時0分

「あなた、何を考えてるの!」

東日本大震災から3年がたった平成26年6月、宮城県気仙沼市の仮設住宅。この被災地に研修で訪れた福井大助教(災害看護学)の酒井彰久(37)は集会所のげた箱に靴を入れた瞬間、鋭い叱責を受けた。

声の主は看護師の黒田裕子だった。「その場所は、住民の方が使うところよ」。何の気なしに使いやすい高さに靴を入れた酒井は慌てて腰をかがめ、足元の低い位置に入れ直した。

黒田は7年の阪神大震災当時、兵庫県宝塚市の市立病院で副総看護婦長の立場にあったが、病院での代わりはいくらでもいるとボランティア看護師に転身。以降、災害看護の草分け的な存在となった。

阪神で被災者のケアに尽力した黒田が「怖い」「助けて」という叫び声と並んで、心をえぐられた3文字の言葉。それが孤独死だった。

黒田は被災地最大規模の西神第7仮設住宅(神戸市西区)でボランティアに従事。その手記などによれば、当時の仮設の本質を「陸の孤島」と見抜き、何より「孤独死を出さない」ことを活動の信条とした。

気仙沼でも、阪神の経験を原点に被災者を支え、集会所のイベントでは椅子を置く位置や角度にまで気を配った。後進の育成にも熱心で、夜遅くまで酒井の実習記録に目を通していた。

東日本でも孤独死は相次いだが、黒田がいた仮設からは一人も出なかった。「目の前の人を『被災者』と捉え、自分と区別して考えがちだったが、一人の人間として寄り添うことの大切さを教わった」と酒井は敬意を込めて振り返る。

黒田は酒井を一喝した日から3カ月後、肝臓がんでこの世を去った。73歳だった。「被災地のナイチンゲール」と呼ぶ人もいたほど、最後まで精力的だった。

2度のリセット

被災者の生活再建に必要なものは何か。防災福祉が専門の同志社大教授、立木茂雄(69)は衣食住改め「医職住」に加えて、人とのつながりだと指摘する。

「『もはや被災者ではない』という意識を持つには自律が必要で、その前提として人との連帯は不可欠。失った家族は復元できないが、新たな場所で人とつながり、新しい幸せをつかむことはできる」

阪神大震災では仮設住宅入居時と、その後の災害復興公営住宅への移転時にそれぞれ抽選が行われ、被災者の人的関係は2度リセットされた。平等原則に基づく措置だが、孤立死が続発した一因ともいわれている。

神戸市はその後、復興住宅のコミュニティーづくりを支援するため「生活援助員」を配置。立木の調査によれば、生活援助員の活動は孤独死の遺体発見までの時間を短縮する効果を生み、孤独死の未然防止につながったケースも多いと推測されるという。

活動継承の難しさ

昨年12月中旬、神戸市須磨区の復興住宅「新大池東住宅」では、恒例の「ふれあい喫茶」が開かれ、地域住民が談笑に花を咲かせた。震災後に始まり、もう20年以上。運営するのは「阪神高齢者・障がい者支援ネットワーク」。代表の宇都幸子(80)が震災当時の仮設住宅で黒田らが行っていた見守り活動を受け継いだ。

宇都は今でも公営住宅の見回りを継続しているが、近年は個人情報保護の壁や特殊詐欺への警戒から、安否確認の訪問や電話に応じてもらえないことが増えた。孤独死に対応する環境も30年で大きく変化している。

宇都は「いつ亡くなるかは誰にもわからず、孤独死は仕方がない面もある」とボランティアの限界を認める。だが災害に人の尊厳まで奪わせてはならない。「亡くなった人にどれだけ早く気が付けるかが、大切なんだと思う」と明かす。

「ふれあい喫茶」の会場には黒田の写真が飾られている。黒田は生前こう語っていた。「死に方の問題は生き方の問題。生き方の問題とはそこに『くらし』があるということ。『くらし』があるということは、そこに地域があることにつながっている」

(敬称略)

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