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「30年で解決できなかったこと後世に託す」阪神大震災支援続けた俳優・堀内正美さん

産経ニュース 2025年1月15日 22時36分

阪神大震災の発生から17日で30年。発生直後、被災地入りした俳優の堀内正美さん(74)は、ボランティアを受け入れる市民団体「がんばろう!!神戸」や震災を語り継ぐNPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り(HANDS)」を設立し、活動を続けてきた。昨年11月には経験をまとめた本を出版。「30年で解決できなかったことを伝え、生かしてほしい」と願う。(弓場珠希)

平成7年1月17日午前5時46分、堀内さんは神戸市北区の自宅にいた。家族の無事を確認し、すぐに大規模火災が発生した同市長田区での救助活動に携わった。

全国からのボランティアを受け入れ、避難所のニーズとマッチングさせる市民団体を構築。「みんなが知恵と力、自分が持っているものを出しあって動きだした」と振り返る。例えば、赤ちゃんを入浴させたいという要望があれば、お湯を用意する人とその場所を提供する人をつなげた。勝手なことをするなといわれることもあったが、支援の輪は広がっていった。

「大丈夫」ではなく「がんばろう」という言葉が被災者に響くことに気づき、当時パーソナリティーを務めていたラジオ関西の番組で「がんばろう!!神戸」と呼びかけるようになった。その言葉はやがて、被災地支援の合言葉になった。

活動の原動力は「人権は守られるべきだ」との思いだ。石炭から石油への転換が進んだ昭和30年代、九州の筑豊炭田で失業にあえぐ労働者とその家族や子供たちを撮影した写真集「筑豊のこどもたち」を幼いころに見て衝撃を受けた。「どんなことがあっても人権が守られる社会でなければならない」

震災では多くの人が大切な人を失い、住居や財産をなくし、傷ついていた。生き残った人が誇りをもち、人権を尊重されて生きられるように-。そんな思いで震災の教訓を伝えてきた。

30年間を振り返り、後世に伝えたいのは実現できなかったことの数々。当時、100人が身を寄せていたある避難所では、全ての人に平等でなければならないとの考えから、90個のおにぎりを配ることができなかった。堀内さんは、工夫すれば90個を100人に分けることができると考える。昨年の能登半島地震で避難所運営に携わった人から「今でも一緒。何も変わらない」と聞いてがくぜんとした。

「伝えなければいけないことが伝わっていなかった。30年で解決できなかったことを基に、どうすればできるかのヒントを見つけてほしい」。そんな思いを込めて昨年11月、本を出版した。タイトルは「喪失、悲嘆、希望 阪神淡路大震災 その先に」。

過去の失敗を生かし、災害に備える。そのために多くの人に伝えたい。「隣の人と話をしてほしい。生き残るための知恵を見つけてほしい」

ほりうち・まさみ 昭和25年3月、東京都世田谷区生まれ。桐朋学園芸術短期大卒。TBS金曜ドラマ「わが愛」でデビューし、その後、舞台・映画・ラジオCM等に出演。59年に東京から神戸市に転居した。阪神大震災後、「がんばろう!!神戸」を提唱し、市民団体「がんばろう!!神戸」を結成。平成14年に「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」を設立し、講演活動などにも取り組んでいる。

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